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短編集37(過去作品)

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影の世界



                   影の世界



 靖は、自分に予知能力があるのではないかと感じることがあった。時々自分が怖くなる時がある。
 初めて見るはずのものが、
――前にどこかで見たことがある――
 と感じることがほとんどであるが、ただ、それがどこでだったのかまでは覚えていない。中途半端な予知能力なので、恥ずかしくて誰にも言えないでいた。ひょっとすると自分だけではなく、他の人にも備わっていて、誰も口にしないことなのかも知れない。夢で見た光景を、
――前にも行ったことのあるところのような気がする――
 と思うことだってあるだろう。
 また、美術館で見た印象に残っている絵を覚えていて、まるで自分がそこに行ったことがあるような錯覚に陥ることだってないとは言えない。そんな偶然が重なって、予知能力と勘違いしているのかも知れない。
「デジャブー現象」というらしい。SF小説の好きな靖は、本で読んだことがある。行ったこともないのに、記憶のどこかに存在するのか、見たことがあるような感覚に襲われる。下手に知っているから意識するのだ。知らなければ意識もしなかっただろう。
 だが本当にそうだろうか?
 潜在意識という言葉は夢と直結しているが、「デジャブー現象」を考えた時に感じるのも潜在意識という言葉である。「デジャブー現象」も夢と直結しているのだろうか。夢で見た記憶とはまた違って感じる。
 靖はデジャブーに、前世を感じてしまう。夢で見た記憶というのは、実際に普段見る景色とは明らかに違っている。目が覚めるにつれて忘れていくからだろうが、平面的な景色は、デジャブーには結びつかないように思えてならない。
――過去のことも分からないのに、未来のことが分かるなどありえないはずだ――
 と感じる。予知能力ではなく、デジャブーなのかも知れない。
 靖が最近おかしな胸騒ぎを感じる。歩道もないような狭い道を歩いている時、そばを通る車に異常なまでの恐怖心を感じたり、電車に乗っていて、襲ってくる睡魔のために熟睡していて、ちょっとした揺れで目を覚ました時に感じる必要以上の衝撃。すべてが嫌な予感に結びついているのだ。
 過去と未来に思いを馳せていると、同じように不思議な感覚に陥る。未来のことが分かるように感じるのは、過去から見た今の自分を知っていると思うからなのかも知れない。
 前世の自分が人間だったという保障はどこにもない。しかし、前世の前の前世、そのまた前ということになれば、どこかでは人間だったかも知れない。
 前世が存在するという前提に立って、
――一つの世代が終わった瞬間に、次の世代が生まれることがあるのだろうか――
 と考えたことがある。偶然で済まされない何かがあるのだとすれば、大袈裟だが、大宇宙に数ある神秘の中のいくつかを解明できるほどの謎であるようにも思える。自分たちが生活している世界の他に違う次元の世界があるとすれば、それはまったく違うところに存在しているのか、それとも同じ空間で次元が違うだけの世界が広がっているのかという疑問も生まれてくる。
 一つのことで無限の発想、無限の空間を求めることに繋がっていることを、いつも頭に描いている靖だった。
 小さい頃から豊かな発想を持ちたくてSF小説を読んできた。しかし、普通に生活していく上で、SFのような発想はあくまでも想像上のことだけであって、実際に起こりえることではないと思っているから安心して想像することができるのだろう。想像が現実に変わる時、そんな瞬間を想像するなど恐ろしくてできるものではない。
 小説を読んでいても、本当に想像が現実に変わるような話を書いている作家はいないように思える。作家の技量にもよるのだろうが、想像が現実に変わるなどということが冒してはならないタブーとして暗黙の了解で誰も書く人がいないのだろう。最近靖はそのことに気付いていた。
 会社に入って、家から通えると思っていたが、考えが甘かった。確かに本社は家から通えるところにあるが、最初の数年は支店での生活になるのは大学出身者であれば皆が経験することだった。
 都会で生まれて都会で育った靖は、田舎にある支店を見て正直愕然としてしまった。
――こんなところで生活するのか――
 考えただけでも憂鬱だった。最初の一週間だけで気が滅入ってしまうのは明らかで、一人取り残された心境になるのは日を見るより明らかである。
 コーポのような部屋を借りた。マンションなどあまりない田舎のこと、却って入居者が少ないのか、それなりに設備は充実しているのだろうが、都会よりも家賃が高いかも知れない。それほど、マンション自体も少なかった。
 歩いていると大きな家が多い。特に田園風景の広がるあたりに集結している家は屋敷の構えもしっかりしていて、昔からの家と、近代的な造りの家とが共存して見える。二世代、三世代、同じ土地の中で住居を別にできるほど大きな土地を所有しているのだ。
 会社の事務所は、田舎街の外れにある。近くを高速道路が走っていて交通の便のいいことから、流通団地ができていた。車があれば便利なのだが、まだ入社したてで、車を持つまでにはなっていない。近いうちに買おうと思っているが、それまではバス通勤を余儀なくされる。
 住んでいるところは、駅までは近いが会社までは遠い。駅前のロータリーからバスに揺られて三十分、少し遠回りをしながらの通勤になる。
 住めば都とはよく言ったもので、最初の一週間で嫌になってしまった生活だが、慣れてくるとそうでもない。
――意外と田舎の生活に馴染める性格なのかな――
 と感じるほどで、きっと気持ちに余裕が生まれてきたのかも知れない。
 しかし、田舎の人と馴染めるようになったわけではない。どうしても大きな家に住んでいる人たちとは住む世界が違うという目で見てしまうせいか、話をする気にもなれない。もっとも合う話題があるわけでもなく、バスの中で乗り合わせてもずっと無口であった。
 都会の生活を懐かしむこともある。学生時代の楽しかったことをよく思い出しながら、バスに揺られ車窓を眺めている。目の前を走りすぎる田園風景に何かを感じるわけでもなく、毎日が同じ風景の繰り返しだ。
 信号もほとんどなく、走る車もまばらなため、ほとんどバスの時間が狂うことはありえない。目の前を走りすぎる田園風景とは対照的に、遠くに見えている山がほとんど動かないのが印象的だ。朝、雲が早く流れている時など、雲の大きさに比例してか、
――山が動き出すのでは――
 という錯覚に陥ることもあるが、そんな時には平面に見えていた光景が立体感を帯び、全体的に風景を大きく感じてしまうのだった。
 天気がいい日ばかりではないが、毎日同じ光景を見ているようだ。しかも、同じ光景を見たのは丸一日前なのに、まるでついさっき見たように思えるのは、それだけ景色が瞼の奥に焼きついているからかも知れない。学生時代も毎日同じ通学路を通っていたが、ここまで感じたことはなかった。
作品名:短編集37(過去作品) 作家名:森本晃次