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記憶の中の墓地

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 正則に対しての苛めがなくなってきたのは、ちょうど自分も母親から生まれたという意識を持ち始めてからだった。話を聞いてはいたが、意識としての実感はなかった頃に比べて、
――自分にも母親はいたんだ――
 と思ったことを自分を納得させるには時間が掛かりすぎて、百八十度自分の考えを転換しなければ納得させられなかったことで、その転換期を迎えてから、それ以前に感じたり考えていたことを思い出すことはできなくなっていた。それこそ記憶の奥に封印されてしまったのである。
 自分にとっては悪しき記憶であった。
 正則は学校から帰ると、ほとんど家を出なくなった。もちろん、神社に近づくこともなかった。それでも絵を描くことだけは辞めず、家の裏から狭い路地を通って出ることのできる河原から、絵を描くことにしていた。さすがに公園や神社ほど目立ったものはないが、河原であっても、絵を描くには十分な被写体だった。あまり大きな川ではないが、川の種類としては一応一級河川に属するらしい、河原には道なき道が繋がっていて、本当は道はあるのだが、雑草が所せましと生え茂っているため、あまり人が立ち入ることもなかったようだ。
――子供の頃に冒険した河原に似ているな――
 いじめられっ子だったくせに、冒険心は人並みにあった。その時一緒に冒険していたのは男の子ではなく女の子だった。恋愛感情があったわけではないが、今から思えばいつも一緒にいたのは彼女だったのだ。
 名前を麻衣子と言った。いつも「麻衣ちゃん」と呼んでいたので、苗字の方は忘れてしまっていた。思い出そうとすれば思い出せるのだろうが、思いそうという気はしない。麻衣ちゃんは麻衣ちゃんなのだ。
 元々、河原を見つけたのは麻衣ちゃんだった。彼女は女の子と一緒にいるよりも男の子と一緒にいる方が多く、最初は正則以外の男の子と行動を共にしていたが、
「あまり群れを成すのは嫌いなの」
 ということで、彼らとは一線を画するようになり、気がつけばいつも正則のそばにいたのだ。
 確かに複数の男の子たちの間に、一人の女の子が入るというのは、見た目は違和感がないが、当の女の子にとっては浮いた存在に思えたかも知れない。子供の頃によくテレビで見ていた特撮戦隊ものなどでは一人は女の子がいることで、違和感がないのだろう。ただテレビは視聴率を考えるから、そういう配役にするのだろうが、実際では浮いた存在になってしまいかねないことを、当事者の男の子たちには分かっていなかったかも知れない。
 だが、当の本人とすれば、どうしても男の子の視線には敏感になる。しかも、成長は男の子よりも女の子の方が早いことで、男の子たちが気づいていないのに、見られている女の子の方は、
「男の子からの視線」
 を、厭らしいものとして感じていたことだろう。
 そんな彼女は、次第に男の子の集団から離れていった。
 男の子たちも、それを別に非難するわけではなかった。なぜなら、男の子たちの間で、無意識に彼女への想いをそれぞれに持っていた。しかし、まだ思春期に入っていない男の子たちにとって、その気持ちがどこから来るのか分からない。
 言い知れぬムラムラした思いを抱いているのに、それを誰にぶつけていいのか分からない。それだけに、
「誰にも知られたくない」
 という思いが皆にあった。
 しかも、自分でも分からないことが他の人に分かるはずもなく、突き詰めれば皆同じところからの感情なのに、その正体を分かっていないことで、まわりに対して疑心暗鬼に陥る。
 そんな状態なので、誰もがギクシャクした関係になった。そんな最悪の状態で、人のことなど構っていられるわけもない。その間隙をぬって、彼女が団体から抜けることはそれほど難しいことではなかった。
 やっと抜けられたことで、彼女は後ろを振り返ることをしなかった。後ろを振り返ってしまうと、何かよからぬことが起こるのではないかと思ったからだが、その発想は、「ソドムの村」にあった。
 彼女はキリスト教に造詣が深いわけではないが、なぜかこの話だけは印象に残っていた。
「決して後ろを振り向いてはいけません」
 そう言われていた。
 後ろを振り向かず歩いてさえいれば、悪夢のような無法地帯だった地獄の村であるソドムの村から、やっと逃げることができる。簡単なことだったはずだ。別に背中に目があるわけではないのに、後ろで何か恐ろしいことが起こっているという思いが頭をよぎった。その時、ふいに振り向いてしまったことで、その人は石になってしまったという話だったが、一体この話は何が言いたかったのだろう?
「人間は、『してはいけない』と釘を刺されると、却って見てしまいたくなる」
 ということなのか、それとも、
「どんなにひどい村であっても、同じ人間が滅亡するということ、ひょっとすると、空耳なのかも知れないが、悲鳴のようなものが聞こえたのかも知れない。そんな感情が哀れみを呼んで、振り向いてしまったのか」
 または、
「神、あるいは神の使者のいうことに逆らうと、どんな目に遭うか分からない。つまりは、神というのは、人間にとって、絶対の存在であるということへの教訓だということを言いたいのか」
 と、様々な発想を思い浮かべることができる。
 しかし、彼女はそんなソドムの村の伝説のような石になってしまうという愚を犯したりはしなかった。
 彼女がドライだというよりも、「ソドムの村」という話の方が大げさなのかも知れない。確かに聖書に乗っていることなので、経典としての役割もあるので、プロパガンダ的な要素もあるだろう。しかし、実際にはもっとシビアなものだ。それだけ現代の日本人が宗教や神というものに対しての印象が薄いということなのだろう。
 彼女がどうして正則に近づいたのか分からないが、正則にはその時、彼女を引き付ける何かがあったのかも知れない。そういえば、ちょうどその頃、いじめられっ子だった正則のそばにいつもいた女の子が引っ越していってすぐの頃だった。正則には思い切り隙があったのだろう。
 一人でいることを何とか自分に言い聞かせていた正則は、いじめられっ子だった頃の「孤独」という言葉が嫌いではなかったという意識に戻ろうとしていた。そんな時に近づいてきたのが、麻衣子だったのだ。
 考えてみれば、正則はいつも「孤独」という言葉を意識していたように思っていたが、「孤独」を意識していた時期は、思ったよりも短かった。「孤独」を意識し始めてから、いつも必ず誰かが現れ、孤独という状況に身を置くことはなかったのだ。
 ただ、誰かと一緒の時期に孤独を意識していなかったというわけではない。誰かと一緒にいる時、孤独を意識していることに気づいてハッとしたことがあったが、一瞬だったこともあって、すぐに忘れてしまった。後になって思い出したのだが、それが誰と一緒の時だったのか、すでに記憶にはなかった。
 正則が麻衣子と一緒にいるようになるまで、二人の間に違和感はなかった。正則は孤独を意識し始めた頃だったので、麻衣子が自分にとっての救世主だと感じていたし、麻衣子としても、集団の中の紅一点という立場から抜け出すことはできたが、今度は襲ってくる孤独にどう立ち向かおうかと思っていた時期だった。
作品名:記憶の中の墓地 作家名:森本晃次