短編集38(過去作品)
山の上に光るものが見えた。どうやらお寺があるのか、赤く見えるものはどうやら五重塔のようである。歴史的なことはあまり詳しくないが、確かこのあたりは昔古戦場だったと聞いたことがある。戦いのあった頃、五重塔は今と同じ佇まいで、人と人の戦いを静かに見つめていたのだろうか。
五重塔から下界を見下ろしている光景を思い浮かべる。さぞや壮大な光景であろう。自分の乗っている電車など、まったく意識していないに違いない。
やっと着いた目的地、駅前にロータリーはあるが、バス路線もなく、実にこじんまりとしたところだった。商店街があるといっても店は半分以上閉まっていて、活気などあろうはずもない。過疎地というのはこういうところをいうに違いないと感じたものだ。
訪問先の営業車が迎えに来てくれていた。小さなバンの横には会社名が書かれていて、あまり目立たないがシックな感じが清潔感を感じさせた。
「それにしても、よくこんなところに会社を作りましたね。従業員の方々も大変だ」
確かに土地代や光熱費などを考えれば安いだろうが、従業員のことを考えると、さすがに胸が痛みそうだ。もし自分がここにある会社に就職するとなると考えるだろう。カルチャーショックは私生活にどれだけの影響を与えるか分からない。私生活に掛かったカルチャーショックはそのまま仕事に影響してくるに違いないからだ。
しかし、迎えに来てくれた人は穏やかにニコニコしながら、
「いや、そんなことはないですよ。私も最初ここに来た時、何というところまで来てしまったんだって思いましたけど、住めば都とはこのことで、結構楽しいですよ。食事はおいしいし、自然はいっぱいだし。でも、若い人たちは慣れるまでに時間が掛かるかも知れませんね」
まだ中間管理職といってもいいくらいの年齢の人から出てくる言葉には思えない。本当にここは住めば都なのだろうか?
会社に到着すると社長は待っていてくれた。商談といっても顔見せに近いもので、大方の話は橋爪専務が下地を築いてくれていたことで話がとんとん拍子に進んだ。社長も辻本を気に入ったようだ。
「君もここで住んでみればいい。なかなかいいところだよ」
「いやぁ、私は貧乏性が似合っているのか、どうも静かなところに住むのは苦手なんですよ」
小さい頃から、落ち着きのない子供だった。だから田舎に来るのが落ち着いた気分になれるので好きなのだが、これが住むとなると想像もつかない。
「しかし今日は田舎ならではの旅館に泊まれるので、そこなら落ち着いた気分になれるはずだよ」
会社を早めに出て、接待もほどほどに、宿でくつろげるように手はずを整えてくれたのは、社長の心尽くしだろう。接待を受けて宿に着いたのは午後九時頃だった。
「温泉にでもゆっくり浸かれば、都会での疲れなど吹っ飛ぶぞ」
と言って、社長は宿の前まで送ってくれた。
あまり呑める方ではない辻本にはありがたかった。あまり呑めないということを専務から聞いて知っていたのかも知れない。ここの社長というのは、親密になると思ったよりも気が利く人のようである。相手に気を遣わせることのない気さくな性格が相手に安心感を与えるのだ。
「ではまた明日、朝の十時前に」
その時間までゆっくりしていればいいということだ。今日は商談といっても顔見せで、本格的な話は明日ということになった。それも社長独特の気の遣い方なのかも知れない。
宿の前にはたいまつが焚かれていて、最初はまるで戦争の陣のように感じてしまい、思わず苦笑いをしてしまった。考えてみれば高級料亭や、高級旅館にはよくあることではないか、それにしても予約の時に確かめた宿泊費から想像していた宿の雰囲気からすれば、ワンランクもツーランクも上に見えた。
「いらっしゃいませ」
女将が中から出てきたが、その出で立ちはさすが女将という着こなしをしている。着物のことはよく分からない辻本が感じるのだから、それだけ最初のインパクトに圧倒されている。
「お世話になります」
と言って中に入ると、従業員の人たちが中で一列になって待っていた。
――おや――
女将さんと同じように頭を下げていた人たちが顔を上げると、一様に不思議な視線がこちらに向けられている。一体どういうことなのだろう?
「お客様、こちらでございます」
といって、頭を下げているのだが、頭を下げながら視線だけは目を剥くようにしてこちらに向けられている。一種異様な雰囲気が漂っている。
――気のせいだろうか――
とも思ったが、異様な雰囲気を感じたのは、従業員の人たちの視線のせいだけではなかった。
女将さんの凛々しい姿とは打って変わっての従業員の視線、それに加えて旅館に入ってからすぐに感じていた異様な臭いに気を取られていたからかも知れない。
最初はそれが何か分からなかった。何となく煙たさのようなものを感じ、
――誰かの供養かな――
と思ったのは、線香の臭いだと感じたからだ。
しかし、線香の臭いにしては少し変である。煙たいだけではなく、臭いに何か懐かしさのようにものを感じ、それが何であるかということを無意識のうちに考えていたからなのかも知れない。
大学時代におかしな友達がいた。趣味がお香を焚くことで、部屋に行くと異様な臭いが立ち込めている。しかしその臭いから嫌な感じが払拭され、また訪れてみたいと思うようになっていったのは不思議だった。お香には、人を引きつける魅力があるのだろう。
その時とは少し環境は違うが、その時に感じたお香の香りに雰囲気だけは似ている。だが今感じている懐かしさはそれではない。雰囲気からすべてに懐かしさを感じるのだ。
――目を瞑れば浮かんでくる光景――
そんなイメージが頭の中にあった。
「お客様、こちらです」
客間へ案内してくれたのは、四十過ぎの女性であった。きっとこの旅館に勤めてから久しいのではないかと思うのは、以前にも見たことがあるような気がしたからだ。そこに違和感はないのだが、どちらかというと女将さんの記憶がない方に違和感がある。きっと異様な臭いのせいで少し感覚が狂っているのかも知れない。
客室まで思ったよりも遠くなかった。表から見た広さよりも、中に入れば意外と狭いのかも知れない。
「こちらは、来ていただいたお客様が静かにお過ごしいただけるように、宴会場などは設けておりません。団体客はない旅館ですので、そこがいいのでしょう」
団体客がいないというのも珍しい。きっとあまり宣伝もしていない旅館で、口コミや紹介で訪れる人や、常連さんで成り立っている旅館なのかも知れない。
案内された部屋は決して広い部屋ではないが、狭いなりに綺麗に清掃されていて、狭さを感じさせない。この部屋の魅力は、最初に狭いと感じさせておいて、徐々に広さを感じてくるところにある。これが逆なら嫌だろう。最初に感じた思いより、徐々によさを感じさせる演出は見事としか言いようがない。
――ひょっとしてそれを感じるのは自分だけかも知れない――
とも思ったが、女将さんの顔を思い出すと、計算された強かさを感じていたが、至れり尽くせりは実に嬉しい限りである。
「ありがとう。ここからの眺めはなかなかだね」
作品名:短編集38(過去作品) 作家名:森本晃次