短編集38(過去作品)
十代後半というと、疲れを知らない年齢でもあるはずなのに、何もしていなくても夕方の時間になると身体にだるさを感じるのだった。それは毎日のことで、錯覚なのだと思っていたが、だるさは身体に心地よいものだったので、敢えて気持ちよさを味わっていたような気がしていた。
友達の今住んでいるアパートはさすがに大学時代よりもいいところになっている。マンションというよりコーポといった感じだが、あの頃のような貧乏学生が住む木造アパートとは訳が違った。
その頃に友達が住んでいた木造アパートは遠回りになるのだが、敢えて遠回りになる道を選んで歩くことにした。せっかく大学時代を過ごした懐かしい街に来たのだから、当時を少しでもたくさん満喫したいと思うのは自然な気持ちだった。
身体にだるさを感じているのは、夕焼けが出てきたことにも影響しているのかも知れない。この街は、比較的夕焼けを見ることができるところで、他の街で見る夕焼けよりもさらに赤い色が気になっていた。決して赤が強調される色ではないにもかかわらず、明るさが強いのはなぜであろう。影もクッキリと見えていて、目を瞑ると目の前に真っ赤な残像が残っていそうである。まわりが赤いと感じるところでそこまで感じたことはなかった。
小さい頃に住んでいた街でも夕焼けはあった。
その頃は、工場がまわりにあるような街に住んでいて、近くにある川越しに工場を見ていた。煙突から噴出す煙は、夕方まで続いていて、むしろ夕方の方が黒煙を容赦なく噴出しているように思えるくらいだった。
真っ赤な空に吸い込まれていく黒煙、広大な空が黒煙ごときで変わるようなはずはないのだが、少し黒っぽさを帯びて感じるのは気のせいだろうか? 大学時代に見る夕焼けとの違いは黒煙があるかないかである。
夕焼けを見ると、今でも工場の臭いを思い出す。ゴムの焼けるような何とも言えない臭い。煙突から絶えず噴出す黒煙に小さい頃は感覚も麻痺していたように感じたが、今でも思い出すのは、その臭いである。
嫌な臭いであるが、悪臭と分かっていてもそれ以上に懐かしさを感じる。それはタバコの臭いにもいえるのだ。
今でこそ禁煙ルームが増え、喫煙者にとっては肩身の狭い思いをしなければならないが、有田のような嫌煙家にはありがたいが、有田の父親がヘビースモーカーだったということで、
――タバコの臭いは父親の臭い――
として自覚していた。
大人が感じる「嫌な臭い」というのは、得てしてそういうものが多いかも知れない。子供にとっては懐かしい臭いとして記憶にあるのだろうが、自分が大人になると、
――子供には嗅がせたくない――
と感じる臭いである。
工場の臭いもそうだった。風向きによってはかなりの公害である。だが、いつも川原で遊んでいて感じていた臭いなので、心地よい身体のだるさを感じる時間帯である夕方を思い出すのだ。ちょうど空腹の時間帯で、よく気持ち悪くならなかったものだ。
大学時代の懐かしさを通り越して、子供時代を思い出すなど、考えただけでも笑えてくるが、それだけ臭いというものが記憶にもたらすものの大きさを再認識させられた。
「やあ、久しぶりだね」
真田の部屋はこじんまりと片付けられていた。大学時代の学生アパートは、いかにも貧乏学生が住んでいそうな佇まいだったが、部屋の中は小綺麗に片付けられていたのを思い出した。
「相変わらず、元気そうで何よりだよ」
学生時代に何かあって相談するのはいつも有田の方だった。それだけに有田にとって真田は友達であり、まるで兄貴のような存在でもあった。そんな真田が有田に相談があるというのだ。
――人から相談を受けるようになったんだ――
というのは喜ばしいことなのだろうが、それ以上に、あの真田が相談してくるのだからどんな難問なのかということを考えただけでドキドキしてしまう。
「まあ入れよ。コーヒーでも入れよう」
大学時代からコーヒーには目がなかった二人だったので、おいしいコーヒーを飲ませる喫茶店はいくつも知っていた。しかし、真田はその頃から自分でコーヒーを入れることに興味を示していて、サイフォンのセットなどを持っていたが、部屋に入った途端に感じた香ばしい香りは、まさしくおいしいコーヒーに舌鼓を打つことができるという感激に値するものだった。
有田もコーヒーを自分で作ろうとサイフォンのセットを買ってきて入れたりしたことがあった。しかしなかなか思ったような味にならずに断念せざる終えなかったのは、きっと性格的なものだろう。
一つのことに集中すると、他のことが疎かになるわりには、気が散りやすい性格であった。大学時代など、試験勉強を図書館でしていたが、すぐに気が散って十分とじっと座っていられない。
――図書館という雰囲気に呑まれてしまっているのだろうか――
とも考えたが、それよりも
――図書館は静かなものだ――
という先入観が余計な意識を植え付けてしまうのだろう。じっとしていられない性格も子供の頃からで、家族で旅行に行った時など、宿についてゆっくりしたいという親の気持ちが分からずに、はしゃぎまわったものだ。
「それが子供というものだよ」
人に話すと、そう言われるが、落ち着きのなかったのは事実ではないだろうか。親が一番心配していたのはそこである。
「もうちょっと待ってくれ。実は会わせたい人がいるんだ」
――女だな――
ピンと来た。
そういえば、大学時代に真田が女性に興味を示したところを見たことがない。まわりに女性がいる真田の姿を思い浮かべるのが困難なのだ。
「俺は別に女性嫌いというわけじゃないんだ」
と苦笑いをしていたが、真田は男から見て、男っぽさというよりも、男性っぽさがあるといった方がいいように思えた。
有田の感覚でいう男っぽさと男性っぽさというのは少し違う。男っぽさというのは、いかにも無骨なところのある人で、「オトコ」と表現できる。しかし男性っぽさとは、紳士的な人を表していて、そのくせ、自分の信念は絶対に曲げないような力強さを醸し出しているような「男性」を意味していた。
真田は、まさしく我道を行くタイプの男性で、考え方も他の人から見れば変わった性格に見えたかも知れない。少し理屈っぽいところがあり、自分の話題に一旦入り込んでしまうとずっと話をやめないだろう。
そんな真田に女性の影を見ることはなかった。大学時代から一晩でも二晩でもいろいろな話をしていたこともあったが、女性の話題になると、相槌を打つだけで、なかなか本音を話そうとしない。
――女性の話題を避けたいのかな――
とも思ったが、かといって嫌がっている様子でもない。他人事として話をする分には何の問題もないようだった。当時から普通の大学生のように興味を持っている女性のことで話を聞いてもらいたいという願望のあった有田にとって、それだけで十分だったのだ。
真田という男性は、有田にないいいところをいっぱい持っていた。
一つのことを考えていると、他のことにまで気がつかず見落としてしまうことが多いわりに、気が散りやすい性格である有田には、一つ一つのことをキチンと整理して物事に当たっている真田の姿は、それだけでも尊敬できる。
作品名:短編集38(過去作品) 作家名:森本晃次