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短編集37(過去作品)

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 学生時代と、今と、どちらが漠然として通っているかと聞かれれば答えにくいかも知れない。道を歩く時、乗り物に乗っている時の靖は、いつも何かを考えている方だったからだ。考えごとをしていると、気がつけば目的地に着いているものである。
――それにしても、あれだけ考えごとをしているのに、一度も乗り過ごしたことはなかったな――
 いつも気がつくのは自分が降りる駅やバス停の寸前である。
――あっ、次降りないといけない――
 と感じて慌てて降りたことなど何回もあった。それでも乗り過ごさなかったのは、無意識ではあるが、本能的な意識がどこかで働いているのかも知れない。
――これも潜在意識なのだろうか――
 潜在意識と本能、あまり結びつくような感じはしないが、きっとどこかで結びついているのかも知れない。ある意味、逆の意識にも思えてくるくらいである。
 危ういところでいつも何とかなっているのが靖であった。
 大学受験もギリギリと言われていたところに合格したのもその一つだったかも知れない。
よく合格できたものだと本人もビックリだが、まわりがそれ以上に驚いていた。
「一浪はするだろうと思っていたが、よく頑張ったな」
 高校の担任にも言われたものだ。もちろん、合格できたからであって、
「今だから言うが」
 という前置きがあっての発言だった。
「先生のおかげです」
 と心にもないことを言ってしまったが、それも合格できて半分有頂天になっていたので言えた言葉だった。
 靖はそれほど素直な性格の青年ではない。嫉妬心が大きかったり、人と群がるのがあまり好きではないタイプの青年だった。目立ちたいと思いながらも、行動力が伴わないところが厄介で、自分でも
――損な性格なんだ――
 と思っていた。
 もっとも損な性格かどうかを決めるのはまわりの人で、本人がそれを言ってしまえば何の説得力もない。だからこそ人と群がるのを嫌っているのだろう。ある意味悪循環が生んだ性格なのかも知れない。
 影がいつになく長く感じる。会社が終わってバス停までは少し距離があり、しかもバスも本数的にあまりない。
 かといって一段落ついてその日の仕事を終えた会社で必要以上の時間を過ごしたくない。まだ暑さが残るくらいの時期なので、定時に仕事が終わればまだ表は明るい時間帯である。
 バス停の近くには公園があった。児童公園のような小さな公園であるが、元々はもっと早く住宅街になるであろうことを見越してできた公園である。スーパーや集会場もできているが、まだまだ利用者は少ない。
 スーパーで買い物をしても、まだ時間が余るくらいである。最初はどうしようもなかったが、公園で時間を潰すようになってから、それほどバスを待つ時間が苦にならなくなっていた。
 時間を潰すといっても、ベンチに一人座ってゆっくりするだけである。夕日に照らされる時間帯にベンチに座っていると、ポカポカして気持ちいい。
――まるで年寄りが縁側で日向ぼっこしているような感じだな――
 自分が年寄りになった姿を想像することはできないが、縁側で背中を丸めた白髪の老人を思い浮かべただけでものんびりした気分に浸れる。一日の仕事が終わると得られる充実感が心地よい。その気持ちがのんびりとした気分に拍車を掛けるのだ。
――それにしてもいつ頃からだっただろう――
 どちらかというと貧乏性で、じっとしているのが苦手な性格だった。特に小さい頃の方がその傾向は大きく、じっとしていられない性格だった。
 特に親から連れて行ってもらった旅行などでは顕著に表れていて、宿に着いてクタクタになって座り込んでしまった両親を尻目に、宿の中や近くを散策に出かけたものだ。
「今着いたばかりなんだから、まずはゆっくりしなさい」
 と親から言われたが、その気持ちがまったく分からなかったのだ。
 時間がもったいないと思っていたのだろう。今から考えれば小さい頃の方が、時間に対しての意識がシビアだったように思う。年齢を重ねるごとに、時間の使い方に気を遣わなければならなくなっていったが、自分の考えている自由に使える時間に対しての意識は、その分希薄になって行ったのかも知れない。
 学生時代は、自分の使える時間がたくさんあった。それだけに、時間がもったいないと思ったはずである。
 学生時代に一人で行動することはあまりなかった。高校の頃までは一人が多かったが、大学に入ると友達がたくさんでき、自分の時間のほとんどは、友達と共有していた。高校時代より前というと、ほとんどその時の心境が思い出せない。却って、小学生低学年くらいの方が思い出せる。
 中学、高校時代は、今から思えば決して明るい時代ではなかった。成長期だということもあって、身体の成長に精神が追いついていなかったということにその時は気付いていなかった。最近やっと気付いたのであって、暗かったと感じるのはそのためだろう。
 あまり女性に縁のある方ではなかった。高校も男子校、女性に興味だけはあって、近くの女子高生の制服が眩しく見えたものだ。心の中で淫らな発想が浮かばなかったといえばウソになる。それも健全な肉体に宿った健全な普通の高校生の精神だと思っていた。間違いではないだろう。だが、声を掛ける勇気もない。カップルを直視できない自分に苛立ちも覚えていた。暗かったと感じているのはそんな行動だけが自分を苛めていたからに違いない。
 それでも何とかなってきた。それが今の自分に気持ちの余裕を与えているのかも知れない。大学に入れば友達も増え、待望の彼女もts来ることができたのだ。
――案ずるより生むが易し――
 まさしくその通り、友達が増えたことで、
――とりあえず、今は彼女がいなくてもいいや――
 と感じていた矢先だった。解放されたキャンパス内で気持ちを大きく持っただけで、女性をまともに見ることができるようになっていた。それが彼女を作ることのできた最大の理由だと思っている。
 彼女との出会いは、まるで純情物語だった。同じクラスでノートの貸し借りから始まった付き合いだったが、青春純情物語を絵に書いたとはこのことで、昼間はショッピングや食事、映画などというデートで、日が暮れる頃に送っていく途中、公園のベンチに座っていろいろな話をする。まさしく中学時代から頭に描いていた純愛を地で行っていた。
――まるで夢のようだ――
 よほど相手も純情なのだろう。きっと彼女も夢見心地に違いない。
――こんなにうまく行っていいのだろうか――
 と感じるほどで、実際に頬を抓ってみたほどだった。後から考えれば顔が赤くなってしまうほど馬鹿げたことだったが、その時は有頂天以外の何者でもなかった。
 有頂天になると、今度はまわりが見えなくなるもの、相手やまわりを見つめているつもりでも、自分だけしか見ていなかったのかも知れない。
 他人が自分をどう見ているかなど、すべて自分本位の見方、当然有頂天になっている中で自分を顧みても、驕り高ぶりが前面に出て、冷静な判断などできようものではない。しかもまだ男性と付き合ったことのない女性、男性を見つめているつもりでも、いつしか不安に苛まれてしまっている。精神的には実に不安定な時期だろう。
作品名:短編集37(過去作品) 作家名:森本晃次