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記憶の中の墓地

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 思春期の男の子というのは、そういう優越感を心のどこかで持ちたいと思っている。まわりの同年代の連中を見ていると、それまで感じたことのない優越が見えてくるようになる。小学生の頃でもいじめっ子だったり、いじめられっ子だったりという関係はあった。しかし、それは今見えている優越とは違ったものだった。
 小学生の頃は表から見える部分がそのままで、今見えているものは、見ようと思わなければ見ることのできないもののようで、奥深く入り込んでも、さらに奥が見えてきて、途中で引き返そうと考えるに違いないものだった。優越に巻き込まれると、抜けることのできない底なし沼に入り込んでしまいそうで恐ろしかった。
 彼は、正則に対して今まで感じたことのない優越感を感じた。感じなければ、母親に申し訳ないという思いがあったからだ。どうしてそう感じたのかというと、母親が口にしていた、
「他人」
 という言葉が引っかかっていたのだ。
 当たり前のことなのに、そのことを意識したことはなかった。
――いや、意識したことがなかったわけではなく、意識してはいけないんだと思っていた――
 と感じた。
 学校では、正則との会話はまったくなくなり、家でも会話をしなくなった。
 食事は最初の頃こそ、家族全員でしていたが、勉強が忙しくなるという話を彼が親にしたことで、
「じゃあ、用意だけしておくので、自分の時間で食べていいからね」
 と言ってくれたことで、子供二人とも、それぞれの部屋で摂るようになった。
 このことが、この家の個人主義を目覚めさせてしまった。
 父親も帰りが遅く、母親もパートが終わって、食事の用意をしてから、出かけることが多くなった。家族が揃うということすらなくなってしまったのだ。
 彼が食事をバラバラにするように進言したのは、両親の深夜の会話を聞いたからだった。その会話を聞いた彼の出した結論は、
「全員、それぞれ一旦孤立すればいいんだ」
 というものだった。
 誰かが誰かに気を遣うのが問題だったら、気を遣わないように皆孤立主義になればいいんだというものである。
 子供二人は別に寂しいという思いはなかった。
 父親は、普段から母親からの責め苦に苛まれていて、やっと解放されたという思いからか、
「これまでできなかったことを楽しもう」
 と思うようになった。
 さらに、
「今までの責め苦を堪えてきた自分に、何かご褒美があってもいいじゃないか?」
 と思うようになると、不思議なもので、まわりの女の子の視線が気になるようになってきた。
 実際に父親は若く見えた。会社では係長という立場だったが、もう少しで課長昇進の話も出てくるだろう。
 やり手でありながら、会社では部下の面倒見もいい。家で責め苦を感じている分、会社では、
「家にいるよりマシだ」
 と思っていたからだろう。
 それでも、家庭持ちという性なのか、面倒見はいいが、どうしても内向的な性格ではあった。だが、今回家庭が孤立主義になったおかげで、会社で気持ちの面でも、開放的になった。会社の女の子がそんな父親を放っておくことはなかった。
「係長、今度一緒に呑みに行きませんか?」
 部下の女の子たちが、誘ってくれた。
 今までにも何度か誘ってくれたことがあったが、
「ごめん、今日はちょっと」
 と言って、いつも断っていた。
 家では皆揃っての夕食という行事を決めたのは、父親本人だったのだ。どうしても会社行事として遅くなったり、接待などの仕事であれば仕方のないことだが、それ以外はなるべく早く帰らなければいけなかったのだ。
 もし、
「一回くらいならいいか」
 という妥協で女の子たちと一緒に呑みにいけば、抑えが利かなくなるのではないかという思いもあった。頻繁な誘いを断ることができなくなるのではないかという思いもあったが、それよりも、自分自身が断って後悔してしまうことが怖かったのだ。
 断ってまで家に帰るという思い、それは一人自分だけが取り残された思い、しかも、それは自分が蒔いた種である。次第にその思いが屈辱感に変わってしまうことも怖かったのだ。
 孤立主義を家庭から持ち掛けられたことは、父親にとっては渡りに船。羽目を外すという言葉を通り越して、それまでの苦しみから一気に解放されたような気持ちになり、
「今の俺は、なんだってできるんだ」
 という錯覚にも陥っていた。
 案の定、一度誘われて皆と一緒に呑むと、本当に楽しかった。
「係長って本当に素敵だわ」
 酔ったふりをしてしな垂れてくる女の子もいる。
 もちろん、酔いに任せてのことだと計算された行動だということは分かっていても、悪い気はしなかった。
「今の俺なら、不倫したって、悪いことをしているという気にはならない」
 家に帰れば、母親が口にした「他人」がいるわけで、そのことで無言の圧力を毎日感じなければいけないプレッシャーは疲れるばかりだった。
 父親はその日、一人の女の子を「お持ち帰り」した。
 いや、正確には、
「お持ち帰られた」
 というべきであろうか。
「係長が私を選んでくれるなんて、光栄だわ」
 父親にとって、選んだというのは、その日だったわけではない。実際に、前から気になっていた女の子だったのだ。
 会社では大人しい女の子で、目立つことはないのだが、時々彼女の視線を感じていた。ドキッとして視線の方を振り返ると彼女がいた。最初はその視線の先が彼女だとは分からなかった。それだけ目立つことのない女の子だったのだ。しかし、何度も視線を感じて、その都度その先にいるのが彼女だったことで、さすがに父親も彼女がその視線の相手だと思わないわけにはいかなかった。
 試しにこちらからも視線を返してみた。
 見つめ合っているはずなのに、彼女の反応はまったくない。瞬き一つせずにこちらを見ている。
――目を逸らせばきっと、あの視線を感じるんだろうな――
 と思ったが、目を逸らすことができなかった。金縛りに遭ったかのようである。
 その時に、
――視線の相手は、やっぱり彼女だったんだ――
 と感じた。
――このまま目線を逸らすことができなければどうなるんだろう?
 と思った瞬間、彼女は視線を切ってくれたおかげで、金縛りから解放された。目を逸らすことができたわけだが、さっきまで感じていた思いがどんなものだったのか、感覚的なことを思い出すことができなかった。
――たった今のことなのに――
 それから父親は、急に感覚的なことを少しの間で忘れてしまうようになっていた。そんなことがあってから、家では孤立主義を息子に進言されたのである。
――ちょうどよかったんじゃないかな?
 父親は、それが何を意味するのか分からなかったが、会社で自分の感覚が少しずつ変わってきていることに気づいていただけに、家でも何かの変化があることは願ったりかなったりだった。
――お持ち帰えられるなんて恥ずかしいことなのかも知れないが……
 と感じていたが、
――成り行きに任せるのもいいかも?
 と、解放された気分を満喫していいと思っている今の気持ちを大切にしていたいと思うようになっていた。
作品名:記憶の中の墓地 作家名:森本晃次