記憶の中の墓地
何よりも、今までの部屋は一人部屋ではあったが、半分はおじさん夫婦が普段使わないものをしまい込んでおく倉庫のようなところだった。当然、自由に使える場所は限られていたのだ。
それに比べて、今度の部屋は、一部屋丸ごと自分のものだ。今まで倉庫のようなところに押し込められていたこともあってか、シンプルな部屋に憧れる。今まで住んでいたところから持ってくるものもほとんどなく、
「荷物はたったそれだけか?」
とお兄さんに言われて、
「ええ、これだけです」
と平然と答えた正則を、不思議そうに眺めていた顔が忘れられない。何をそんなに不思議に思うのか、正則には理解できなかった。
部屋には最初からクーラーがつけられていた。前に住んでいた部屋にもクーラーはあったが、いつ壊れても不思議のないくらいのもので、新しい部屋に来て、初めて自分が、必要最低限の生活しかしていなかったのかということを思い知らされた。
カルチャーショックを感じていたのは、正則だけではなかった。正則の今まで生活していた場所の話をすると最初は興味深げな表情を浮かべていたお兄さんの顔が、途中から訝し気に変わってきた。
――まるで苦虫を噛み潰したような表情――
とは、こういう表情をいうのだろう。
話を一通り聞いたお兄さんは、しばし沈黙し、
「そうか、そんなに悲惨な生活をしていたんだな」
としみじみ語った。
「そんな、大したことではありませんよ」
と、正則の方が恐縮し、そういうと、
「分かった。もう安心していい。好きなように自分の部屋を使っていいんだよ。正則君のお小遣いは、俺が親からもらう仕送りの中にちゃんとあるから、心配しなくていい。部屋をいろいろ変えてみるのもいいし、何か趣味を持って、それに使うのもいい。何か趣味はあるのかい?」
「絵を描くのが趣味なんですよ。前に住んでいた街に神社があって、そこでよくデッサンをしていました」
「この街は俺も来たばかりなのでまだよく分からないけど、デッサンするのにいい場所がきっとあると思うよ。見つけたら教えてあげよう」
と言ってくれたので、
「ありがとうございます」
と、普通に答えたが、本当はものすごく嬉しかった。
――こんなに優しい言葉を掛けられたのは、いつ以来だろう?
正則は涙腺が緩んできそうなのを必死にこらえた。今まで住んでいた家がどれほど窮屈だったのか、思い知らされた気がした。
それまで感じていた後ろめたさや罪悪感が完全に消えたわけではないが、自由というものの素晴らしさを知ったことで正則は、
「ここに呼んでくれたのは、運命なのかも知れない」
と、思わず心の中で自分に言い聞かせた。
確かにこんな幸せは夢のように感じる。有頂天になるなという方が無理というものだ。
「天国から地獄」
という言葉があるが、
「地獄から天国」
という言葉は聞いたことがない。
一旦地獄に落ち込んでしまうと、一気に這い上がるのは不可能で、地道に一歩ずつ這い上がるしかないと思っていたが、世の中、捨てたものではない。
「捨てる神あれば、拾う神あり」
という言葉がピッタリだった。
正則は、孤独という言葉をいまさらながらに意識していた。
弟夫婦の家で暮らしている時は、孤独を感じる暇がなかったというのが、前半だった。
後半になって孤独を感じるようになったのだが、それは悪いイメージの孤独ではなく、
――孤独でいることがありがたい――
と思えた。
家庭が崩壊しているということまでは分からなかったが、皆が孤立しているのは分かった。
正則は孤独を悪いことだとは思っていなかったので、まわりの皆も孤独を悪いことだと思っていないと感じていた。
確かに、皆孤独を悪いことだとは思っていなかった。しかし、それは自分中心の考え方で、まわりなどどうでもいいと思うことが、孤独だと思っていた。そんな孤独を皆それぞれ嫌だとは思っていない。むしろ、それまでの束縛されていた生活がウンザリしてくるほどだったのだ。
皆それぞれ違った感覚で孤独を感じていたが、それぞれに違っていることがまわりから見て崩壊を感じさせた。しかし、当事者にその思いはない。
――知らぬが仏――
という言葉で片づけていいものなのだろうか。
正則は学校にも慣れてきたこともあって、気持ちに余裕が出てきたのか、街を散策してみることにした。趣味であるデッサンができる場所を探すというのが一番の目的だったのだが、前に住んでいた街より都会なのかと思っていたが、まだまだ自然が残されているのにはビックリした。
この街には、お兄さんが通っている大学の他にもいくつかあるようだ。
四年生の大学が二つ、短大に専門学校、最寄りの駅には喫茶店が乱立していて、いかにも、
「学園都市」
を演出していた。
何よりも自分の部屋を自由に使える環境はありがたく、これから迎える高校受験に対して、万全の体勢で望めるのは嬉しかった。
しかし、不安がないわけではない。
今までの自分の環境が悲惨だったことで、自分の中に「甘え」のようなものがあったのも事実だ。
「どうせ、恵まれない環境に身を置くことになったのだから、受験に失敗しても仕方がない」
と思っていたのも事実だった。
自分が孤独なのをいいことに、悲劇の主人公を演じようとしていたことは自分でも分かっていた。
――言い訳はいくらでもできるんだ――
という思いがあり、ある意味、開き直っていたと言っても過言ではないだろう。
ここに引っ越してきても、最初はその思いが頭の中に充満していた。自分の立場は前と変わっていないのに、環境だけが好転したことで有頂天になっていたのだ。
だが、そんな思いは長くは続かない。続くとすれば、よほどポジティブにしか考えることができない人か、それともよほどの鈍感なのかのどちらかではないだろうか。さすがに気持ちに余裕が生まれてくると、考え方も少しずつ変わってくる。人間、そうそうポジティブにばかり考えることなどできるものではない。
しかも、元々自分を自虐することしか頭になかった人間に、ポジティブなどという言葉が似合うわけはない。余裕から生まれるものは、不安だった。それは生まれるべくして生まれた副産物だと言えるのではないだろうか。
不安というものは、一度根付いてしまうと、なかなか払拭されるものではない。今まで最大級の不安を抱えていたはずなのに、今抱いている不安とは違う種類のものだった。
以前感じていた最大級の不安は、目に見えているものだった。何をやってもうまくいかないお手上げ状態の中、不安を抱いたとしても、まるで他人事のようにしか思えない。そんな状況では、その場に流されるしかなかったであろう。
しかし、今回の不安は違っている。気持ちに余裕があるはずなのに、余裕が膨らんでくればくるほど、不安も増してくるのだ。
「これって一体?」
正則は自分に言い聞かせた。
「不安の正体が分からないことが不安なのだ」
という、まるで禅問答のような結論に至るまで、少し時間が掛かった。
分かってしまうと思わず噴き出してしまいそうなおかしさに頭の中が一瞬包まれたが。これが、
「抜けることのできないアリジゴクのようなものだ」