いたちごっこ
そんな時、夢に出てきた中学生の男の子、彼がその時の男の子に思えて仕方がない。えりなが今大学生になったのだから、彼は高校生くらいでおかしくないのに、どうして中学生なのか分からないが、えりなの中では、彼が中学生から成長していないというよりも、井戸を見ていた瞬間が実は数年続いて、その間年を取っていないという感覚の方が強く感じられた。
過去のトラウマが見せたこの間の夢なのかも知れないが、あの時の夢は自分の潜在意識の範囲をはるかに超えていたと思っている。そんな夢を見るということは、それほどトラウマが大きかったと言えるだろうし、ひょっとすると、今がそのトラウマを払拭できるチャンスを迎えているのかも知れないとも思った。
――私は見て見ぬふりをした――
決してそんなはずはないのに、どうしてそう思ったのか、えりなには分からなかった。
えりなの夢は変わっている。
――いや、変わっていると思っているのは自分だけで、実際には他の人も同じような感覚の夢を見ているのかも知れないわ――
と感じたが、もし同じ夢を見ているとして、他の人がえりなのように自分の夢を変わっていると果たして思うかどうか、えりなには想像もつかなかった。
えりなは、学生時代の夢をよく見る。
中学時代が多いのだが、高校時代の夢も結構見ていると思う。
――ほとんどが中学時代だと思うのに、高校時代を思うと、結構見ていると思うということは、確率として考えた時、百パーセントを軽く超えているような気がする――
と感じていた。
それは、少し考えると理解できた気がする。
――一度の夢に、中学時代も高校時代も一緒に見ていれば、夢の回数に対しては百パーセントを超えても理屈的にはおかしくない――
と思ったのだ。
理解はできても、納得できるかどうかは別問題だ。えりなは自分で理解することができないでいた。
さらにもう一つ考えているのは、
――夢の中ではいくつもの時代を凌駕できるのかも知れない――
と思うことだ。
ただ、それもいくつものパターンがあるわけではなく、パターンは決まっている。それも夢に限界があると考えるゆえんなのかも知れない。
えりながよく見る中学時代の夢であるが、えりながいつものように学校に行くと、自分は中学生なのだが、なぜか友達は成長していて、大学生だったり、社会人だったりする。つまり現実世界の皆になっているのだ。
そして、えりなは鏡で見ると、自分も成長した大学生のえりななのに、制服を着ると、中学生に変わってしまう。制服の魔力とでもいうのか、制服を着ていると大学生の自分が想像できないことからの妄想なのかも知れない。
学校に行くと、知らない友達ばかりだった。しかし、相手はえりなのことを知っている。
「梅田さん、ちゃんと宿題やってきた?」
と、知らない女の子が友達のように寄ってきてそう言った。
「えっ、今日宿題あったんだっけ?」
とビックリすると、
「もう、えりなはいつもそうなんだから。大丈夫なの?」
と、これも知らない女の子から馴れ馴れしく声を掛けられた。
しかし、彼女の言っていることは本当だった。えりなは中学時代、よく宿題を忘れていった。しかも、宿題があるのを分かっていてやらなかったわけではなく、宿題が出ていたことすら覚えていないのだ。ノートを見ると、確かに宿題をしなければいけないと書いてある。だが、えりなは自分がそれを書いたという記憶がいつもないのだ。
最初は、宿題が出ていたことすら忘れていることを信じられなかった。
「忘れるくらいなら、ノートにでも書いておけばいいのに」
と友達に言われて、
「そうね。そうする」
と言って、
「宿題がある」
とノートに書いていた、
しかし、やはり翌日になって学校に行くと、
「えっ、またやってないの? ノートは?」
と言われてノートを見ると、そう書いてある。
えりなの致命的なことは、せっかくノートに書いても、そのノートを見るという習慣がないことだった。
「癖をつけないといけないみたいね」
と友達に言われて、何とか癖をつけようとしたが、これに関しては、すぐに身に付くものではなかった。
何とかノートを見て、宿題を忘れなくなったのは、ノートに書くようになってから、かなり経ってからのものだった。
えりなには、そのこともトラウマとして残っている。自分が忘れっぽい性格だという意識を持ったのも、この頃からで、いったん忘れてしまうと、思い出すことができない。普通であれば、人から指摘されると、思い出すことが多いのだろうが、えりなの場合は指摘されても覚えていない。
忘れてはいけないことだという意識は最初からあるのだろうが、そう思えば思うほど、覚えていないというのは、皮肉なことなのだろうか。
しかし、夢の中のえりなは、今大学生なのである。昨日中学生だったとしても、今のえりなは昨日のえりなではない。そう思うと、覚えていなくても、それは仕方のないことだと思った。
――まさか、中学時代の私は、前の日の自分と、次の日の自分が違う人間になってしまっていたのだろうか?
とも思った。
宿題があったということをまるで夢のことのように思えた。宿題は毎日のように出されていたのに、やっていないというのは、本当のことである。
――ひょっとして、寝ている間に宿題をしていたのかも知れない――
とも感じた。
夢の中で宿題をしたことで、自分の中での満足が、元々宿題がなかったという発想に転嫁されたのかも知れない。いわゆる責任転嫁の範疇なんじゃないだろうか?
あまりにも突飛であるが、夢の中にいる自分がもう一人の人格を持った自分だと思えば理解できなくても、納得はできるかも知れない。理解できないのに納得できるというのはおかしな発想だが、それが夢の世界の特徴だと思うと、分からなくもなかった。
そういう意味で、中学時代の夢を見ている自分は、鏡を見た時だけ今の自分で、学校に行くと、中学生の自分である。しかし感覚は大学生になっている自分がいて、中学時代にできなかった何かを遡ってやってみたいという発想から、中学時代の夢を見るのではないかと思うと、大学生の意識がなくては、夢の世界は存在しないと思えたのだ。
「鏡って、不思議よね」
えりなは、知らない友達に対して、そう切り出した。
相手を知らないと最初は感じたが、馴染むまでにはそれほど時間が掛かったわけではない。相手を知らないはずなのに、
――この子達とは、以前から知り合いだったような気はする――
と思えた。
具体的にはまったく分からないが、自分の感覚がそう教えるのだ。錯覚なのかも知れないが、夢の中の錯覚は、夢の中の真実ではないかと思うと、やはり理解はできないが、納得はできた。
――夢というのは、理解できないことでも、納得できてしまう世界なのかも知れないわ。だから、普段では信じられないことを、平気で見るのかも知れないわね――
と感じた。
先ほど感じた、夢が百パーセント以上という感覚は、えりなに別の思いを抱かせた。ハツカネズミを見た時を思い出し、自分がいたちごっこを繰り返す運命にあることを思い出していた。