記憶の中の墓地
元々高所恐怖症のところがある正則らしい。真下から見ると、さほど遠くに感じなかった昇りつめたところにある鳥居だったが、息切れはいつものことだった。ここでも同じようにさほどきつく感じるわけではなかったが、昇りつめた瞬間、立ちくらみを起こしそうで、途中で下手に休憩すると、余計に疲れを溜めることになる。一気に昇りつめる理由がここにあることに気が付いた正則は、いつもと同じように、上の鳥居も一気に通り抜けた。
「本当に瓜二つだ」
前に住んでいた街にあった神社とまったく違わない光景を見て、思わずビックリしてしまった。神社には同じ系列の神社もあるというので、ある程度雰囲気が似ていても不思議はないのだろうが、神社を取り囲む光景まで同じに思えて、まるでデジャブを見ているような錯覚を覚えた。
そこには先客がいた。最初はその人の存在に気づかなかったのだが、それは、あまりにも知っている神社と瓜二つだったことで、違っている場所を探そうとして、本能的にまわりばかりを意識していたようだ、まわりから次第に中心部分を見つめていくと、やっとそこに誰かが佇んでいるのを発見することができたのだ。
その人は、しゃがみこんで何かをしている。
チューリップハットを目深にかぶり座っていた。膝の上には画用紙が置かれていて、明らかに絵を描いていた。
その人は女性で、彼女は正則に気づくことなく軽快に画用紙の上に鉛筆を走らせていた。デッサンをしていることは間違いないようだ。
正則は興味を惹かれた。もしそれが男性であれば、自分とダブって見えたであろうからだ。いや、女性であってもそこにいるのが自分のように思えていた。
彼女は正則のことに気づかず、一心不乱で絵を描いている。その姿には美しさがあり、
――これって、僕が求めているような姿なのかも知れないな――
まわりからどう思われようがあまり気にしない正則だったが、もしもう一人の自分がいて、その自分が絵を描いている自分を見て、最高だと感じることができるような佇まいで絵を描く姿勢を示すことができれば、それが最高だと思っていた。
彼女のことを意識しながら、境内に向かって歩き出した正則は、お賽銭を取り出して、さっそくお参りをした。
それでも彼女は正則に興味を示さない。正則は踵を返してそのまま帰るつもりは最初からなかったので、おもむろに絵を描いている彼女の方を振り向くと、ゆっくりと彼女に近づいていった。
彼女は驚いている様子はなさそうだったが、別に挨拶をするわけでもなく、平然と絵を描いている。
「こんにちは」
正則は一声掛けた。
「こんにちは」
彼女は正則を見上げながら挨拶をしてくれたが、目線は正則から離すことはなかった。見上げているその表情を見て、
――今の彼女の顔を、横から見てみたい――
と感じたのは、彼女の横顔を見れば、何を考えているのかが、少しでも分かるような気がしたからだ。
夕日が彼女を照らしていた。もう少しで沈んでしまいそうになっている夕日は、まるでロウソクが消える最後の灯だった。
足元を見ると、正則の影が伸びていて、彼女の胸あたりに自分の顔の影があった。
――きっと、眩しくて僕の顔もハッキリと見えないのかも知れないな――
と思い、少し横に移動しようかと思ったが、なぜか足を動かすことができなかった。まるで金縛りに遭ったかのような気がした。
――どうしたんだろう?
少し焦りの色が顔に浮かんでいるのを感じた。彼女は、その表情を見ながら、ニコニコと笑っている。
――笑った――
彼女の表情から笑顔は想像できなかったので、少しビックリした。
最初に見せた一心不乱な表情は、何を考えているのか分からないほどの無表情だった。その表情があまりにも印象的で、
――この表情以外、この人の顔を想像することはできない――
と感じたほどだった。
そんな彼女がニコニコしている。しかも、想像できないと思っていたことがウソのように、彼女の表情に違和感などはなかった。
「そんなにおかしいですか?」
焦りが一段落し、余裕が戻ってきた後の第一声がこれだった。
「ええ、声を掛けてきた人とは思えないほど、急に焦ったような雰囲気になったので、どうしたのかな? と思ったのと、焦っている人には笑顔で接しようと無意識に感じたんでしょうね」
「じゃあ、笑顔には意識がなかったんですか?」
「ええ、私も笑顔になっている自分に、一瞬ビックリしたくらいですからね」
そう言って、また笑顔になった。
しかし、今度の笑顔はニコニコではなく、苦笑である。もっともこっちの方が当然の表情であって、彼女の場合、苦笑もニコニコした笑顔と、それほど変わりがないように感じるのは、正則だけだろうか。
「ところで、どんな絵を描いているんですか?」
笑顔の会話はこれくらいにしておいて、本題の絵の話に入ることにした。
正則は、彼女に近づき、後ろから絵を覗き込んだ。そこに描かれているのは左半分を境内が支配していて、右側は漠然とした絵だった。真っ白ではないが、すべてをボカシて描いている。境内も後光が差したように夕日に浮かんでいると言った表現がピッタリの気がした。
「幻想的な絵ですね」
まさしく、幻想的という表現そのものだった。
しかし、それを聞いた彼女は、
「幻想的というイメージで描いているわけではないんですよ。なるべく省略できるものは省略して描くというのが私の考え方なので、省略できるシチュエーションを探すことから私のデッサンは始まっていると言ってもいいくらいですね」
「省略……ですか?」
「ええ、無駄なものを排除したいという考えですね。世の中無駄なものが多すぎるはないですか。それなのに、誰も無駄なものに対しての意識がない。私一人くらい、無駄なものに対して向き合う人がいてもいいんじゃないかって思うんですよ」
「そんなものなんですか?」
正則には分からない発想だった。
「ええ、省くという文字は、反省の『省』ですよね。省くという表現はあまりいいイメージがないように思いますが、反省をしない人間なんていないでしょう? それを思うと省くことを考えてみるというのも楽しい気がしてきたんですよ」
「楽しい?」
「はい、せっかくなら楽しまないと面白くないじゃないですか。絵を描くのだって楽しいから描いている。だから、自分の発想したものになるべく近づけたいと思う。どうしても近づかない場合は、それは自分が未熟だからだって思っていたんだけど、いつまで経っても上達しない。そこで考え方を変えました」
「というと?」
「未熟だって思うから上達しないんですよ。未熟という言葉を使えば、絵をうまく描けないことへの言い訳になってしまう。そのことに気が付くと目からウロコが落ちて、初めて自分の絵を客観的に見ることができるようになったんですね」
「実は僕もデッサンが好きで、前に住んでいた街にも同じような境内があって、よくデッサンをしていたので、思わず声を掛けてみたんですよ」
「私は、自分と同じような環境で同じように絵を描いている人が他にもいるんだって、いつも感じていたんですよ。あなただったんですね」