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短編集37(過去作品)

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 しばらくして、やっとお互いに名前を聞きあったが、聡子という名前にふさわしい、聡明な感じが受け取れる。
「三郎なんて単純な名前だろう?」
「そんなことありませんわ。何となく反骨精神のようなものが感じられて、グイグイ引っ張っていってくれそうな感じがします」
 大学時代に付き合っていた女性からも同じことを言われた。確かに四人兄弟の三男で、兄弟の中ではある意味一番反骨精神が強かったかも知れない。単純な名前と言っただけで三男だということが分かったのだろうか? そうだとすればかなり相手の話を真剣に聞ける人で、頭の回転が速いに違いない。
 その頃は何をやってもうまくいくように思えていた時期だった。
――そのうちにいい出会いがあるに違いない――
 という思いが、希望的観測ではなく、確信に近いものがあった。それがまんまと的中するほど、自分の中で自信に満ち溢れたものがあったことだろう。
 聡子にも同じような予感があったらしい。
「こういうのを運命的出会いっていうのかも知れませんね」
 あっけらかんと言われると、頷くしかなかった。だが、あっけらかんとした中にしっかりとした意思表示を見て取ることができると、
――説得力とは、彼女の一言一言のようなことを言うんだな――
 と感じるようになっていった。
 学生時代、人の言葉をまともに信じて何度憂き目を見てきたことか。それを考えると聡子に出会うまで、疑心暗鬼に陥り説得力などという言葉が信じられなかった。
 特に女性から裏切られることが多かったのだが、悪いことに裏切られても裏切られたという自覚がない。
――何か、事情が変わったのではないか――
 という思いでいた。
「三郎は女性に甘いからな」
 と言われたが、甘いのとは少し違う。相手の顔を見ることで気持ちが入ってしまうからに違いない。
 三郎は初対面で相手のことを考えるのは、第一印象からが多い。第一印象の間にいろいろなことが頭を巡る。
 まず、相手の顔を見て雰囲気を感じ取る。感じ取った雰囲気から、どんな性格かを推測するのだが、そこには自分の好みが若干だが入ってしまうのもいたし方ないことなのだろう。
 今までにその予測が外れたという意識はない。ないから怖いのかも知れない。別れの時を思い出してみる。
――どうして別れたんだろう?
 そんな思いを何度感じたことだろう。自分の思い込みが最後まであって、別れた後も同じことを思い込んでいる。
 ある意味、幸せな性格なのだろう。別れの原因が分からないのが果たして幸せなのかは定かではないが、知らぬが仏という言葉もあるではないか。知らなくてもいいことも中にはあるのではないだろうか。
 それを自分の感性だと思っている。確かに勘違いもあるだろうが、第一印象で相手を感じることが一番信憑性の高いのだということを今でも信じて疑わない。
 感性という言葉、いつの時でも気持ちの中にあるようだ。それがあるから、何かを中心に考えることができる。その何かは抽象的で分からないのだが、すべての比較対象に繋がっていくもののようだ。
 感性が初対面であっても伝わるものを感じる。聡子との出会いは第一印象から仲良くなっていくまでほとんど変わらない予感を与えてくれる。今まで出会った人には、そう感じたとしても、次に会う時には、少し変わっていたりする。だが、聡子の場合は、ほとんど変わっていない。理想の女性なのだろうか。
――初めて出会ったような気がしない――
 というのが、第一印象だった。
 それは後ろに映った影を見て感じたことだった。以前にも同じように薄暗い中、誰かを待っていて、その人が来た時に後ろに見える影を必要以上に意識したのを思い出すことができる。
 誰かを待っていてという表現は適切ではないかも知れない。決まった人を待っていたわけではなく、何となく自分の目の前に素敵な女性が現われるだろうという意識があった時に、気持ちの高ぶりを心地よいと感じていた。後から考えると、その時に誰か決まった相手を待っていたように思うのも無理のないことだった。それだけ、その時に見た影の出現に、違和感がなかったのだろう。
 まだ昼間は夏の暑さが残っている頃だったが、朝晩はすっかりと涼しくなっている頃だった。その日は久しぶりに暖かく、湿気を帯びた生暖かい空気が漂っていた。
――何となく気持ち悪いな――
 生暖かい風が適度に吹いていて、それがいきなり止まる瞬間があったからだ。
 風が止まる瞬間というのは、あまり気持ちのいいものではない。一日のうちに朝と夕方に凪というのがあるが、それがそんな時間である。朝はそうでもないのだが、夕方の凪いわゆる「夕凪」は、昔から魔物の出る時間帯として恐れられているらしい。事故が一番起こりやすいのも夕凪の時間帯で、昔の人が気持ち悪く思うのも当たり前というものだ。
 その理由は科学的にもハッキリとしている。
 これでもかと照らされた西日の力も収まりかけ、西の空を真っ赤に染めた太陽が、いよいよ沈みかけようとしたその時、最後の力を振り絞るかのように照らしている。しかし、夜の帳が下りてくると、今度は光の影響が極端に落ちてくる。色は光によってもたらされるもので、その肝心の光が薄らいでくるとある時間帯にはモノクロに見えてくるものらしい。それが凪という時間帯なのだ。
 光と闇、まさしくそのぶつかり合いがモノクロに見える時間を作る。しかもそれを人間が意識していないというのも面白いものだ。凪の時間帯に見る世界をそのまま夢で見たこともあるように思えるのが不思議だった。
 光が作り出すものの一つとして影がある。太陽によってもたらされるものだけではなく、街灯によってもたらされるものもあるが、それはごく弱いものだ。所詮太陽の光に勝てるものではない。
 しかし、街灯の影ほど気持ち悪いものはない。特に一定の距離を保った街灯の間を歩いていると、自分の影が足元から放射線状に広がっていて、しかも進むに連れてまわっていくのが分かるのである。
 一つ一つの影がまったく違っている。角度によって見え方がまったく違っているし、正面に来た時の影からは見つめられているような錯覚に陥ることさえあるほどだ。
 特に閑静な住宅街を通って帰っていた学生時代、大きな壁がずっと連なっていて、壁に自分の影が映し出されることもあった。特に大きな家ほど白壁が多く、パノラマスクリーンに映し出された影は、斜めになって大きく広がっていくのだ。
――何と気持ち悪いことか――
 そう感じながらなるべく見ないように心がけていたが、時たま気になるのか見てしまうこともあった。相変わらず見つめられているようで気持ち悪いのだが、目を逸らせばそれ以上は感じない。要するに気にしなければいいのだ。
 しかし一旦気にしてしまうと、その光景がしばらくは瞼の裏から離れない。目を瞑ると浮かび上がってくるようで怖さも感じていた。
 友達に話したことがあった。
「バカだなぁ。そんなの気にすることないって。俺も小学生の頃は影に怯えたこともあったけど、大の大人がそんなのにビビッていてどうするんだよ。しっかりしないとダメじゃないか」
 言葉のわりに口調はソフトだった。ソフトなだけに却って気持ち悪さが残ったりもするもので、
作品名:短編集37(過去作品) 作家名:森本晃次