いたちごっこ
もし自分がネコアレルギーで、友達に他意はないとはいえ、目の前で露骨にネコを可愛がられては、もうその子は友達ではないと思うに違いない。そんなことを知らないえりなは、子供心に傷ついた。それから少しして、他の友達から事情を聞かされて納得したのだが、それは完全に後の祭りだった。
――後の祭りになるくらいなら、何も知らない方がよかった――
と思ったが、いったん狂ってしまった歯車は、狂いっぱなしになってしまうという仕方のない宿命を、その時のえりなは味わったのだ。
そんなことがあって、えりなもネコは好きになれなかった。犬は好きだった。実家でも犬を飼っている。中型犬の柴犬である。
「犬は人について、ネコは家につくっていうからね」
と、母親が言っていたが、まさにその通りだと思った。
犬の従順さは実に自分に合っている気がしたが、ネコだけは見ていても可愛いとは思えない。犬の目にはまなざしを感じるが、ネコにはまったく感じない。夜でも見えるネコ目は、気持ち悪さしか感じさせず、ネコを従順だと比喩する人の気が知れないと思うようになっていた。
えりなも大学に入ると、少しは色艶な話をすることもあった。友達に下ネタが好きな人もいて、そんな人を相手にカマトトぶっていても、仕方がないと思った。
えりなは、その時レズビアンという言葉を初めて聞いた。それはえりなが今まで下ネタを得意としない友達が多かったわけではなく、友達自体が少なかったからだ。高校時代などは受験に明け暮れていて、まわりを皆ライバル視していたため、自分から心を閉ざしていたのだろう。
――大学に入るためには、何かを犠牲にしなければ――
という思いが強かったが、友達を作らないことが犠牲だとは思わなかった。
むしろ、ライバル視することで自分のやる気を起こさせるということで、仮想敵国の意味合いを持つことで、自分を正当化しようとしていた。
めでたく大学に入学できたが、
――私は何を犠牲にしたんだろう?
とえりなが考えるほど、自分が何かを犠牲にしたという意識はなかった。
それは自分が気付いていないだけで何かを犠牲にしたのかも知れないが、その思いを誰が分かるというのか、答えが出ないまま、大学生活に突入した。
その思いが、えりなにあり、自分から友達を作ることはなかったが、大学というところは自分から動かなくても相手の方から友達になってくれるもので、そういう意味ではえりなのような存在は、友達の間で珍しいという意味も込めて、重宝されていたようだ。
えりなにとって大学二年生までは、友達から言われるままという生活が続いた。
しかし、それは表向きのことで、実際には彼女には一人の恋人がいた。それは男性ではなく女性だという衝撃を知っている人が本当にいたのだろうか?
しかも、えりなは同時期に他の男性とも付き合っていた。
彼には従順な姿を見せていたが、本当に好きだったわけではなかった。
えりなと付き合っていた女性が、
「えりなさんは、男性ともお付き合いしておくべきだわ」
と進言した。
彼女はベッドの中ではえりなに従順だが、自分の意見はハッキリとえりなにぶつけていた。えりなも彼女の意見を真摯に受け止め、その考えを分かっているつもりでいる。
「ええ、分かったわ」
ただ、なぜ男性と付き合わなければならないのか分からなかったが、彼女にしてみれば、えりなが男性から受ける愛撫を身体が覚えていて、それを自分にしてくれるのを望んでいたというのが本当の理由だろう。
彼女はえりなに隠しておきたい気持ちは口に出すことは決してしない。えりなも彼女によこしまな気持ちがあったとしても、それを決して疑ったりしない。そんな関係だったのだ。
――本当に愛しているんだろうか?
と、自らを否定してみたが、否定するだけの根拠もなければ、肯定する根拠もない。
だから、
――身体だけの関係だとしても、それはそれでいいんだ――
と思っていた。
快楽の中から生まれるものが何かあると思っていたからだが、一年ほど付き合ってみて、快楽から生まれるものが何もないことに気付くと、急にこの関係を冷めた目で見ている自分がいることに気付いた。
しかし、だからと言ってすぐに別れを決断したわけではない。客観的に見ている自分を感じることで、その状況を楽しんでいる自分を感じたのだ。それは自虐ではなく、客観的に自分を見るという普段なら味わうことのできないアブノーマルともいえる感覚に快感を感じていたのだ。
――私って変態なのかしら?
レズにアンの関係にありながら、いまさら何を言っているという感じなのだろうが、その時のえりなは、変態であるということに悪い気はしなかった。それこそ変態と言えるのだろうが、別れは自分からだけではなく相手からも宣告されるものであり、気が付けば彼女の方から別れを宣告するに至っていた。
――まあいいわ――
その時に彼女がネコであったことに気付いた。
―ーなるほど、ネコは人につくのではなく、家につくって言っていたのを思い出したわ――
と感じた。
えりなは、そんな彼女を好きになった。そして、自分が一時期に複数の人と付き合えるほど器用ではないことにも気が付いた。その思いを彼にぶつけた。
「ごめんなさい。私、器用な女じゃないの」
相手は、
「何を言っているんだ?」
あまりにも唐突に言い出したので、相手はそれが別れ話だと思わなかった。
えりなも、別れ話のはずだったのに、唐突に主語もなしにそんなことを言い出したのだから、本当に別れを望んでいたのか、分かったものではなかった。
だが、相手はそのことを理解したようだ。
「そうか、別れたいんだな?」
と相手から言われると、急に怯んでしまった自分を感じた。
「あ、いえ、そんなことは」
と言って、それ以降の言葉を飲み込んでしまった。
その瞬間に、相手にはえりなの気持ちが完全に分かってしまったようで、
「君に対しては、思ったことをそのまま言った方がよさそうだ」
「どういうことなの?」
「君は、僕の他に違う人とも付き合っていて、その人一本にしたいので、僕との別れを切り出した。でも、いざとなると、僕との別れに躊躇した。それは僕が可愛そうだからとか、未練があるからというわけではなく、もったいないという思いからなんだ。そこには男女関係としての気持ちがあるわけではなく、ここで別れてしまうと、あとで後悔しないかとか、損得勘定が頭をよぎった。そんな君に対して、僕は卑怯だという意識しか持っていない」
ズバリ指摘されたと思った。
「じゃあ、どうすればいいの?」
「そんなことは僕には分からない。でも、君は自分の気持ちを隠すことのできない人だから、相手を平気で傷つけてしまう。しかも、人を傷つけたという意識がないから、厄介なのさ。僕にはそんな君とこれ以上付き合っていく気もないけどね」
と、相手から逆に最後通牒を突き付けられた。
えりなにとって何がショックだったのかというと、彼の口から、損得勘定という言葉が聞かれたことだった。損得勘定などという言葉は、自分には関係のない、他の人に当てはまることだと思っていただけに、ショックだったのだ。