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短編集39(過去作品)

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「僕っておばあちゃんに育てられたようなものだからね。でもそんなおばあちゃんも、中学に上がる前に死んじゃったんだ」
 と話してくれた。その時に、
――昭雄もおばあちゃん子だったんだ――
 と感じたのと同時に、おばあちゃんに手を繋がれて引っ張って行かれる昭雄少年を想像した。すると、他の子供と一緒に遊んでいる姿が想像できなかったのである。
 人のことはよく見えるものだとは思っていたが、ここまで自分のことが分からないとは思わなかった。
――確かに自分の顔は鏡を見ないと分からないもんな――
 と考えると、さらに鏡に対して神秘性を帯びて見つめるようになった。
 毎日見つめるようになると、自分の顔への意識が強まっていった。元々人の顔を覚えるのは苦手な千春だったが、人の顔を自分の顔に被せて覚えるようになったのだろう。そのうちに、自分に合う合わないを判断する材料にしていた。
――女性が人見知りしたりするのは、そういうところがあるからかも知れない――
 女性は相手を好きになったらとことん好きになるタイプと、なかなか心を開かないタイプがあるのかと思っていたが、心を開いてしまえばその瞬間に、相手をとことん好きになるのだろう。逆に相手を嫌いになる時も、ある程度ギリギリまで我慢するが、一旦ダメだと判断したら、もう後には引き返せない。そんなところが男性とは違う。
 昭雄にも女性的なところがあると感じていた。ひ弱いというわけではなく、感情面なのだが、なかなか心を開かないように見えて、実は情熱的に人を愛することのできる人ではないかと思えるところだった。
 お互いにおばあちゃん子である二人は、甘えん坊でもあった。男性は女性が甘えてくればしっかりするものなので、一見おばあちゃん子だなどと思えないが、一旦分かってしまうと、
――なるほどね――
 と思えるふしが随所に見られる。
 おばあちゃん子というのは、結構物事を大袈裟に考えるところがあるのではないだろうか。ちょっとした悪戯をされてムキになって怒るのもおばあちゃん子の性格の一つであろう。いきなり怒り出して相手が、
「何よ、これくらい。そんなにムキになることないじゃないの」
 と反論している時にバツの悪そうな表情になっているのを、さらにこの時とばかりに相手を睨みつけ威嚇していると、相手も冗談ではなくなってくる。気まずい雰囲気がまわりを支配し、湿気を帯びた緊迫した空気が張り詰めている。空気が飽和状態になってしまったかのようだ。
 だが、おばあちゃん子はある意味役得でもあるかも知れない。
 すぐムキになる性格のくせに、友達は少なくない。それは友達に言わせると、
「何となく憎めないのよね」
 ということらしい。愛嬌のある顔というわけではないのだろうが、癒しを感じるというのだ。それも男性から言われる癒しではなく、ほとんどが女性からの意見である。
「同性の人から癒しと見られるなんて考えたこともないわ」
 男性のおばあちゃん子ってどうなのだろう。千春が見ていて最初は気付かなかったくらいなので、それほど目立つものでもないのかも知れない。だが、男から見ると一目瞭然なのか、一人が似合うように見えるのだろう。
 異性が分かりにくいというのは、肉体的な違い以外にも、表情から気持ちを判断する上で、贔屓目に見てしまうところがあるからかも知れない。しかし、昭雄の場合はおばあちゃんが亡くなって久しいということもあり、自分がおばあちゃん子だったことをかなり前から意識していたようだ。それについて話すと、
「いや、実はおばあちゃんが生きている頃から分かっていたよ。母親を見ていると、やっぱりどこか厳しさとは違うわがままを見ることができるんだ」
 昔かたぎの考え方には閉口するところもあって、あまりおばあちゃん子と言われるのが好きではないのだが、自分よりも何倍も生きてきて、時代の流れを見てきているだけに、理屈の立て方には、
「さすが、伊達に年を取っていないって思えるところがあるんだよ」
 と言っていた昭雄の言葉が理解できる気がしてきた。
 他の人たちから見れば、昭雄と千春は不思議なカップルに見えるだろう。人見知りしていた千春が積極的になったのはいいのだが、昭雄以外の相手にも少し増長して見えるところがある。それは人見知りだった頃に見えなかったもう一つの性格である「甘えん坊」なところが表に出てきたからだ。それだけ今まで持っていた警戒心を和らげ、開放的になったからであろう。
――いいことなんだろうけど――
 昭雄には一抹の不安があった。
 張り詰めていた緊張の糸が途切れると、弾けたようになるのも仕方のないことだと思っている。それが自分の前だけでだといいのだが、他の人の前だと、ひんしゅくを買うのも当然のごとくであろう。千春を見ている限りその危険性がありそうなので、昭雄の不安ももっともだと言える。
 一度ひんしゅくを買ってしまうと、回復にはかなりの時間が掛かるだろう。何よりもひんしゅくの原因に千春が気付くかどうかが問題で、今まで人見知りをする性格だっただけに、難しいのではないだろうか。
 しかし鏡を見るようになってからの千春は、自分のことが分かってきたようである。もちろんそのことを昭雄は知らないが、それは千春が昭雄に鏡のことを話していないからだ。
 鏡を見ていると、目の前にいる自分が自分でない気がしてくる。話しかけると答えが返ってきそうに思うのは、自分と違う意志を持っているように思うからだ。
――自分も知らない隠れた部分が鏡に写っているのかしら――
 と感じるが、まったく別人のような気さえしてくる。一枚の薄い板なのに、集中しているとそんな感じを一切受けない。鏡とは一体何なのだろう?
「人間は自分の能力の十パーセントも発揮していないんですよ。超能力者がいるとしてもそれはまったく不思議なことでも何でもないんです」
 とテレビの討論番組で、大学教授が話していた。意外とテレビを通して超能力まがいの番組を見せられるより、教授の話の方が信憑性があったりする。所詮バラエティには説得力などないと思える。
――私にも超能力ってあるのかしら――
 その時に千春は思った。超能力が選ばれた人間だけに存在するように思っていたが、誰にでもあると思う方がよほど自然な感じがする。
 昭雄とも超能力についての話をしたことがある。あれは超常現象を信じる信じないの話から始まったのだが、昭雄は信じない方だという。
 しかし、超能力が誰にでも潜在的にあるという考え方には賛同し、そこでまた話に花が咲いた。
「静電気だって人間は溜め込むことができるんだ。科学と超能力は平行線のように思うだろうけど、僕は科学が発展さえしていけば、必ず超能力についてすべて理論で片がつくんじゃないかって思うんだよ」
「それじゃあ、人間の身体の中自体の方が超能力よりも神秘なんじゃない?」
「そういうことだね。少なくとも僕は人間の身体のメカニズムの方が興味あるね」
 その時の昭雄の目が輝いていた。こういう話がよほど好きなのだろう。
「大学入学当時は、よく友達の部屋で話したものだよ」
作品名:短編集39(過去作品) 作家名:森本晃次