短編集37(過去作品)
心変わりがあっても仕方のないこと、それに気付かない靖を彼女はどんな目で見ていたことだろう。
「私の苦しみが分からないの?」
と一言言いたいはずなのに、言葉に出てこない。出てこないから靖にも分からない。次第にぎこちなくなって、
――何か変だな――
と感じる時には、彼女の心ここにあらずである。
気付いただけましだろうか。気付かぬまま、訳が分からぬまま、さよならということだってあっただろう。そこまで行かなかったのは、まだ靖に相手を見るだけの余裕がかけらほどでも残っていたということだろう。しかし、もうどうにもなることではなかった。理由が分かるわけでもなく、離れていったというのは。気がついても気付かなくとも結果的には同じことである。
付き合い始めて三ヶ月、これからどんどん親しくなると思っていた矢先だった。ショックは簡単に拭えるものではない。
それから約半年、生活の中にポッカリと大きな穴が空いてしまったことに違和感を感じたまま、時間をやり過ごしていた。他のことで悩みやトラブルがなかったことは幸いだったというべきか、おかしな表現だが、悩みに集中できた。
精神的には一進一退だった。悩みを抜けそうに感じていても、どこか自分ではないと感じると、抜けそうで抜けれなくなってしまう。本当の自分とはいつの自分なのか分からないにもかかわらずに探す本当の自分。そう簡単に抜けれるものではない。
時間が解決してくれたのだろうか。気がつけば開き直りのようなものを感じると、
――これが本当の自分ではないだろうか――
と漠然とだが感じられるようになっていた。それまでにはなかった進歩である。そこまでくれば後戻りをすることはない。後は鬱状態から抜けるのを待つばかりだった。
鬱状態は時期がくれば抜けることは分かりきっていたので、それほど心配はしていない。要するに開き直りができるかどうかに掛かっていたといっても過言ではない。
普段の自分に戻ったはずなのに、今までの自分よりもさらに開き直りを感じられるようになっていることに気付いた。
――これが成長なのだろうか――
と感じると、それまでの生活がウソのよう、人と話すことが億劫で仕方がなかったにもかかわらず、今度は人から話しかけられるようになったから不思議なものだ。それも女性からである。
同じサークルの女性から相談を持ちかけられているうちに仲良くなった。相談といってもそれほど大きなものではない。本人からすれば大変なことだったに違いないが、表から見ていれば答えは決まっているようなものだった。
「ありがとうございます。目からウロコが落ちました」
その言葉に集約されていたのだろう。目からウロコが落ちるということは、気付きそうで気付かなかったことをズバリ指摘したからに違いない。それから彼女とは急接近して、気がつけば付き合うようになっていた。
――告白の言葉もなく、お互いに付き合い始めていた気分になるということが本当にあるんだ――
以前友達からそんな付き合い方もあることを教えられたことがあったが、自分自身が女性と付き合ったこともないのに、ピンと来るはずもない。しかし、すぐにその言葉を思い出したところを見ると、よほど頭の中に残っていたことに違いない。
彼女とは一年くらい付き合った。付き合い始めで、前の彼女の尾を引いていたことを知っていただろう。始めはまだぎこちなかったが、次第に打ち解けるにしたがって、お互いに共通点の多いことに気付いていた。
自分のことを最初に話しておかないと気が済まない性格も似ていた。
「隠し事が下手なのよ」
と彼女が話していたが、なるほどその言葉にウソはない。純情に見えるそのほとんどは、ウソがつけない性格にあることはすぐに分かった。
――自分のことが分かってくるまでにかなり時間が掛かったのに――
同じような性格であっても、それが自分のことだとどうしても贔屓目に見てしまうのだろう。打って変わって目の前にいる親しい人であれば、まるで鏡を見ているような錯覚に陥るほど性格が生き写しなのに気付く瞬間がある。もちろん、すべてではないが、目に見えない鏡の存在に気付くなど、それまでにはなかったことだ。
うまく行っていたつもりであったが、別れは突然だった。どちらからともなく離れていくようになり、それについてのショックはあまりなかった。今から思えば大人の恋だったはずなのに、精神年齢が恋の内容についていけなかったことが原因だったように思える。
だが、女性との付き合いに関しては、恵まれていたのかも知れない。それからしばらくは、期間的には短かったが、数人の女性と付き合うことができた。皆それぞれ性格も雰囲気も違う女性で、別れる時も相手から言われるパターンもあれば、靖からフッたこともあった。
中には明らかに身体だけの関係だった女性もいたくらいだ。会えば必ずホテルに行き、お互いの身体を貪るように愛し合う。そこに本当の愛が存在したかどうか、今となっては分からないが、ある意味一番印象深い女性であった。それだけ妖艶で、新鮮だったに違いない。
その時の女性に愛を感じていないとすれば、今までに本当に愛した人が存在したのだろうか? それを考えると、
――いなかったように思う――
という結論に達する。
――最後に女性と付き合ったのはいつだっただろう――
かなり前だったような気がする。今はあまり女性と付き合いたいという気分にはならない。寂しくないと言えばウソになるだろうが、今は一人の方が気が楽なのだ。
最近、あまり精神的に落ち着かない。何かの虫の知らせのようなものを感じていたからだ。それがどこから来るものなのか分からないでいたが、ここ数日で分かったような気がしていた。それが最近公園に差し掛かる時間に感じる影の長さだったのだ。
影が長く感じるから、虫の知らせを感じるわけではない。時間帯が問題なのだ。
仕事が終わって会社を出るのは、まだ明るい時間。しかし、すでに日は傾きかけている。西の空に沈みゆく夕日を見ながら公園に差し掛かると、ちょうど日が沈むあたりにはビルが建っていない。数ヶ月前までは大きなビルが建っていたのだが、今は区画整理でもあるのか、完全にビルは壊されている。またビルとして復活するまでにはかなりの時間が掛かるに違いない。
いつも座るベンチは、背中から夕日を受ける形になっている。自分が見つめる正面には自分の影や、後ろにある木の影が映し出されている。舗装などされているわけではない公園のグラウンドに映し出された影が、自分の感覚よりも長く感じるのだ。
――気のせいかも知れない――
とも感じたが、気にならなければまったく分かるはずのないことである。それに気付いたということは、それなりに理由があるに違いない。それを考えていると、あることに気付いて、それが虫の知らせだと感じるのだった。
そのあることというのが、その時の時間帯にあるのだ。
影を見ていると、身体に溜まった疲れが一気に吹き出してくるようだ。お腹も空いてくる。
――ハンバーグが食べたいな――
作品名:短編集37(過去作品) 作家名:森本晃次