記憶の中の墓地
前に住んでいた街で、同じような神社があった時、あの時も、鳥居を背にして来た道を振り返ったことがあった。
その道は、そんなに長い直線ではなかったが、普通の区画された街の角から角の長さだったのに、あの時も、
――思ったよりも、遠くに感じるな――
と思ったものだ。
その時は、来た道を振り返えることに、過去を想像したことはなかった。
――すべては他人事――
と思っている時期だったので、過去、現在、未来という概念が、そもそも感じる余裕もなかったのだ。
では、なぜ他人事だったのだろう?
考えてみれば簡単なことだった。不安に感じたくなかったからである。
その頃から、
「余裕を持つことは、不安と背中合わせなんだ」
と思っていた。
それは、両親がいなくなる前から思っていたことなのかも知れない。
まだまだ甘ちゃんだと思っていた子供時代。自分で甘ちゃんだという意識はあった。
「でも、子供だからいいんだ」
と自分に言い聞かせてきた。
「それが甘ちゃんなんだよ」
と、言われればそれまでなんだが、まわりの人を感じることで、自分だけが頑張らなくとも、自然と成長できると思っていた。
そして、この思いは自分だけのものではなく、まわりの人皆が思っていることであり、それ以外は余計な考えだと思っていた。
だが、自分のまわりの環境が変わることで、自分の考えも変えなければいけない時が来ることを痛感させられた。
「誰もが皆同じではないんだ」
と思ったのも束の間、襲ってくる現実を乗り越えるには、
――自分のことは他人事――
と思うしかなかったのだ。
それはそれで間違いではないと今でも思っている。そもそも、何が正解で、何が間違っているかなど、誰が決めるというのだろう?
正則は自分の頭で考えていることを「他人事」と思うことは、時として必要なことだと思うようになっていた。自分一人で抱え込んでしまうと、パニックに陥ってしまう。
しかし、人によっては決していいことだとは思わないのに、一人で抱え込んでしまうことがある。その理由としては、二つが考えられる。
一つは、いい意味で責任感が強いということだろう。自分で解決することを美学のように考えるのは、責任感を最優先で考える人ではないだろうか。
もう一つは、悪い意味でなのだが、まわりとのコミュニケーションをうまく取れない人で、さらに他人を信用できない人であれば、余計に一人で抱え込んでしまうことになる。
責任感にしても、コミュニケーションを取れないにしても、結局は押しつぶされてしまうのだ。その押しつぶす原因というのが他ならぬ自分であることに、その時は気づかない。押しつぶされて初めて、気づく人は気づくだろう。
押しつぶしたのが自分だという意識を持てた人は、同じ立場に再度陥ったら、
「なるべく一人で抱え込まないようにしよう」
と考えるだろうが、押しつぶした正体に気づいていない人は、また同じことを繰り返すに違いない。
考えてみれば、正則は今まで余裕というものを感じたことはない。
物心がついた時から、母親の存在を知らず、男手一つで育てられた。決して余裕のある生活ではなかったが、本人には、余裕という概念がなかった。
その父親がいなくなり、本当にパニックになった。
それまでの生活がキツキツだったことは自覚していた。
――これ以上落ちることはないだろう――
と思っていたところで、さらに唯一頼りにしていた父親がいなくなったのである。途方に暮れたのは当然のことだった。
だが、正則は自分一人で抱え込むようなことはしなかった。責任感も、人とのコミュニケーションに重要性すら感じていなかったからだ。
そこで感じたのが、「他人事」という発想である。
それでも紆余曲折を抱えながらも余裕という発想を初めて持った時、不安が伴っているのを感じた。
今は、環境が完全に変わったこともあって、高校にも合格し、有頂天を味わうこともできた。
同居のお兄さんは優しいし、何の問題もない。
ただ正則は、同居のお兄さんが優しいとは分かっていても、どうしてここまで優しくできるのかが分からなかった。今まで接してきた人の中にはいないタイプの人である。
正則は、踵を返して今まで通ってきた道を見た時、いろいろな思いが頭を駆け抜けた気がした。
その時に一瞬だが、お兄さんの優しさに何か違和感があったことを自覚していた。だが、そのこともすぐに忘れてしまった。それでも、その時にそう思ったからこそ、他の場所でお兄さんを思い浮かべた時、一直線に伸びるこの道のことをイメージすることになるのだが、初めて一直線の道を逆から見た時に感じた一瞬の思いが、そうさせるのだということを、正則は分かっていなかった。
一瞬というのは、人の心を突き刺すには十分な時間なのかも知れないが、どれほど鋭利なものでなければいけないかということも問題である。しっかりとした角度から確実に突き刺さらないと、なまじ苦しいだけで、苦しさの影響が何なのか、そして、どれほどの範囲なのかということも分からないほど、感覚はマヒしているのに、苦しさだけが生々しいのだ。
そんな状態に陥ってしまうことを正則は知っているはずだった。今までに何度も陥ったことのはずなのだが、その正体は分からなかった。まだ子供だったということもあるのだろうが、子供が味わうには、あまりにも大きな試練だったに違いない。頭の中が他人事で埋め尽くされても仕方のないことだったのだろう。
ただ、正則は高校生になった。高校生が大人なのかどうか、その判断は難しいところだが、少なくとも中学時代までの自分とは違っていると思っている。思春期もそれなりに実感しているし、鬱状態も躁状態も経験した。そして他人事だと思ってきた自分も自覚しているし、不安の少ない余裕も経験することができた。
――ここまで分かっている高校生って、どれだけいるんだろう?
きっと、ほとんどいないと思っている。友達と話をしていても本当に他人事に思ってもいいと感じるほど、幼稚な話に合わせている自分が苦笑いをしている姿を想像できるからだ。
「お兄さんは、俺のような思いを持っているのかな?」
あの優しさは、自分と同じような境遇だったり、相手の気持ちを分かる人でなければ示すことができないだろう。少なくとも不安が余裕と同じだけの大きさを持っている人にはできないことだと思える。
さらに踵を返してもう一度鳥居を見るが、最初に見た時に比べると、小さくなっているかのように感じた。頭の中の中の残像が印象深かった場合、二度目に見た時は、それほどでもなく見えることもある。よほど最初の印象が深かったに違いない。
そのくせ、鳥居をくぐる時に、さほどの感動はなかった。通り抜ける時というのは、鳥居が視界から消えてしまっているのが一番の原因なのだろうが、それだけ印象深かったのはビジュアルに原因があったからだろう。
石段は一気に昇りつめた。前に住んでいた街でデッサンをしていた神社の石段を昇る時も後ろを振り返ったりはしたことがなかった。一気に昇りつめて、昇りつめたところにある鳥居を抜けるまで、決して後ろを振り向かなかったのだ。