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短編集38(過去作品)

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 一種の覚醒剤の類だが、そこまで言ってしまうとあまりにも大袈裟で、問題が多い。
「たかがコーヒーに何を言ってるんだ」
 とコーヒー談義の最中、麻薬という言葉が飛び出してきた時の話だが、なまじ嘘でもないだけに相手の顔も苦笑いだった。
「たかがというが、されどでもあるだろう?」
 確かにコーヒーの持つ特異性に助けられたことは何度もあった。眠っちゃいけない時にコーヒーを飲むことで眠気が覚めたこともあった。そこまでカフェインの効力が強いものかと半信半疑だが、少なくとも眠気を覚まさせるという先入観がカフェインの効力にプラスアルファを与えたのかも知れない。
 されどという言葉、確かに印象に残る。たかがとくればされどというのは枕詞のようだが、まさしくその通りだ。たかがという言葉の裏には、印象以上の何かが潜んでいることを感じて使っているように思えてならないからだ。それがたとえ無意識であっても変わることはない。
 コーヒーを飲んでいると、リッチな気分になれる。
 それは紳士的な気分になれるということで、贅沢な時間を使っているように思える。だからリッチな気分になれるのだ。これが喫茶店でコーヒーを嗜む最大の理由であり、醍醐味なのだ。至高の時を過ごしていると言ってもいいだろう。会社では毎日仕事に追われ、気を抜く暇もない辻本である。余計に贅沢な時間が貴重になってくる。
 ゆっくり駅へと向かうが、日はすでに昇っていて、少し汗ばむようだが、目的地が温泉ということで、仕事以外の楽しみが頭の中にあった。きっと頭が仕事モードに戻るのは、電車が目的の駅に着く少し前ではないだろうか。それがいつもの辻本で、長所の一つだと思っている。
 まだ営業に慣れていない頃は、たえず営業や仕事のことが頭を離れなかった。気持ちに余裕がなくなり、車を運転していても、電車で移動していても、仕事のことで頭がいっぱい、そんな毎日だった。
 しかし、移動中に営業資料が気になって見返すということはない。途中で見てしまうと気持ちが会社を出る前に戻ってしまうからだ。時間の逆行だけはしてはいけないというのがポリシーだったが、それは今でも変わっていない。
 気持ちのゆとりというものが、時間に与える影響を知ったのは最近のことだった。
 それまであくせく仕事をしていて、
――時間が足りない――
 と思っていても、気持ちにゆとりを感じると、時間に余裕ができたような気がした。ゆとりというのは何でもいいのだ。仕事のことを考えていた時間を少しでも他の時間に回せる。辻本の場合、それが趣味だった。
 辻本は中学の頃から絵を描くのが好きだった。休みの日は今まで何もすることがなく、一人でビデオを借りてきて家で見ていたり、本屋を回ったりする程度だった。趣味もこれと言ってなく、絵画が好きだったこともいつの間にか忘れていたくらいだ。
 朝寄った喫茶店で、最初に絵画に目が行くのも当たり前というものである。
――絵を描いている時の自分は自分じゃないんだ――
 と思っていた。
 趣味に熱中している時というのは、絵画に限らず自分の世界を作って、その中で集中している。辻本は思う。
――まるで夢の世界のようだ――
 夢の世界というのは、誰も入ってこれないその人だけの世界である。集中しているかどうかは分からないが、無意識に集中しているのだろう。何しろ他の人には想像できないことでも、その人にとっては当たり前のこととして描かれる。だが、それも潜在意識の範囲内でだけのことである。
――夢は潜在意識が見せるもの――
 というではないか。いくら夢であっても想像以上のことを見ることは不可能だ。きっと夢をつかさどるもう一人の自分がいて、夢を見ている瞬間だけ現われるに違いない。しかも夢を見ている本人の知らないところであるに違いない。
 気持ちにゆとりができたから、時間に余裕を感じるようになったのだろうか?
 時間に余裕ができたから気持ちにゆとりが生まれたと言えなくもない。気持ちにゆとりを持つためのきっかきにはいろいろあるだろう。それが時間に余裕ができたことであるならば、その余裕を与えてくれたのが気持ちだったという思いを抱いても不思議はない。どちらが最初にしても、同じ次元のことなのだ。そして同時に感じられればその思いは数倍にも膨れ上がるだろう。いい意味での相乗効果である。
 その相乗効果を与えてくれたのも夢のおかげと言えるだろう。夢はいい夢も見せてくれるが、嫌な夢も決して少なくない。一番自分をリアルに写しているのは夢だったりするのだ。
 目的地まで、電車で約二時間、それほど遠いところではないが、
「仕事が終わってからの時間にしてほしいのですが」
 という相手の要望に答えることで一泊となった。ちょうど他にその日は営業予定もなかったので、一日かけてゆっくりできると思った。
 久しぶりに知らない土地に行けるという喜びは、小学生の頃に感じた旅行の前の日と同じである。前の日に気持ちが高ぶってなかなか寝付かれなかったことを思い出す。
 電車に乗ってしばらくは見慣れている都会のビルを眺めていたが、そのうちにビルが減り、住宅が減り、その代わり田んぼが目立つようになった。
 田んぼを最初に眺めていたが、次第に視線は遠くを見るようになり、行きつく先には山が見えていた。山脈の様相を呈しているのか、同じような高さがずっと続いていて、ところどころで突き出している三角形が印象的だった。
――こんな光景も夢で見たような気がするな――
 というのも、夢というのが潜在意識だけが見せるものではなく、願望が見せるものでもある証拠であろう。
――こんな景色を描きたい――
 常々学生時代に感じていた光景である。今でこそ仕事にどっぷりと浸かってしまい、絵画の心を封印しているので、なかなかそんな気にもならなかったが、実際に見る光景は、久しぶりに芸術というものに対しての気持ちを高ぶらせるに十分だった。
 じっと見ていると、目の前の田んぼが飛んでいくような光景と違い、ほとんど微動だにしない山の力強さを感じることができる。山の向こうにも果てしなく世界が広がっていることは分かっているのだが、今目の前に繰り広げられている光景だけが、大パノラマを形成しているようで、創作意欲を十分に掻き立てられた。
――今度の休みには、絶対キャンバスに向おう――
 学生時代を思い出し、一人悦に入っていた。決してナルシズムでないことは、芸術を志した者であれば分かるだろう。そして何よりも辻本自身、今の自分に輝きを感じているのだった。
 日に当たって、緑が映えて見える。遠くの方に見える山なのに、影になったところが綺麗に見えるようで、立体感に溢れた山肌であった。まるで浮き上がって見える様はいかにも創作意欲を掻き立てられる。
 最近視力が落ちてきたことを気にしていた辻本だったが。遠くの緑を見ることで、幾分か視力が回復したという話も聞いたことがある。見つめていて飽きるものでもないし。しばし時間を感じることなく見つめていられることが嬉しかった。
作品名:短編集38(過去作品) 作家名:森本晃次