短編集39(過去作品)
特に女性と付き合ったことがない有働にとって、女性を意識するなという方が無理というものである。電車の中で綺麗な女性を見ると、その人が夢に出てくるようなこともあった。意識していないつもりでも。気持ちに余裕が出てくると、夢を見ても、それを覚えているものである。
――鬱状態の時はあまり夢を見たという記憶がないな――
どうせ見てもロクな夢ではない。覚えていない方が幸せだろう。そう考えると、見ていたとしても起きるまでに忘れてしまったと都合よく解釈することもできる。
最近では特にそのことを感じる。
鬱状態の時の睡眠は、普段の時よりも深いような気がする。夜が短いと感じることがあるが、それはきっと熟睡しているからだろう。普段、夜が長いと感じる時は、結構夜中に何度も目を覚ましている。そういう時はほとんど浅い眠りで、見ていた夢も思い出すことができる。それだけ熟睡ができないのだろう。
鬱状態の時に見ている夢は、普段表に出したくなくて無意識に封印している自分の気持ちのような気がして仕方がない。
――一体何が心の中でわだかまっているのだろう――
鬱状態の時に目を覚まして最初に感じることだ。
鬱状態の時や、精神的にきつい時期に、一日のうちで一番嬉しい時間は寝る前である。そして一番嫌なのは起きる時、夢の世界から現実に引き戻されるからだと思っているからだ。
だが、その時に感じるのが夢の中で見たであろう「わだかまり」の気持ちである。鬱状態の時に夢の中で現実逃避をしているように思うのだが、それ以上に、わだかまった気持ちを抱いた夢も見ていることを感じているようで、不思議な感覚だ。
――夢の中で、さらに夢を見ているのかも知れない――
これは最近になって感じるようになったことで、現実逃避をしながら、その一環として見ている夢に中で、何かのわだかまりを感じている。表には決して出てこないが、それが心の中で燻っていることに間違いはない。
ロジカルマンションが見かけは三階部分からのマンションであるが、実際には見えていない部分があるのをどれだけの人が知っているだろうか。しかし、マスターがわざわざ話をするのだからそれだけでは終わらない。
「あのマンションができる前、本当は斜めになった土手じゃなかったんだよ」
「へえ、そうなんですか」
確かに土手を削ってマンションにするには結構苦労を要する作業かも知れない。その場所の何かがあって、土手の道に当たるところが壁になっていたと考える方が自然である。
「あそこには元々墓地があったんだ。それを管理会社の人が土地買収する時に移動してもらったんだ。もちろん、十分な厄払いはしたんだけどね。実際に住んでいる人がいたけど、お寺があったわけではなかったので、土地買収にもそれほどお金が掛からなかったんだろうね」
もちろん、そんな話は初耳だ。知っていれば部屋を借りなかったかも知れない。しかし不思議と怒りはなかった。かなり昔の話なのだろう。
それを聞いていたもう一人の男も頷きながら話した。
「私も以前、ダム関係の仕事に携わったことがあるんですが、水入れを思い出しましたね。いくら仕事とはいえ、その少し前までは人が住んでいたところを一気に水の底に沈めてしまう。何ともやり切れない気持ちですよ」
ダムの底に沈んでいる村もそうだ。目には見えないが、そこには人が住んでいた気配が残ったまま、一気に見えない水の底に埋まってしまったのだ。
有働は感じた。
――また昨日のオンナに会いたい――
と……。
マンションのように、目に見えているところしか自分の気持ちが分かっていなかった有働。引っ越してきた時から何度となく淫靡な声を聞いたように思うのを後になって思い出すのも、自分の中の隠れた気持ちに気がついたからだ。
翌日オンナは有働の元に現れた。
「あなたが自分のすべてに気付いてくれたから、私もあなたの前に現れることができるのよ」
と語りかけてくれる。
それからいつもオンナが消えた後、気がつけばいつも有働は姿見の鏡の前に立っているのだった。
( 完 )
作品名:短編集39(過去作品) 作家名:森本晃次