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記憶の中の墓地

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 母親のことだけではなく、麻衣子のことを知りたいと思うのは、男としての本能のようなものだった。
「麻衣子さんは、絵を描く時、見えているものを忠実に描く方ですか?」
 麻衣子は少し驚いたような表情をした。
「ええ、私はなるべく忠実に描ければいいと思っています。だから全体を描くのではなく、被写体を絞って描くことが多いんですよ」
「被写体を絞ると、忠実に描けますか?」
「……」
 麻衣子は返事に困ってしまっていた。
「ゆっくり考えればいいからね」
 というと、麻衣子は少し安心したような表情になり、
「私は、元々絵を描くというよりも、詩を書くことが好きだったんです。自然に囲まれたところで詩を思い浮かべていると、楽しい気分になります。特に詩や俳句というのは、ある程度短い文章で、自分の気持ちを最大限に表現するという意味で、とても楽しかった。結構嵌ってしまいましたね」
「僕も中学の頃、俳句に少し興味を持った時があったんですよ。今言われたように、限られた言葉で表現することが好きだったんだけど、それでも絵の方が好きだったんでしょうね。俳句よりも絵の方に集中するようになり、俳句に興味を持っていたのが、かなり前の記憶になってしまいました」
「私は、今でも絵を描くこともしていますし、詩を書くことをやめてはいないんですよ。両立というよりも、絵を描いていることで、詩を書くアイデアが生まれてくるし、詩を書くことで、絵を描く上での視点が見えてくるゆな気がするんです。それはいい意味での相乗効果と言えるんでしょうね」
 まさしくその通りだった。
 正則も、俳句を考えている時、被写体を見る目が絵を描いている時と違っていることは分かっていた。そして、違った視線ではあるが、俳句を考えている時に見ていた視線から、
「今度、ここでデッサンしてみたいものだ」
 と感じたこともあった。
 正則が俳句を考えている時、舞台となっているのは、草木が生えているところが多かった。最初から意識していたようにも思うが、それは今になって思うことで、その時はハッキリとした意識の中にはなかったことだった。
 理由の一つとして、
「草木であれば、四季折々の違った情景がクッキリと分かれているからだ」
 と思っていた。
 俳句というのは、季語があっての俳句なのだ。季節感がハッキリしてこそ、俳句を考える土壌に立つことができると言っても過言ではないだろう。国語の授業などでは教室にいて俳句を作ることになるが、一度自然に触れて俳句を作ってみると、教室で作る俳句など、まるで絵に描いた餅のようなものに思えて仕方がなかった。
 俳句の場合は、詩に比べれば制限が多い。季語が入っていなければいけないという制限と、もちろん、五・七・五という文字数の制限もある。他の和歌に比べても、一番文字数が少ないものである。それだけに、比喩も難しいが、逆に比喩ができなければ、俳句ではないと言ってもいいかも知れない。
 だが、詩などと違って俳句を勤しんでいるなどというと、
「若いのに、やけに辛気臭いものに興味を持って」
 という眼で見られたものだ。
 もっとも、詩を書いていたとしても、男であれば、あまりいい目では見られていないかも知れない。詩というと、「ポエム」と英語で表現されるように、メルヘンチックなイメージが強い。どうしても、女性っぽさを感じさせるものだ。
 しかし、考えてみれば、昔からの詩人というのは、皆男ではないか、百人一首や和歌集のような平安貴族の世界であれば、女流もいたが、なかなか近代文学ではお目に掛かれない。現代のように男女兵頭のイメージが広がった時代だからこそ、女性のイメージが強いのかも知れないが、ポエムというと女性っぽさを思い浮かべるのは、歴史を知らないからだと言えなくもないだろう。
 正則が詩に走らなかったのは、まさしく、
「歴史を知らなかった」
 という理由が一番であろう。
 正則は、麻衣子には「ポエム」というよりも「詩」という方が似合っているような気がした。
 麻衣子がメルヘンチックではないというわけではないが、詩を書いているという話を聞いた時、凛々しさしか思い浮かばなかったからだ。それはやはり絵を描いているイメージが頭の中にあったからかも知れない。しかも、その後に、絵を描くことと詩を書くことの自分の中での関連性を聞かされたことで、余計にそう思うようになったのだ。
「詩を書いている時、目の前に見えるものを関連付けて見てしまうことがあるんですよ。本当は一つ一つが単独であるにも関わらずですね。だから、何とか単独になるように見方を変えてから、それから詩の題材に組み込もうとする。どうして関連付けるのかというと、どうしても、絵を描いている時というのは、すべてを一気に描くことはできない。見ることはできても、集中しなければいけないのは一点だけなんですよ。だから、何度も被写体を見つめることになる。そして、関連付けを最初に感じたそのままに描いていかないと、違ったものが出来上がってしまう気がするんです」
「そうですよね。絵を描いていく上で難しいところだと思います。一気に描けない分、気持ちを切らさずに、最初から最後まで同じように集中しておかないといけないという考えは、僕にもあるからですね」
「ええ、だから私は絵を描く時、全体を描かないんです。被写体を最初に決め、集中させると、そこから先はずっと同じ集中力を保とうと考えます。それが絵を描いていく上で、一番最初に乗り越えなければいけないことだと思い、そして、それが本当は一番難しいことなんだって思います」
「麻衣子さんは、その時に、絵を省略して描こうと思ったことはありましたか?」
 また同じ質問をしてみた。
 一度、思いを吐き出した後に聞いてみることなので、今度は少し違った意見が聞けるかも知れないと思ったからだ。
 しかし、それは麻衣子を迷わせることになったが、それでも、麻衣子は口を開いた。
 麻衣子のような女の子は、考えに入ってしまって迷った後に開いた口から出てくる言葉は、ハッキリと自分納得させることではないかと思っている。中途半端な気持ちで答えを出すようなことを、麻衣子はするはずがなかった。
「ええ、確かに省略して描こうと思ったことはありました。というよりも、一度そう感じてしまうと、それから以降、省略して描くということが当たり前のようになってしまった気がするんですよ。だから一時期私は絵を描くのを止めていた時期がありました。実は母にもあって、私はそれが自分と同じ理由ではないかと思っているんです。親子なんだなって思いましたよ」
 そういって、麻衣子は苦笑いをした。
「親子?」
「ええ、親子だから母が同じように絵をしなくなった理由が分かった気がするし、その理由が自分と同じで、母も自分と同じように、また絵を描き始めるんじゃないかって思うようになりました。あれから母が絵を描いているところを私は見たことはないんですが、きっと今はもう絵を描き始めているのではないかと思っています」
「それは、見ていて分かるものなんですか?」
作品名:記憶の中の墓地 作家名:森本晃次