小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

いたちごっこ

INDEX|7ページ/28ページ|

次のページ前のページ
 

――そういえば、私はなんと言われたんだっけ?
 えりなは思い出そうとしたが、考えてみれば、一定していたことがなかったような気がする。
「えりなは、犬のようだ」
 と言われたこともあれば、
「ネコのようだわ」
 だったり、たまに、
「ウサギのようだ」
 と言われることもあった。
 だが、そのほとんどは、あまり記憶していたいことだとは思わなかった。なぜなら、ペットとして比喩される時、あまりいい理由だった覚えがないからだった。
 犬や猫にたとえられる時というのは、そのほとんどが、
「従順だから」
 というもので、そこに可愛らしさというイメージはなかった。
「えりなを見ていると、服従させたいという意識が働くのよ」
 と言われる。
――どうしてそんな言い方しかできないの――
 と心で訴えていたが、えりなの気持ちの入ったその視線を、服従させたいと言っている人は、誰も気付いていないようだった。
 むしろ、服従させたいという言葉を浴びせることで、えりなが悦んでいるかのように思われているようだった。
――私って、Mなのかしら?
 と思わせた。
 いや、相手にそう誤解させる何かがえりなの中に備わっている。そう思うと、自分の中にある何かというもので最初に思い浮かんだのが、
――他人事のように感じるという性格――
 だったのだ。
「私に服従させたいって、そんなに私は、従順に見えるの?」
 と聞くと、
「えりなは、従順というよりも、その反対で、従順に見えないから、服従させたいと思うのかも知れないわね。でも、服従させることができれば、あなたはきっと今まで私たちに見せたことのない従順さを、披露してくれるように思えてならないの」
 と言っていたのは、中学時代から一緒だった友達が高校時代に言った言葉だった。
 まさか、女性からそんな目で見られるとは思っていなかったが、そんな感情があったから、大学に入って、レズビアンに走った時期があったのかも知れない。
 大学で付き合った女性も、
「あなたの従順さは、私が一番よく知っているわ」
 と言っていた。
 しかし、
「でも、その従順さは、まわりに発散させているにも関わらず、他の人には気付かないものなの。それはまるで保護色のようになっていて、目の前にあっても、誰も気付かないもので、えりなの最大の特徴でもあるの。それがいい意味なのか悪い意味なのか、それはこれからのえりなを取り巻く時間が、形にしてくれると思うの」
 とも言っていた。
「私の将来って、どんなものなのかしらね?」
 というと、
「私に分かるはずないじゃない。でも、えりなはきっと自分で分かっていると思うの。でも、あなたが自分を他人事のように見ている限り、ずっと分からないままだって思うのよ」
「ということは、私が他人事だって思わなければ、自分を分かるということなのかしらね?」
 と聞くと、
「そんなことはないわ。あなたが自分を他人事のように思えなければ、あなたが自分のことを分かるということすら、及ばないと思うの。そういう意味ではあなたが感じている他人事というのは、あなたにとって、一種の特殊な能力のようなものなんじゃないかしら?」
 と言われた。
「じゃあ、他人事のように思うことを、悪いことだって思わなければいいのかしら?」
「いい悪いの問題じゃないと思うの。要するにあなたが自分のその性格に、どれだけ素直に正面から向き合うことができるかということなんじゃないかって思うのよ。人の性格なんてものは、なかなか自分じゃ分からないものだからね。そういう意味で、少しでも分かっているあなたは、すごいんじゃないかって私は思うの」
「でも、それだけ私のことを分かってくれているということは、あなただって自分のことが分かっているんでしょう?」
「そんなことはないわ。誰だって、自分のことが一番分からないものよ。人の姿は自分の目で直接見ることができるけど、自分の姿は鏡などの媒体を通してでなければ、決して見ることができないでしょう? それと同じことなのよ」
 と言っていた。
「なるほど、そうなのかも知れないわね」
 そんな話をしていた自分を思い出していた。
 ペットショップに今まで入ったことがなくて、その日が初めてだと思っていたが、中に入って中学、高校時代を思い出していると、今までにも何度かペットショップに入ったことがあったかのような気がしていた。
――これってデジャブなのかしら?
 今まで見たこともないはずの場所なのに、どこかで見たことがあったとか、行ったことがあったなどという思いに駆られることがあるという現象があるが、それをデジャブ現象というのだということは知っていた。
「デジャブというのは、辻褄合わせのようなもので、自分の曖昧な記憶を強引に繋ぎあわせようとして起こる現象なんだって話があるのよ」
 というのを聞いたことがあったが、まさしくその通りに感じた。
 さすがにペットショップの異臭はすごいものがあった。それでも表に臭いが漏れないのはさすがだと思ったが、それでもこの密閉した部屋にどれくらいの時間我慢していられるかを考えると、少し入ってしまったことを後悔した。
 せっかく入ったのだから、いきなり踵を返して出てしまうようなことはしたくない。もし、そんなことをすれば二度とこの店に入ることはできないだろうと思うし、一度やってしまうと、免疫のようなものができてしまい、他の店でも同じことをしてしまうような気がしたので嫌だった。
 なるべく異臭を感じないようにしようと思いながら店の中を散策していると、奥の方で子犬や子猫のゾーンに立ち止まったのだった。
――そこからいろいろな発想が浮かんできたんだわ――
 と思ったが、子犬や子猫には、最初はかわいいと思い、ずっと見ていても飽きがこないと思ったのに、気が付けば、もう一度同じところに考えが戻ってきてしまうようで、堂々巡りを繰り返してしまうことに、少し違和感を覚えた。
 子犬のゾーンを反転して、表と反対側の通路の奥に行ってみると、そこは鳥や小動物のコーナーだった。
 えりなはその中で一つ気になるものを見つけた。
 檻の中にクルクル回る輪があって、その上を一匹のハツカネズミが走っている。それを見ていると、目が離せなくなってくる自分を感じた。
――走っても走っても、その場所から逃れることのできないなんて――
 と、虚しさを感じた。
――このまま、死ぬまで走り続けることになるのかしら?
 と思うと、普通なら、
――休めばいいのに――
 と思うのだが、相手は動物、走り続けることが本能であり、人間にしてみれば生きがいのようなものだとすれば、どうなのかを考えてみた。
――人間だって、生きがいを感じながら生きている人がどれほどいるんだろう? 私には、明確に生きがいが何か、口にできるものがあるというのかしら?
 と感じた。
 確かに生きがいというと、漠然としては持っているような気がする。人間は誰でも大なり小なりの生きがいを持っていないと生きられないものだと思っているからだ。
 だが、それって本当にそうなのだろうか? 生きがいなどというのは一種の綺麗ごとであり、持っていなくても、泥臭く生きている人だってたくさんいるのではないだろうか。
作品名:いたちごっこ 作家名:森本晃次