記憶の中の墓地
本人としては、気持ち悪さが表には出ていたが、細かいことに気づく自分を喜ばしくも感じられた。
もちろん、一瞬感じただけなので、目に余る変化ではない。部屋の配置というよりも、どこかが違うという気配を感じたというべきか、すぐに気のせいだと感じるのはどうしてなのか、最初は分からなかった。
たまに変化を感じていたのが、次第に頻繁に感じるようになったことで、その理由を何となく分かるようになってきた。
――誰かの気配を感じるんだ――
最初に、
――気配の違い――
を感じたのだから、その気配が人によるものだとどうしてすぐに分からなかったのか、後から思えばそちらの方が不思議なくらいだった。
誰もいないはずの部屋に人の気配を感じるということは、正直気持ち悪いものだった。だが、どこか安心できる部分があるのも事実で、そんな時、父親から母親が生きていたという話を聞かされたのだから、部屋に人の気配を感じるようになると、それが母親ではないかと思うようになったとしても不思議なことではなかった。
「お母さんがたまに帰ってきているのかな?」
そう思うと、リビングのソファーに腰かけてみると、何となく柔らかさが感じられ、柔らかさの理由が、温もりであるのを感じると、いよいよ母親の存在が身近なものに感じられた。
「僕が母親を恋しがっているというのか?」
父親から母親の写真を見せられた時は、正直ビックリして、感動も何もなかった。
「いまさら何を言い出すんだ」
という思いが強く、余計なことを言い出した父親に煩わしさを感じたほどだ。
しかし、時間が経つにつれて、次第に母親を意識し始めるようになるだろうと思っていた正則だが、いつまで経っても母親を意識することはなかった。
部屋に人の気配を前から感じていたからなのかも知れない。存在をウスウス感じていたことで、母親への思いを徐々に高めてきた。そんな時、父親から母親の話を聞かされて、動揺はしないまでも、
――やっぱり、誰かの存在を意識したことに間違いはなかったんだ――
と感じた。
それは母親に対してというよりも、自分自身に対しての意識が深まった証拠なのかも知れない。
だから、いまさらという気持ちにもなったのだろう。
最初から存在を意識していたことで感じる「いまさら」、そして、意識の中心が母親に対してではなく、自分自身に対してであることへの「いまさら」。そのどちらの思いも父親から聞かされた母親のイメージを微妙に冷めたものにする要因になっていたのだ。
正則は部屋の変化に気が付いた時、実際に位置が変わっているわけではないことは分かっていた。それなのに違っているように感じたのは、差し込んでくる西日による影が微妙に違っていることに気が付いていた。
しかし、いくら微妙とはいえ、一日たりとも影の長さが同じ日があるはずのないことは分かっている。当然、冬から夏にかけては日一日と影は短くなり、角度も変わってきていることは分かっている。夏から冬にかけては反対に影は長くなるだろう。それを踏まえた上で、それでも違って見えるのを感じていた。
その理由は、父親が死んでから分かった。
――部屋を見た瞬間、広さに違いを感じるんだ――
部屋を出て行く時に感じた広さよりも、帰ってきた時に感じる部屋の方が若干広く感じられた。さらにもう一つ感じるのは、
――この部屋、凍っていたようだ――
部屋には湿気が感じられ、冷たさというよりも暑さすら感じるのに、凍っていたという発想はどこから来るのか、ひょっとすると、この湿気が凍っていたものが溶けた時に出てくる水蒸気ではないかと考えているのではないだろうか。
しかし凍っている空気というのが、時間すら凍らせる力を持っているのではないかと感じた。
子供の頃に見たアニメで、時間が凍り付いた世界を描いたものがあったが、その世界に入り込んでしまった主人公が見た光景は、すべてがモノクロで、カラー部分がまったくなかった。主人公だけがカラーになっていて、モノクロ部分が明らかに凍り付いているという情景を序実に表現していたのだ。
最初はその世界で動いているのは主人公だけだったが、後からもう二人、動いている人間が現れた。
一人は主人公の親友で、もう一人は主人公の彼女だった。
親友は聡明な男で、こんな状況でも冷静に判断することができる。主人公と主人公の彼女は、冷静に振舞っているが頭の中は完全にパニックになっていて、何をどうしていいのか分からずに、頭の中がフル回転していると感じていながら、実際には何も結論が出ていなかった。理由は頭の中で考えが堂々巡りを繰り返しているからであって、次第に堂々巡りの範囲が狭まってくるのを、状況に馴染んでいくにつれて感じるようになっていた。
それでいて、
――誰かが、この状況を理解できるまで待っていよう――
と、完全に他力本願になっていた。
もちろん、親友が聡明であることが分かっているから、彼が気が付くのを期待してのことだったが、その期待は外れることなく、親友の冷静な頭は次第に状況を把握していったのだ。
「この世界、完全に凍り付いて何も動いていないように見えるけど、実際には微妙に動いているんだぜ」
親友はそのことにすぐに気づいたようだ。
「どういうことだい?」
彼は最初から、スピードで動いていたものに着目した。
「ほら、この車、微妙に動いているだろう?」
さっきまで横断歩道の少し前だったのに、今は完全に横断歩道を通り越している。
「それに、あの歩行者用の信号、少しさっきよりも暗くなっていると思わないか?」
「言われてみれば、少し暗くなっているな」
「あれは信号が点滅しているのさ。だから、一旦真っ暗になってから、次第にまた明るくなるのが分かってくるよ」
「なるほど」
言われて見ていると、確かに真っ暗になって、完全に消灯してしまうのを感じたかと思うと、今度は明るくなった。暗くなるまでの時間に比べれば明るくなるまでの時間は結構早い。これも時間がゆっくり動いていなければ分かることではないだろうか。
テレビアニメでは、そのことをハッキリと分からせてくれた。子供なので、どこまでが本当なのか考える気持ちもなく、センセーショナルな展開に、すべてを信じてしまっている自分がいた。そしてその思いがそれから以降の自分の「常識」に、大きな影響を与えることをまだ知る由もなかったのだ。
自分の家のリビングに誰かの気配を感じるようになると、夕方家に帰ってきた時にリビングを見て、
「モノクロの世界だ」
と感じていた。
しかし、それがテレビアニメでかつて見たスローモーションの凍り付いた世界の発想と結びつけることをすぐにはしなかった。
もちろん、忘れていたわけではない。意識はしていたのも事実だが、結びつけることはしなかった。
ということは、意識的に結び付けようとしなかっただけで、結びつけてしまうことが怖かったのだ。
正則は、絵を描くようになってから、油絵よりもデッサンの方を主にするようになっていたのは、かつてアニメで見た、
「凍り付いた世界」
を意識していたからに他ならない。