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記憶の中の墓地

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 とも思ったが、片づけを始めたのは、今まで途切れもない会話に終止符を打っての態度だった。彼女はそそくさとデッサンの画用紙をカバンに収めて、返り支度を始める。その態度は、正則を意識しているわけではなく、完全に自分のペースでの行動だった。
 正則はその様子をじっと見ていたが、別に嫌われたわけではないような気がしていた。たった一言で気分を害する人はたくさんいる。初対面の相手だと余計に気に障ることを言われれば、一気に冷めてしまうだろう。
――どうせ、もうこの人と二度と会うことはないんだ――
 という思いが頭をもたげるからで、もし出会ったとしても、無視すればいいだけだった。相手がそれでも話しかけてくれば、自分が思っていた通りに失礼な人なので、そこから先は容赦のない対応をすればいいだけである。
 正則は、彼女と話をしていた時間が五分程度のものだと思っていたが、時計を見ると、実際には三十分近く過ぎていた。境内にはベンチはなく、石に座って絵を描いていた彼女の横に立って話をしていたので、
――道理で足がだるいわけだ――
 と感じた。
 そのわりには、彼女の手際のいい片づけの間は、時間があっという間だった。デッサンなので、それほど時間も掛からないのだろうが、それまでの時間の経過を考えると、彼女の手際の良さは際立っていた。
「それじゃあ、失礼します」
 と言って、彼女は立ち上がり、初めて彼女の表情を見ることができた。
 帽子をかぶっていたのでハッキリとは分からなかったが、
――どこかで見たことがあるような気がするな――
 と感じた。
 ただ、それは今のその女性ではなく、その人の若い頃のイメージだった。だが、真正面から見ると、正則が想像していたほどの年配には見えなかった。
 最初は、四十代後半くらいなのかも知れないと思っていたが、よく見ると、お姉さんと言った方がいいくらいの雰囲気だった。色つやもさほど老けて見えるわけではない。しかも化粧っ気がないにも関わらず、肌のきめ細かさが感じられた。
――いや、薄化粧だから、肌のきめ細かさが感じられるのかも知れないな――
 と感じた。
 ただ、彼女の顔を正面から見て、正則は衝撃を受けた。それは、
――どこかで見たことがあるような気がする――
 という思いとは違い、彼女の表情そのものに感じたことだった。
 人間というのは、顔が完全に左右対称というわけではない。必ず二つのパーツがあれば、どこかが違って見えたりするものだということを本能的に感じていた。
 例えば、目でも正面から凝視していれば、必ずどちらかが大きかったり、どちらかが垂れていたりするものだ。同じ垂れていたとしても、角度も微妙に違っている。だからこそ、その人それぞれの表情を作ることができるのだと思っていた。
 しかし今目の前にしている女性は、真正面から見ると、左右対称にしか見えないのだ。
 なぜなら、彼女には表情を感じない。今は感情を表に出していないから無表情なのだろうが、笑った顔や、怒った顔、悲しい顔などの喜怒哀楽の表情を思い浮かべることはできないからだった。
――それが左右対称のイメージとすぐに結び付くなんて――
 自分でもビックリだった。
 後から思い返せば分かるのかも知れないと思ったが、
――いや、後から思い出せるような表情じゃない。これだけ印象に深いと今記憶できなければ、後から思い出すことはできないだろう――
 と思った。
 人の顔を覚えることが大の苦手の正則にとって、それは致命的な感覚であった。
 だからこそ、彼女に対して、どこかで見たようなというイメージを持っても、それがいつだったのか思い出せないのだ。
 人の顔を記憶するのが苦手なのは、ビジュアルで覚えることができないからだろう。それが自分にとってのバランス感覚や遠近感が取れない原因の一つだと思っているが、ほぼ間違いはないだろう。
 それにしても左右対称に見えると、その人のそれ以外の表情が想像できないばかりか、とても醜く感じられる。それは、動物の顔を正面から見ている感覚になるからで、しかも、犬や猫のようなペットや家畜の表情ではない。
 例えば魚だったり、昆虫だったりと、あまり普段、正面から見つめることのないものだからおかしなものだ。
――どうして、そんなものを思い浮かべてしまうんだ?
 やはり表情を思い浮かべることができないからだろう。
 犬や猫、家畜は正面から見ると、その表情から感情が分かってくることもある。だが、それを錯覚だと思っている人もいるかも知れない。なぜなら、犬や猫は、声を出して鳴くことができるからだ。鳴いている声を聞いて、悲しいと思っている時や、嬉しく思っているのが分かる。そんな時の態度も決まっているので、全体を見ると、一目瞭然に分かるのだ。
 だが、魚や昆虫は、人間に分かるような鳴き方をしない。昆虫には鳴く種類もいるが、彼らが何を思って泣いているのか分からない。
 声で分からなければ表情で分かろうとするのが人間、しかし、表情もハッキリしない。――それは顔が左右対称だからではないか?
 という思いを正則は以前から考えていた。
――いつもそんなことを感じているから、今日彼女の顔に左右対称を感じたのかも知れない――
 とも思った。
 一瞬の出来事だった。それなのに、これだけいろいろ頭の中で考えが廻った。彼女は、そんな正則にかかわることなく、踵を返すと、すでに石段を下りているところだった。それを目で追いながら、正則も神社を後にした。ただ、歩き始めたのは、彼女の頭が自分の視界から消えるのを待ってのことだった。
 本当はもっと早く歩き始めるつもりだったが、足が動いてくれなかった。
――たった三十分だったのに、足が痺れて動けないのか?
 と思ったが、それよりも金縛りに遭ったかのような感じがした。
 今まで金縛りになど遭ったことがなかった正則だったが、
――金縛りというのは、第一歩が踏み出せなかった時、陥る可能性があるんじゃないかな?
 と感じた。
 それは今日初めて遭ったはずの金縛りなのに、これからも時々感じることを予感するような気がしたからだ。
 だが、彼女が視界から消えた瞬間に、その金縛りは消えてしまった。
――なんだったんだろう?
 という思いが頭をよぎったが、とりあえず歩き始めることができたことでホッとしていた。
 彼女が視界から消えてくれていたことも、正則にはありがたかった。ここから今視界から消えた彼女がいたところまではすぐに辿りつけそうなので、下を歩いていく彼女の後姿を見ることにはなるだろうが、正面から見る姿ではないので、別に気にはならなかった。それにさっきの態度を見る限り、彼女が振り返ってこちらを見ることはないはずだ。顔を合わせることはない。
 そう思うと、歩き始め鳥居のところに来るまで、さっきの金縛りがまるでウソのように足取りが軽やかだったのだ。
 正則が鳥居のところまで辿り着くと、目の前に、この街の景色が飛び込んできた。
「結構、綺麗じゃないか」
作品名:記憶の中の墓地 作家名:森本晃次