短編集37(過去作品)
思い出すのは小学生の頃、学校が終わっていつも友達と公園で遊んでいたが、日が暮れる前に感じた眩しい西日が沈みかける一気に気だるさとともに、空腹感に襲われることだった。それを今思い出しているのだ。
小学生の頃と今とでは精神的にかなり違っているが、公園のベンチで座っていたいと思うようになったのは、無意識にその時の心境を思い出したいと感じていたからかも知れない。
小学生の頃が決して一番楽しかったわけでもないのになぜだろう。むしろ、あまり楽しかった思い出なのなく、どちらかというと、遠い過去というイメージしかない。
「もう一度小学生からやり直したいと思うかい?」
と尋ねられたとすれば、
「いや、もう戻りたくないね」
と答えるだろう。きっと今から小学生の時の心境に戻るなど不可能だと思っていたからに違いない。
社会人になってからというもの、毎日が勉強で、小学生の高学年、ずっと勉強に勤しんでいた頃を思い出していた。その頃になると、友達と公園で遊ぶようなことはなかった。勉強をするのが楽しかった。
やればやるほど結果がついてくる小学生の頃の勉強、楽しかった。中学に入ると勉強したことがそのまま結果になってなかなか現れない時期があり、勉強するのが面白くなくなってしまうと、本当に勉強が嫌いになってしまった。まるで勉強から裏切られたような気持ちになってしまっていたのだ。
――勉強が友達だったのかな――
と思うほどで、一番信頼できるのは、自分の考えていることが素直に出てくることだった。人間の友達だと、こうはうまく行かない。どうしても他人なので、それも仕方のないことだ。
影が長いと感じている時間帯、それはちょうど風を感じない時間帯だった。最初の頃公園のベンチで佇んでいた頃は風が強く、舗装されていないグラウンドから砂埃が舞い上がっていた。公園を横切るミニスカートの高校生のスカートが捲れ上がるのを見て、目の槍どころに困ったこともあるほどだった。
――おいしい光景なのに――
見てはいけないと咄嗟に感じるのだろう。本当ならマジマジと見るくらいの度胸がほしいくらいだったが、
――不謹慎だな――
とすぐに自分を戒める自分が忌々しかった。
季節が変わり始めると、風も徐々に吹かなくなってくる。そして影が長くなっていることに気付いたのは、まったく風が吹いていない時間帯だった。
――夕凪の時間だ――
と感じたのが最初だったかも知れない。
後から考えるとどちらが最初だったか分からない。風を感じなくなって、それが夕凪の時間帯だと感じるのが早かったのか、それとも影が長くなっているのに気付いたことで、その時間が夕凪だと分かったのか、後から考えるとどうしても分からない。
だが、切っても切り離せない関係なのが、影を長く感じる感覚と、夕凪の時間帯に気付いたことだ。影が長く感じることで小学生低学年の公園で遊んでいて空腹感を感じた遠い過去を思い出し、夕凪の時間帯を感じることで、何か虫の知らせのようなものを感じるのだった。
何かの虫の知らせは、靖にとってロクなことではなかった。夕凪の時間帯にはあまりいい思い出はない。どちらかというと不幸の時間帯であったのだ。
鬼門とでもいうのだろうか、そういえば最初に付き合った女性から別れを告げられたのも、夕凪の時間帯だった。同じように公園のベンチに座って、話を聞いていたが、どうして夕凪の時間帯と分かったかというと、それまで吹いていた風が急に止まったのは、その時の空気の重たさを自然が受け止めてくれたのだと思ったからだった。凪というのは、まったく風の吹かない時間帯のことをいうのだというのは、中学の頃から知っていた。学校の授業で出てきたかどうかは覚えていないが、印象に残った言葉であることには間違いない。
夕焼けを見ることは大人になってあまりなくなった。子供の頃、特に小学生低学年の頃はよく見ていたように思う。
ほとんど毎日だったように思うくらい頻繁だった。それだけ見ていれば見飽きるものなのだろうが、そんなことはなかった。靖は夕焼けを見るのが好きで、お腹が空いてくるのは夕焼けの条件反射ではないかと思ったほどである。
夕焼けは足元から伸びる影を大きく見せる。
背中に夕日を浴びて、足元から影を伸ばすのが好きだった小学生時代、大きくなった影をいつも見つめていた。
自分が影になったことを想像するのだ。
影になって自分を見上げている。夕日を背にして浮かび上がる自分の姿はシルエットになって表情も分からない。だが、影である自分には分かっているのだ。明らかに笑っている。足元から伸びる影になった自分を見つめながら笑っている。何とも不気味なシチュエーションではないか。
夕日をバックにシルエット、小柄で細身だった小学生の自分が大きく見える。膨らんで見えるといってもいいくらいだ。得てしてシルエットとして浮かび上がったものは確かに大きく見えるものだが、まるで違う体型に見えるのは、いささか不思議だった。
だが、不思議だと思いながら、
――それこそが夕日の魔力なんだ――
と思っていた。
ずっと大人になるまでそれが夕日の魔力だと思い込んでいた。同じような角度の朝日であっても、夕日ほどシルエットに感じた異様さを感じないだろう。大きく見えることはあっても、太って見えることはないに違いない。
夕日の魔力ではないとは思えない。夕日の影響も大きいはずだ。では、夕日だけでない魔力があるとすれば?
そのことに気付いたのは大学卒業間近のことだった。
それまで、危機だと思っていたことが何とかなってきた靖だったが、気持ちの中に潜在している不安だけは拭い去ることはできないでいた。
特に学生から社会人という未知の世界に足を踏み入れる直前、誰もが不安に感じる時期である。
自分だけが不安を感じていて、他の人が楽観的に考え、ゆとりのある空間ができていれば、それなりに自分も落ち着けるのだが、社会に出るという同じ環境の中では、誰もが不安を感じていて、ゆとりの時間はどこにもない。そう、いわゆる車のハンドルにある「遊び」の世界がそこにはないのだ。
受験戦争の頃にも同じような環境があったが、あの頃は、
――受験さえ終われば、後は楽しいことが待っているんだ――
と思うことで時期的な拘束が決まっている分だけ気が楽だった。逆にまわりも同じ環境であることが自分に勇気を与えたものだ。だが、社会に出るということは意味が違う。半永久的に続く社会人としての立場や責任といった未知の世界を、その時の段階では知る由もない。それが次第に大きな不安へと変わっていく。
卒業間際に、祖母が亡くなった。ずっと入院していて、年齢的にも大往生だったはずである。
「おばあちゃんは大往生なので、そんなに悲しむことなんてないのよ」
母はまるで自分自身で言い聞かせるように靖に話した。
入院中の祖母の面倒を、母が一人でこなしていた。数が月に及ぶ入院期間、精神的にも肉体的にも大変だっただろう。それだけに一番辛いのは母だったに違いない。葬儀の時、何度も席を立っていたが、堪えきれなくなった涙を人に見せたくないという思いからだったに違いない。
作品名:短編集37(過去作品) 作家名:森本晃次