いたちごっこ
彼女の言葉はいちいちもっともに感じた。
えりなは、人から言われれば、理解することができる。しかし、それも少しの間だけで、我に返ると、またすぐに分からなくなる。それが被害妄想から来ているものであることを彼女は分かっているようだが、さすがにそこまで言葉にはしなかった。
――もし、この言葉を口にする時は、k¥えりなと今後一切かかわらないと覚悟を決めた時だわ――
と彼女は考えた。
それでも、喉まで言葉が出かかったのは事実である。それだけ、彼女はその日、えりなを最初に見た時、
――私は、このままえりなと別れてしまうことになるかも知れないわ――
と感じていた。
しかも、その感情は結構高い確率であった。次第にその思いが萎んでいくのを感じてはいたが……。
その時、彼女はえりなに対して、最後通牒のつもりで敢えて苦言を呈した。しかし、えりなにはその気持ちが通じなかったようだ。それからしばらくして二人は分かれることになったのだが、その理由は自然消滅だった。
彼女の中で、一番考えにくい別れ方だったが、えりなの方は、自分が自然消滅を招いたにも関わらず、気持ちの中では青天の霹靂だった。
――どうしてなの?
自分に、そう訊ねるが、答えが返ってくるはずmない。
「しょうがないわね」
彼女は自分にそう言い聞かせたが、前に感じた時のように、
――えりなと、もう二度と関わることはない――
というほどまでは感じていない。
今は少し距離を置いているが、何かの機会で復縁することもあるかも知れない。彼女はそれでいいと思っていた。今まで自分の中で一番だったえりなという女性の位置が、少し下に下がっただけだと思えばいいだけだった。
えりなの存在価値はどれほどのものだったのか分からないが、えりなの方は彼女と別れて何かが吹っ切れたような気がした。二年生になって男の人に声を掛け、逆ナンなどをしたのも、そのせいだったのではないか。
――私、こんなことができるようになったんだわ――
それがいいことなのか悪いことなのか分からなかったが、えりなにとって初めて単独で付き合った男性。その時、えりなは自分がいつもの癖で他人事のように感じていることに気付いていなかったが、彼との関係はお互いに同等から始まった。そういう意味ではえりなにとってこの恋愛は、
――初めてのまともな恋愛なんだ――
と感じたのだ。
ただ、付き合っていくうちに、彼はえりなに従順になってきたが、それも、
――途中からなので、別におかしな関係というわけではない――
と感じた。
彼の気持ちはよくは分からなかったが、普通の恋愛ができたことが嬉しかった。だが、この恋愛も長続きすることはなかった……。
彼が言うには、
「えりなと、まさかこんなに早く仲良くなれるとは思っていなかったんだ」
「私もよ。あなたと一緒にいると何だか、前から一緒だったような気がするくらいだわ」
そんな会話が付き合い始めた時からされていた。
「僕、女性と付き合うのは初めてで、ずっと憧れていたんだけど、憧れだけでは分からないことっていっぱいあるんだね?」
という彼のセリフにえりなは、
「それはそうよ。私だって最初に男の人と付き合った時、ドキドキしたものよ。それが憧れにはなかったもので、憧れというものが不変なものであるとするなら、ドキドキした気持ちというのは、その時々で違うもの。大きくもなれば、萎んでいく時もある。最初はよく分からない感覚だったわ」
「そうだよね。今の僕もそれを味わっていると思うんだ。えりなが僕の最初の女性で、本当に嬉しいよ」
えりなは、その言葉を聞くと有頂天になっていた。
その頃には自分がレズビアンであったこともすっかりと忘れてしまったかのように、彼一筋だった。
――私って、本当は純愛を求めていたのかも知れないわ――
それを思うと、どうして最初にアブノーマルな世界に足を踏み入れてしまったのか分からない。それだけに、忘れてしまいたい過去でもあった。
彼は本当に従順だった。
えりなを呼ぶ時は呼び捨てで、他人が見ている時には、彼が主導権を握っているが、二人だけの時の主導権は明らかにえりなの方で、彼には自分が主導権を握りたいという気持ちもなく、えりなの方は、本当はどちらでもいいのだが、彼に主導権を握る意思がないのであれば、自分が握るしかないと思い、違和感なく主導権を握っていた。
それも、女性を愛した経験があるから、違和感を感じないと思っていた。そういう意味では別れたとはいえ、彼女には感謝の気持ちしかなかった。
従順な男性を見ていると、いつの間にか自分を他人事のように見ている自分に気付き、ハッとする。
――まただわ――
自分を他人事のように見ることを嫌いではないえりなだったが、その時々で、
――余計なことに気付かなければよかった――
と感じることがあった。
そのことにハッとして気付くと、急に我に返ってしまって、思い出さなくてもいいことを思い出している自分に気付くのだった。
思い出さなくてもいいことというのは、その時々で違っている。その時に、思い出す必要のないもの、思い出したくないもの、それぞれなのだが、えりなにとっての思い出さなくてもいいことは、その必要がないことを思い出す方が嫌だった。
それは、余計なエネルギーを使うような気がしたからだ。
思い出したく阿仁ことを思い出す方が余計なエネルギーを使うような気がするが、思い出したくないものほど、思い出してしまうと、すぐに忘れようと思うものだ。そう思うとそこから忘れてしまうことにはさほどの労力がいるものではない。それに比べて思い出す必要のないものを思い出した時というのは、忘れてしまいたいという気持ちが中途半端なのだ。
中途半端な状態で忘れようとすると、そう簡単に忘れられるものではない。それでも強引に忘れようとするので、自分が感じているよりも、さらに余計な力がそこに掛かっているのだった。
えりなは、そのことを意識している。
どうして意識できるのかというと、やはり自分を他人事のように感じているからだ。そのことを意識できていないので、たまに感じる自分を他人事だと思うことを余計なことだと思うのだ。
本当であれば、何とも皮肉なことである。堂々巡りを繰り返しているようで、その意識がないからなのか、
――私って、時々いたちごっこを繰り返しているような気がする――
と思っていた。
そのことをたまに感じていたことを、まさか他の人から指摘されるとは思ってもいなかった。
しかも、それが当時付き合っていたその男性で、
――彼はいつまでも私に従順なんだ――
と、半永久的な従者を得たかのような錯覚を覚えていた。
しかし、そんなことなどありえるはずもない。
奴隷であればそれもありえるのかも知れないが、絶えず自分が相手の主であるかのように思っていると、相手が少しでも疑問を抱けば、そこから気持ちのすれ違いを引き起こし、決して戻すことのできない亀裂を生じさせてしまうことは、他人事のように聞いた人であれば、容易に想像できたものなのかも知れない。
「俺とえりなって、いったいどんな関係なんだ?」