短編集37(過去作品)
――神聖な時って何だろう? 侵すことのできない時間。それが神聖という意味なのだろうか――
聡子と二人きりでいる時には、そのことがいつも頭をよぎっている。ことが終わり、ベッドの中でのまどろんだ時間帯などに感じることである。
聡子の肌を感じる。きめ細かさに汗がへばりついて、まるでタコの吸盤のように吸い付いてくる。空気の入る隙間もないほどに抱き合っていると、身体の芯から熱さを感じることができる。
軽い寝息を立てている時の横顔を見るのが好きだ。あどけない表情を見ていると、出会った時のことを思い出す。
最初出会った時に、あどけなさなど感じたわけではなかった。どちらかというと落ち着いた雰囲気を醸し出す女性として意識していたはずである。それが影への思いとあいまって、妖艶な雰囲気すら感じていたはずである。
――影の中に、あどけなさを感じたのかも知れない――
きっとそうだ。
何か分からないまでも、どんどん大きくなっていく影の存在を気にしながら聡子をずっと見ていた。自分の目に写っているものすべてが聡子のすべてだとは思っていなかっただろうが、基本的に三郎は自分で見たもの、触ったものでないと信じないタイプである。
聡子と出会うまでは、それが当然だと思っていた。聡子と付き合い始めても、まだその思いは変わらなかった。聡子との別れが近づいてくるにつれ、分かっていったように思える。
聡子との別れは突然だった。まさしく青天の霹靂とでもいうべきか。最初は訳が分からなかったが、考えてみれば予感めいたものを感じていたようにも思える。
ショックが大きいと気持ちは他人事になってしまうことが多いが、聡子との別れも他人事のように思えていた。
すれ違いが多くなってきた。一緒にいるのに、気持ちの中で遠い存在に感じられてくるのだ。遠慮が大きすぎるという思いはあまりなかった。
それは遠慮という言葉があまり悪い意味ではないと思っていたからで、もし悪い意味だと感じていたなら、もっと早い段階で何とかしようと考えたはずだ。
――気付いた時には、時すでに遅く――
まさしくその言葉通りだった。
お互いに遠慮ばかりして別れた二人だったが、その頃から三郎はパチンコを始めた。パチンコに負けてイライラしていると、聡子のことを思い出すようになっていた。
十年近く経った今でも同じことで、パチンコに負けたその日は、ストレスを感じながら、大学時代を思い出していた。
きっと思い出す周期に入っているのだろう。人生は一定の周期で繰り返している。楽しい気持ちと不安な気持ちが半々で、聡子がそばにいれば、本当に大学時代を繰り返しているように思うに違いない。
大学時代の思い出を振り返ると、その延長線上にある聡子を思い出す。最近聡子のことをよく思い出すのはそのためだろう。
そんな時に馴染みの喫茶店でクラシックを聴く。「G線上のアリア」が流れてくると、思わず涙ぐんでしまう自分に気付くが、気持ちは冷静で落ち着いている。曲の奥に影を感じ大きくなってくるのを感じる。
――音楽に影を感じるなど馬鹿げているな――
と感じるが、曲に和音があるように、影だって人の気付かれていない部分を映し出しているように思える。
右手と左手で違って行動をすることができない三郎は、音楽を断念した。ギターにしろ、ピアノにしろ、その技術は必要不可欠である。音楽だって漠然と聴いていれば和音を聞き逃しがちである。
最近三郎は、左右の手で別々のことができるのではないかと思い始めた。それは和音と影の関係に気付いたからだ。
――全体を満遍なくみようとしたら、漠然としてしか見れない。かといってどちらかに集中すれば片方をみることができない――
要するにその時の精神状態に任せて臨機応変に気持ちを自分の感覚に合わせることなのだ。
それに気付くと、聡子と別れなければならなかったおのずと理由も分かってくるというものだ。
イライラしているならイライラしていてもいい、凪のように波風が立たない時にじっと自分を見つめればいいのだ。言葉では分かっていても、今までその気持ちになれなかったのは、影というものを意識しながら、それ以上考えなかったからだ。
気持ちの中の余裕をして、理解することができたのではないだろうか。
小説は今でも書き続けている。なかなか認められることはなかったが、その日の帰宅はなぜかウキウキとしていた。
郵便配達の人の後姿を想像できる。その人の影がクッキリと大きくなりながら壁に写っているのが見えてくるからだ……。
( 完 )
作品名:短編集37(過去作品) 作家名:森本晃次