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短編集38(過去作品)

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 入院の原因になったのは何かということを思い浮かべてみた。離婚問題もかなり精神的にダメージを与えたが、やはり仕事からのストレスが大きかったはずだ。元々仕事のストレスが、見えない不満となって家庭生活に影響していたように今なら感じることができる。
――美恵子にも辛く当たったのかも知れないな――
 分かってきただけに、頑なになっている妻の態度が忌々しい。いや、それよりも、もっと早く気付いてあげられなかった自分が忌々しい。これではストレスが溜まる一方である。
 とにかく一生懸命にやっても報われなかったのだ。入院したからといって、会社が保障してくれるわけではない。社会通念上、最低限の保障しか会社はしてくれないのだ。
――何のために頑張ってきたのだろう――
 怒りを通り越してやるせなさだけが残ってしまった。
 そういえばバブルが弾けた頃のサラリーマンは、
「趣味の一つでもないと、今の世の中生きていけない」
 と言われた時期があった。給料がカットされ、それに伴って残業をしてはいけないといわれた時期、その頃は仕事人間が一歩会社を離れると、何も残っていないということが社会問題ともなった時代である。
 ちょうどその前後に入社した幸一にはよく分からない話だった。
――当たり前のことじゃないか――
 仕事人間というのを知らないので、会社を離れて趣味がないからといって、それが何の問題になるのか分からなかった。気分転換さえできればそれでいいと思っていたのだが、会社人間には、その術を知らない。
 趣味がなければ当たり前のことで、特には何の趣味もなかった幸一には分からない世界だった。
 だが、会社人間というのは二通りいるようだ。
 仕事が好きで生きがいとまで思っている人が自分を顧みることなく仕事に没頭するパターン。そして、自分の意志とは関係なく、会社での自分の立場が仕事を作り、それに追われる毎日を過ごしている人。どちらも会社人間と言ってもいいだろう。
 もちろん幸一は後者だった。
――仕事だから仕方なくやっている――
 という思いをいつも抱いている。
 仕事を真面目にこなしても、結局次はさらに大きなノルマがのしかかってくる。出世をするかも知れないが、出世をしても給料と仕事のバランスからいえばわりが合わないだろう。
 そう考え、適当に仕事をするようになってしまった自分に最近気付いた気がする。
 要領がいいというのとは少し違う。気持ちとしては、
――損をしたくない――
 という後ろ向きの考え方だ。
 知らず知らずのうちに消極的な人間になっているのに気付いた。二十代の頃は、仕事をするのが好きだった。自分のした仕事がすぐに形となって現れたからだ。成果がすぐに分かればやりがいも出てくるというもので、今となってはその頃が懐かしい。
 同じ会社なのに、どうしてここまで違ってくるのか分からないことが、そのままストレスに繋がった原因だろう。
――若さがなくなってきたんだろうな――
 年齢とともに、それなりの責任が掛かってくることに納得はできるが、成果を正当に報償として値するものかどうか疑わしい。考えれば考えるほどやりきれなくなってくる。
――よく誰も文句一つ言わずに仕事ができるな――
 と感じるが、かくいう幸一本人も、口に出すことはない。ただ顔に出ていることは自分でも分かっていて、態度にも露骨に出ていることだろう。
 そんな思いも小説を書いていく上での材料になる。
 書けなかった頃というのは、何を材料にしていいのか分からなかった。目の前に見えていることだけをそのまま表現するだけで、描写というのが思い浮かばなかった。
 描写というのは、情景だけではない。心の変化も描写と言えるだろう。少なくとも三十年以上も生きてきた中で、成長期から今までさまざまな心の変化を潜ってきた。紆余曲折あり、七転八起、いろいろなことがあった。
 あまりにもショックなことがあると他人事のように感じることもある。逃げ出したいという潜在意識が働いているのか、それとも誰かが助けてくれるという願望が強いのか、麻痺した感覚が何かを訴えている。
 それもすべて後から考えて思い出すものだ。どうしてその時に気付かなかったのかと後悔することばかりである。
 小説を書く気持ちになったのは、仕事をしても報われない自分に対しての気持ちからだけではない。もう一つ大きいのは、小夜子に会えないもどかしさだった。仕事に対しての思いだけであればまだしも、病院というところは、楽しいことをも遮断するところである。ネットをストレス解消だっただけでなく、これから自分が立ち直るためのステップとして考えていただけに辛いものがある。
 そんな思いを小説にぶつけていると、結構進むものだ。すでに喫茶店で描写しなくとも頭の中で描写が自然と浮かんでくるようになっていた。イメージはすでに幸一の中にあるのである。
 小説を書く上で、どれだけ自分の経験が役に立つか分からない。経験が豊富なのか貧困なのか分からなくとも書けることは自分の経験からがほとんどである。
 主人公はもちろん自分、そして今感じることができる相手は、まだ見たことはないが小夜子だった。
 勝手な想像が膨らむ中で、かつての恋愛を思い出していく。その中で勝手に小夜子に対しての自分像が作られていくのだ。
――小夜子とは一体どんな女性なんだろう――
 入院前にはそれなりに想像していたはずなのだが、入院してネットや小説から離れて久しい。その間に自分が自分ではなくなったのではないかとさえ思えるほどに長かった。
 これからもう少し入院期間があるようだが、小説を書けるようになるとかなり違うはずだ。
 今までの入院期間で一番自分を感じたのは眠っている時だったというのも皮肉なものだ。寝ている間に見ていた夢が起きてからもしばらく忘れられない。
 夢というと起きてからすぐに忘れてしまうものだろう。いや、現実に引き戻される時に忘れていくもので、起きた瞬間にはすでに記憶にない状態になっていることも多い。
 だが、夢は記憶から消えうせてしまうものではない。記憶の奥に封印されてしまうものだと幸一は思っている。
 入院中の夢は目が覚めてからもすぐに記憶の奥に封印されてしまうことはない。しかも入院するまでは、夢をあまり見ていなかったのに、入院してからはほとんど毎日見るようになっていた。
 夢を見ていなかったと感じたのは覚えていないからではない。記憶の奥に封印されたとはいえ、夢を見たということは意識にあるのだ。
 夢というのは、印象深いものだけを覚えているものだ。それは、普段から考えていないことというわけではない。実際に意識していることがそのまま起こっても、それは印象深いものだ。幸一の夢は後者が多いかも知れない。特に今は寂しいという気持ちと、仕事でいっぱいいっぱいの自分を癒してほしいという気持ちが強いからだ。
 それができるのが今の段階ではネットの中のまだ見ぬ小夜子である。小夜子をイメージすればするほど、幸一は夢の世界へと誘われる。
 夢から覚めて最初に感じるのは、
――これってやっぱり夢だよな――
 と思うことだった。夢にしてはリアルなのはなぜだろう?
作品名:短編集38(過去作品) 作家名:森本晃次