記憶の中の墓地
「じゃあ、一体いつ顔を合わせるというのか?」
と聞かれたら、
「タイミングが合った時だけかな?」
というだけだ。
他人が共同生活をしている方が、よほどお互いを意識している。なまじ親子なだけに、下手に接触してしまうと、今の生活は変わってしまうだろう。
それをお互いに恐れている。しかも、二人は違った意識を持って恐れているのだった。
正則は、相手を父親だという意識は持っているのだが、父親というものに対して深く考えないようにしていた。しかし、父親の方は、相手を息子という意識はあまりないのだが、共同生活者としては意識しているようだった。ただ、気を遣うことはない意識であって、きっと他の人には理解できないものだろう。気を遣うことと、相手の立場を意識することは表裏一体のイメージで、切っても切り離せないものだという思いが強いからだ。
正則が父親として意識しながら、深く考えようとしないのは、本当の父親というものを知らないからだ。父親の方は、自分の父親、つまり正則にとってのおじいちゃんからどんな育てられ方をしたのか分からないが、父親としての威厳を感じていたのは間違いない。時代の違いと言えばそれまでなのだろうが、同じ血の繋がりから、ここまで違った意識を持つ家族が生まれようとは、ご先祖様も想像できるはずもなかったに違いない。
――俺は突然変異なのかも知れないな――
と正則は感じたことがあった。
しかし、突然変異というのはどういうことなのだろう?
他の人と違っているということなのか、それとも、正則の先祖代々受け継いできた遺伝子が、正則の代で突然変異を起こしたということなのか。
正則は自分の中に流れている血について考えたことがあったが、父親を見ていると、陳の繋がりというものがまったく分からなくなってくる。
正則は、
「突然変異を起こしたとすれば、父親の世代からではないか?」
と感じた。
しかし、父親がどんな遺伝子を持ってきたのかを分からないだけに、何とも言えない。自分と父親を比較してみたが、接するところは見当たらない。そもそもお互いに孤独でプライバシーという結界を大切にしているのだから、それも当然ではないだろうか。ただ正則は、突然変異をしたとすれば自分からではないかと思った。そこに関わってくるのが、まだ見たことのない母親の存在だった。
「お母さん、本当に死んだの?」
と、子供の頃に聞いたことがあった。
まだまだ大人の気持ちなど分かるはずもない、いたいけな子供の他愛もない質問だったはずなのに、その時の父親が自分を睨みつける目を見て、
――どうして、そんな目ができるんだ?
と、子供心に、すべて自分が悪いという意識を持ってしまうほどの威嚇を受けたのだった。
しかし、その顔を見て正則は臆したわけではない。却って、自分が父親に対して逆らってもそれは悪いことではないという思いが芽生え始めた時だった。
中学生のその時にはすでに、父親に対して臆することはまったくなかった。
――ふん、父親なんて、どうせ俺の親権者でしかないんだ――
という思いしかなかったのだ。
そんな正則の思いを知ってか知らずか、相変わらず正則に対して、気を遣っているのか分からない素振りをしている。正則にはそれが煩わしかった。
父親が家だけではなく、表でも同じようにそっけない素振りをしていて、まわりから相手にされていないというのを知ったのは、小学生の四年生の頃だっただろうか。それまでは自分に対してだけこんな態度を取っていると思っていたが、表でも同じような態度を取っている父親を見て、安心したのも事実だった。
何に対しての安心なのか分からない。だが、自分にだけであれば、
「悪いのは自分」
という意識を持ってしまうのだろうが、他の人に対しても同じであれば、それは父親の性格が及ぼす問題だからである。
――僕には関係ない――
そう思った頃から、正則は自分の中にある、
「孤独」
というものを意識するようになったのだ。
中学二年生のあの日、父親が自分の部屋に招き入れてくれたその時、
――こんなに狭い部屋だったんだ――
と、最初に感じた。
――そういえば、最後に入ったのはいつだったんだろう?
あの頃とは背の高さが違っているので、明らかに目線の高さが違う。広さに対して違って感じるのも当たり前のことだ。
しかし、正則は、最初からそのことを計算して部屋の中に入ったつもりだった。それでも狭く感じられるのは、それだけ最後に入った時のイメージが頭に残っていたということであり、さらに、その時に見た光景と、今とではほとんど部屋の雰囲気は変わっていなかった。
――まるで昨日のことのようだ――
それだけに、目線の違いが余計に狭さを感じさせたのだろう。
部屋の中は薄暗かった。照明はついていたのにどうしてこんなに薄暗く感じるのか、最後に入った時を思い出していた。
――あの時は、確か西日が入り込んでいたっけ――
いくら西日とはいえ、太陽の光なので、部屋の照明とは比べ物にならないはずだ。しかも、光には影を伴うもので、その影は太陽の光では絶対のものだった。
今日は、日もすっかり暮れてしまっていて、夕飯も済ませた後だったので、明かりは、部屋の照明だけだった。影があるのも意識できたが、その影が、昔入った時の太陽の光の影とは違い、大きめに感じられた。ぼやけて見えたからなのかも知れない。
狭く感じられた部屋に入ると、中央のこたつのテーブルに父親は腰を下ろし、正則にも座るように促した。
「実は、お前に見せたいものがあってな」
と、神妙な姿は相変わらずだった。
「なんだい?」
どう接していいのか迷いながら、何とか腰かけた正則だったが、
「これを見てほしいんだ」
と、手元に一枚の写真を見せてくれた。
そこには一人の女性が写っていて、その手には、赤ん坊が抱かれていた。
正則は嫌な予感がしたが、
「これはまさか?」
「そうだ、お前のお母さんだ。そしてこの手に抱かれている赤ん坊は、今目の前にいるお前なんだよ」
衝撃の告白のはずだった。
部屋は密閉された部屋のはずなのに、どこからか隙間風が吹いてきたのか、寒気がしてきた。季節は暦上はすでに春だったが、まだまだ寒さが残る頃だっただけえに、少しでも風が吹いてくると、寒さが込み上げてくるというものだった。
――どうしていまさら――
正則は父親を睨みつけた。
父親は一瞬ニヤリとしたが、すぐに顔が真面目な表情に変わった。ニヤリとしたことを相手に悟られていないと思ったのかも知れないが、その表情を正則は見逃すことはなかった。
「どうしていまさらと思っているんだろうね」
「ああ、もちろんさ。今まで俺が母親のことを聞いても教えてくれそうな雰囲気はまったくなかったじゃないか」
「もちろん、お前の性格からすると、聞いてくることはないと思ってはいたさ。お前を見ていると、よく分かる部分と、まったく分からない部分が両極端なんだ。でも、お互いに詮索しないというところはよく分かっているつもりさ」
「その通りだよ」