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記憶の中の墓地

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 それほど視力のよくない正則は普段眼鏡かコンタクトをしているが、寝る時は外している。目が覚めた時は裸眼だというわけなのに、眼鏡をしている時くらいに天井がハッキリと見えたことで、いきなり違和感があったのだ。
 ということは、おばさんや大人が嫌いだと思った夢は、さっきまで寝ていた夢で見たものに違いない。
 その日、正則は身体が重たかった。目が覚めた時は、こんなに身体が重たくなるなど想像もできないほど、スッキリとした目覚めだった。嫌な夢を見た時、身体に必要以上に筋肉がこわばっている時もあるが、逆にスッキリとした目覚めを感じる時もある。そのどちらも見た夢を忘れているわけではないのだが、ぞれぞれの状態で、同じ嫌な夢でも種類があるのではないかと感じたのだ。
 学校に着くまでに、結構汗を掻いた。そのおかげなのか、それまで重たかった身体がすっかり元に戻っていた。筋肉も変にこわばっているわけではないし、目もすっかり覚めてしまったことで、その日、怖い夢を見たという意識は遠い過去のものになったかのように、封印されていたのだ。
 一時限目は担任の先生の授業で、いつものように机の上に教科書、ノート、そして筆記具を用意して先生が来るのを待っていた。
 教室の扉が開き、先生が入ってくる。その後ろに一人の女の子が無言でしたがっていたが、ショートカットのその女の子は、小柄な上に、華奢な身体つきをしている。一見してひ弱な感じが滲み出ていた。
「よし、皆注目」
 皆席に座り、先生の隣の女の子に視線が集中した。彼女はそれが分かっているのか、顔を上げようとはしない。よほどの恥ずかしがり屋なのだろう。
「最近は、転校生が多いが、今日から一人仲間が増える」
 と先生が言って、チラッと正則を見た。
 多いと言った転校生の一人が正則である。そういう意味では壇上にいる彼女の気持ちは一番自分が分かるのではないかと思った正則だった。
 そう思って彼女を見つめていると、彼女の気持ちが分かる気がした。
 彼女の気持ちが分かるということは、彼女も正則と同じように、孤独や孤立という言葉に意識があり、あまり嫌な言葉だと思っていないのではないかと勝手に想像を膨らませていた。
 先生が黒板に彼女の名前を書いた。
「新垣麻衣子」
「……」
 それを見た正則は驚愕した。
――子供の頃の記憶の中にいる麻衣ちゃんなのだろうか?
 最近思い出したばかりだった。これをただの偶然として片づけることは正則にはできなかった。
 麻衣ちゃんの苗字は覚えていなかったが、「新垣」という苗字に、聞き覚えはあった。その苗字をどこで聞いたのかということはすぐに思い出せなかったが、正則にとって、それを思い出すことが本意であるという気はしなかったのである。
「できることなら、聞きたくはなかった」
 というのが本音だった。
 正則の驚愕はどっちだったのだろう?
 麻衣ちゃんと思しき人が目の前にいることなのか、それとも、聞き覚えのある新垣という苗字を聞いたからなのか、少なくとも新垣という苗字に対して、嫌な思いさえなければ、ここまでの驚愕はなかったという思いを抱いている正則だったので、新垣という苗字に対しての印象の方が深いのかも知れない。
 人間は、自分に対していいことが迫っているよりも悪いことが迫っているのを知ることの方が驚きは大きいものだ。期待と不安、同じ大きさであるとすれば、どちらが表に出るかといえば、やはり不安であろう。払拭できるものなら早めにしておきたいと思うからに違いない。
「新垣さんは、一番後ろの空いている席についてください」
「はい」
 と、先生が指名した席は、正則の隣だった。
「新垣と言います。よろしくね」
 席についた彼女は、そういって微笑んでいた。
 まだ驚愕から目が覚めていない正則は彼女の笑みに向かってたじろぎながら、
「ああ、こちらこそ、よろしくお願いします。僕は、門脇といいます」
「門脇君ね。仲良くしてね」
 その笑みで、やっと驚愕から抜け出せた気がした。
「門脇正則といいます。僕の名前に聞き覚えありませんか?」
 と、聞いてみると、訝しそうな雰囲気はなかったが、少し考えた末、
「いいえ」
 と、麻衣子は一言答えただけだった。
 その声は明らかに低い声で、何かを思って答えているのは分かったのだが、何を考えているかまでは分かるはずもない。訝しがられなかっただけでもよかったと思うべきであろう。
「それでは授業を始める」
 と言って、授業は始まったが、正則の気持ちは授業どころではなかった。
 さっきまでの驚愕が消えたおかげで、「新垣」という苗字に対しての不安よりも、麻衣子に対しての期待の方が大きくなり、その横顔を見ながら、
――やっぱり、子供の頃に一緒だった麻衣ちゃんなんだ――
 という思いを次第に膨らませていった。
 それなのに、彼女が自分の名前に聞き覚えがないというのはどういうことだろう?
 声が低かったのは、何か訳ありの気がしたが、その理由を想像するに、
――子供の頃の記憶がハッキリしないのかな?
 という思いと、
――わざと僕のことを思い出さないようにしようとしているのか?
 という思いがあった。
 後者であれば、麻衣子にあれから何かがあって、思い出してはいけないと自分に言い聞かせているのかという不安も募ってきたのだ。
 麻衣子の横顔を見ていると、正則がいじめっ子から苛められていた時に助けてくれた女の子が親の仕事の都合で引っ越して行った時のことを思い出した。
――どうして今思い出すんだろう?
 正則の頭の中で、麻衣子とその女の子の雰囲気が交差して記憶されているように思えてならなかった。特に気になったのは、引っ越して行った女の子の名前を思い出せないことが一番の原因だったのだ。
 二人はイメージも違っている。
 自分を助けてくれた女の子は、いつもしっかりとしていて、ハッキリとした性格そのものが正則の心に残っていた。
 麻衣子の場合は、正則と同じように孤独が似合う女の子で、
「この子だったら僕の気持ちを一番分かってくれるだろうし、僕だからこそ彼女の気持ちを一番分かる気がする」
 と感じた相手だった。
 一言でいえば、
「似た者同士」
 というべきなのだろうが、それでも、交わることは決してなかった。ある程度近づけばそこから先は平行線を描くように、一定の距離を保っていた。どちらかが、近づかないような意識を持っていたのだろう。正則は彼女の方が自分を近づけないと思っていたが、離れてしまうと、自分が近づけなかったのかも知れないと思うようになっていた。離れることで初めて気づくこともあるのだと、正則はその時ハッキリと気づいたのだった。
 ただ、今でもハッキリとしていると感じていることはあった。あの時の麻衣子は、明らかに正則を慕っていた。慕うことが麻衣子の中の孤独を自分で納得させることではないかと感じた正則だった。
 同じ孤独を感じていた正則だからこそ分かることで、そんな正則を慕っている麻衣子も、自分を納得させることが、自分にとって一番大切なことだということを感じていた一人だったのだ。
作品名:記憶の中の墓地 作家名:森本晃次