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いたちごっこ

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「夢というのが潜在意識のなせる業だと聞いたことがあるけど、もしそうであるなら、潜在意識には限界があって、それがえりなさんgは言った箱庭のようなものであるとするならば、私たちの夢の中での大きさは、不変なものだって思うのよ。ただ、大きさが一緒というわけではなく、夢の中の自分は小さく、夢を見ている自分だけが大きいのではないかという思いね」
 とあゆみは答えた。
「私は夢というのは、目が覚める前の数秒で見るものだって以前に聞いた話には無性に信憑性が感じられて、頭の中で結構大きくなって存在しているって感じなのよ」
「その話はこの本にも載っていたわ。だから、夢は覚えていることができないんだって結論付けていたわ」
「結論付けるには、少し薄い気がするんだけど、でも、目が覚める数秒前くらいに見ていたとするのは分かる気がする。目が覚めるにしたがって忘れていく夢を、時々忘れたくないと思っている時もあるの。そんな時に限って、目覚めはパッチリなのよ。わざと夢を見ていたということを感じさせないようにしているのではないかって感じさせるようなのよ」
 というえりなの話に、
「私もそうではないかと思うんだけど、どこかえりなさんと少し考え方が違っているような気がする。これはずっとニアミスを繰り返しているんだけど、決して交わることの無い交差点を描いているような気がするわ」
 というあゆみの意見も、えりなは無視することができなかった。
「夢って、結局、永遠の謎の部分が含まれているので、必要以上に夢を研究しない方が、本当はいいのかも知れないって思うのよ」
「それは私も同じ、えりなさんとは平行線の部分もあるけど、おおむね同じような考え方で二人の意見は推移しそうな気がするの。だからこそ、お互いに意見をすり合わせるのも悪いことではないんじゃないかしら?」
「私は夢の共有を信じているんですよ、人に話すと、そんなことはないって一蹴されそうな気がするので、話はしないんですが、私は夢の共有というのもありではないかと思っているんです」
「夢の共有というと?」
「夢というのは、皆自分の世界だけのもので、他の人が夢に出てきても、それは夢を見ている本人が作り出した架空の世界の人間なので、その行動は、本人が考えていることではなくても、無意識に感じていることだったりすると思っているんでしょうね、私もずっとそう思ってきたんですが、果たしてそうなんでしょうか? 普段から疑問に感じたことがあれば、徹底的に考えてみる方なので、考えているうちに発想が二転三転したりするんですよ。でもたいていは同じところに戻ってきて、最初と同じことを考えていたりするんですけどね」
 と言って、苦笑いをしていた。
 えりなはその話を聞いて、いたちごっこを繰り返している自分を想像していた。
――なるほど、彼女の話にも一理あるわ。夢はその人の潜在意識が見せるものだって考えると、そこに他人が介在する余地なんてないからだ――
 と考えていた。
 だが、夢から覚める間に夢の内容を忘れていくという発想には直接的に結びつかない気がした、ただ感じることとして、夢の世界と現実世界では次元が違うということだけであった。それぞれに次元が違えば、そこに結界のようなものがあり、共有できないものを感じさせる。それが夜と昼の世界のように、決して重なることのないものを感じていた。
 昼と夜とでは、明らかに違う。時間的に交わるはずがないので、当然のことなのだが、その間に夕方が存在していて、夕方にはグレーな雰囲気があり、いつの間にか沈んでいた西日が、あっという間に夜の帳を下しているイメージだったのだ。
 その間には夕凪という時間がある。
 夕凪というのは、それまで吹いていた風がまったく止む時間帯で、その時間帯というのは、そんなに長くはない。ハッキリと意識したことはないが、三十分もないことだろう。
 またえりなは、夕凪という時間に対して、
――人によって、感じる時間の長さが違っているのではないか?
 と感じていた。
 この思いは夢から覚める時に似ている。
 夢から覚める間というのは、ボーっとしていて、忘れていく夢を感じている時もあれば、気が付けば目が覚めていて、その日に夢を見たのかどうかなど、考えていない時である。
 そんな時は、
――今日は夢とかは見ていないんだ――
 と思うだけで、深く考えたりはしない。
 しかし、それは本当だろうか?
 夢というのは毎日見ているもので、夢を見たという意識が少しでもなければ、夢は見ていないと当たり前のように感じるものだと思っている。
 えりなは、他の人よりも深く、夢の世界のことや、現実世界との結界、あるいは、目が覚める間に忘れてしまうという「生理現象」について考えていると思っていた。
 ただ、それは他の人と話をしないからそう思っているだけで、自分よりも深く考えている人がいても不思議ではないとも感じていた、
 時々、夢から覚める時に、
――忘れかけている夢を、忘れないようにしたい――
 と感じるようになっていた。
 夢を忘れないという感覚は、忘れたくないからなのか、それとも、忘れてしまってはいけないと思っているからなのか、ハッキリとは分からない。
 そんな時に夢から覚める時の感覚を、夕凪の時間と重ねあわせて考えるようになったのは、偶然だったのかも知れない。
 えりなは、夕方信号を見て、夕凪の時間を発想した。その発想までには、いくつかの段階を踏んでいたのが印象的だった。
 それは歩行者用の信号ではなく、車専用の信号の方である。つまり赤黄青の信号機を見た時であった。
 車専用の信号機というのは、赤から青の変わる時は、いきなり青に変わるが、青から赤に変わるまでの間には、黄色い信号が影響している。
 もっとも歩行者用の信号は、点滅があるので、それが黄色信号の役割を示しているのであり、同じようなものではある。
 青から赤に変わる間に、警告として黄色い信号があるのだろうが、えりなは、単純な発想として、
――青から赤に変わる時には黄色い信号というのがあるのに、なぜ赤から青に変わるのに黄色が存在しないのだろう?
 と考えていた。
 本当は単純な発想をしているのは、何も考えずに黄色い信号を警告用だと分かっている方なのだろうが、えりなは、そこに不思議な疑問を感じた、いわゆる感じなくてもいい、
――余計な発想――
 なのである。
 信号の赤い色に比べて、青い色はあまりにも地味である。その中間にあるのが黄色い色であり、赤い色にはかなわないが、青い色とは比較にならないほど明るいものだ。そう思っていると、黄色になった時間は、本当に短いものだが、ずっと見つめていたい気がしていたのだ。
 夕凪の時間帯も同じようなものである。
 意識して感じようとしても、夕凪の時間というのは、どこからどこまでなのか、本当に感じることのできる人など存在するのだろうか。じっと夕凪を感じていると、気が付けば夜のとばりが下りているものなのではないだろうか。
 夜のとばりが下りてから、真っ暗になるまでには本当は少し時間があるのかも知れない。しかし、えりなは夕凪の時間が終われば、そこから先は明かりはあるものの、襲ってくるのが暗闇だと思っていた。
作品名:いたちごっこ 作家名:森本晃次