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短編集38(過去作品)

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 そこに置いてあったのは砂時計である。最後いつ誰にひっくり返されたか分からない砂時計が、ひっそりと佇んでいる。
 砂の色は青で、本当はきめ細かい砂なのだろうが、明るすぎるくらいの照明のため、粒が大きく見えていた。
 思わず手に取ってひっくり返してみる。最初は勢いよく落ちていくように見えた砂が次第にゆっくりと落ちてくるように見えてきた。
――目が慣れてきたのかな――
 と感じたが、そもそもこの砂時計は何分計なのだろう? 分からずに見ている。
 明るく当たっている光のためか、砂時計の影が横に伸びている。砂の落ちるところもしっかりと影に映っていて、これより少しでも暗ければ、落ちる影をくっきりと見ることはできないだろうと感じる。
 砂が半分くらい落ちたところで少しまわりを見渡してみた。最初はあれほど明るかったにもかかわらず、目が慣れてきたのか、少し暗く感じるようになっていた。どうしてなのかと考えていたが、蛍光色が強かったと思っていたのが、今はそれよりも黄色掛かって見えるようになっているからだ。
――考えてみれば、裸電球なのだから、最初からこれが本当だったんだ――
 と思ってあたりを一周するように見渡していた。
 もう一度砂時計に目を戻すと、まわりを見渡したのがあっという間だったように感じていたのに、すでに砂はほとんど落ちていた。
――最初、あれほど落ちるのが遅かったのに――
 と感じながら見ていると、砂時計に当たっている明かりだけは、まだ鮮明に蛍光色を残していることに気がついた。
――ここだけ世界が違っているようだ――
 影はくっきりと現われていて、砂が落ちたところも、痕として残りそうなくらいに感じられる。
――砂が光っている――
 と考えるのが一番自然な感じがして、砂が一番下まで落ちてしまっても、そのまま眺めていた。本当ならもう一度ひっくり返してみようと思うものなのだろうが、どれだけ時間が掛かるか分からないと思ったのでやめたのだ。
 じっと見ていると、その砂時計が欲しくて欲しくてたまらなくなった。眺めていてもきりがないと感じると、すぐに手に取り、
「これ下さい」
 と、奥で新聞を読んでいた親父に声を掛けた。
「いらっしゃい。この砂時計ですね」
「はい」
 お金を渡すと、白い箱に入れて、簡易包装をしてくれた。お土産としてこんなものを買っていく人が他にいるのだろうかと思いながら、有田は受け取った。
 親父の顔がニヤけているように見えたのは気のせいだろうか。やはり、お土産として置いていたのではなく、買ってくれれば儲けものという程度で置いていたのかも知れない。その日、砂時計を買ったのを、まるで夢のようだと思う有田だった。

 翌日営業が忙しく、慌ただしい状態のまま出張から戻ったこともあって、かなり疲れて帰宅した。帰宅したのは深夜になっていただろうか。その日は何も考えることなく、眠りに就いた。
 気がつけば着替えもせずにベッドに横たわっていた。起きた時間は朝の五時前、まだもう一眠りできる時間だった。
――よほど疲れていたんだな――
 それまでに着替えもせずに眠りこけていたことは数回あったが、途中で起きることはなかった。生活のリズムが忙しいなりにしっかりしていたのか、起きる時間はいくら疲れ果てて寝ていてもいつも同じだった。
 途中で起きるというのは、疲れというよりも、出張という気持ちの高ぶりが影響しているのかも知れない。
 目が覚めてはいたが、身体を起こそうとまでは思えなかった。目だけは部屋の隅々まで見渡そうとしているのは、そこが本当に自分の部屋なのかを確かめたいと思うからで、昨日まで出張に行っていて、久しぶりに自分の部屋にいるということを必要以上に感じているからに違いない。
 出張から帰ってきてからの自分の部屋が急に狭くなったような気がした。一時的な感覚だったが、環境が変われば、いつも見ているものが違って見えることに気がついた瞬間でもあった。翌日からはいつもの生活に戻ったが、それからも時々出張はあった。もちろん最初に出かけた街への出張もあったが、最初のような感動を得ることはできなかった。
 そのせいもあってか、最近は砂時計を見るようにしている。正確な時間というものを分かるような気がするからだ。
 有田は今までに何人かの女性と付き合ってきたが、今は女性と付き合う気がしない。
 どうしてなのか分からないが、仕事に熱中しているからかも知れない。
 恋愛に関してはどこか臆病になっている自分に気がついていた。ついつい感情が入ってしまい、入れ込みすぎるところがあるので、なかなか長続きはしなかった。
 学生時代から、付き合い始めるまではいいのだが、せっかくいい雰囲気になっても、
「あなたといると息苦しくなるの。重荷になるって言った方がいいかもね」
 とかなりきついことを言われてその都度落ち込んでいた。
「あなたのような人にはハッキリと言わなければ分からないでしょうね」
 とまで言われたこともあり、当然、身体の関係にまでなった人はいなかった。
 その度にいつも試行錯誤を繰り返す。
「有田はいつも考えごとをしているな」
 と言われるのも、そんな試行錯誤の表れだった。
 試行錯誤を繰り返していると、物忘れが激しくなるという弊害が出てくるようだ。仕事をしていて、しかも営業ともなるとかなりきつい。しかし、今のところ仕事での大きな失敗もなくこなせているのは、物忘れの激しさは仕事にさほどの影響を示していないからかも知れない。
――些細なところでの物忘れが激しいんだ――
 と安心しそうになっていたが、そうは言ってもいつ仕事に影響してくるか分からない。事なきを得ているのは今だけのことであれば大変なことである。
 ある日、大学の頃の友達が、ある日会おうと電話してきた。
「実は少し相談があって聞いてほしいことがあるんだ」
「いいよ、僕の方も久しぶりに会いたいな」
 電話してきた友達は、大学時代一番仲がよく、下宿に泊まりに行っては、一緒に銭湯に通った友達だった。名前を真田といい、今でも時々思い出すこともあったくらいだ。彼は大学の近くの会社に就職したので、遠くに引っ越すこともなく、有田にとっては勝手知ったる、まるで庭のような土地に遊びに行くことになる。きっと懐かしい思い出に浸ることができるに違いない。気分転換にはもってこいであった。
 三年ぶりに訪れた大学時代を過ごした街、思ったとおり懐かしさに震えがくるくらいだった。春になると桜が満開になる線路沿いの道、ここを通って大学に通ったものだ。線路沿いの並木通りには桜は咲いていないが、思い出すのは入学した当時の満開の桜並木の風景だけだった。
 歩いていて心地よい汗を掻いている。やっと受験地獄から抜け出し、これからはバラ色のキャンパスライフが開けていると信じて疑わなかったあの頃、今でもしっかり思い出せる。
 歩いているのは夕方だったが、桜並木を通り過ぎ、大学まで近づいてくると、今度は身体にだるさを感じてくるのだ。
作品名:短編集38(過去作品) 作家名:森本晃次