短編集37(過去作品)
と思いながらも、テーブルに座って、窓際の席から外を見ているだけで、何となく自分の世界を作ることができるから不思議だ。作った世界は誰にも侵すことのできない自分の場所、馴染みの席での指定席なのだ。
いつも同じ場所から見ていると、まったく動かない光景は不変であって、違いがあるとすれば時間帯による光の加減くらいである。しかしいつも同じ場所だからこそ、違いに敏感で、ちょっとでも光の角度が違えば、まったく違うものに見えてくる。
――そこが新しい発想を生む源泉なのだろう――
と考えると、文章を書けずに悩んでいた頃が懐かしい。
かしこまると書けるものも書けなくなってしまうことを自分の指定席を持って、初めて知った。また、ちょっとした工夫で自分の世界がいくらでも膨らんでくるものだということも、その時に知ったのだ。
三郎は、小説を読むのは中学時代から好きだった。いつも家の縁側で読んでいて、時間を忘れられた。
家族と住んでいた家は、日本家屋の大きな家で縁側もあった。今でこそ老朽化した家を改築して縁側がなくなってしまったが、縁側があった頃を思い出すと、また本が読みたくなってくる。
いつもの喫茶店も、最初は読書がしたいという位置づけの店だった。最初からその店で小説を書こうなどと思っていたわけではなく、小説を書くなど自分にはできないと思っていたからである。
窓際の席に腰掛けて窓の外を見る。最初はカウンターで店の人と話すのが好きだったのだが、クラシックを聴いていると、落ち着いた気分になってくる。
――ひょっとしてここならば、小説を書けるかも知れない――
と感じた。かしこまるから書けないということに気付いたのと同時に、自分の世界に入れないことが書けない理由であることにも気付いたのだ。
――表を歩いている人の動きをじっくり観察すること――
これが課題だった。しかもまわりの動かない光景の違いを身体全体で感じることができれば、そこは自分の世界だった。表を見ながらボンヤリとしていると、本を読みながらベランダでゆっくりしていた時のことを思い出す。忘れっぽいはずの三郎の頭がフル回転を始める。中学時代に読んでいた本の内容が自然に思い出されるのだ。
本を読んでいる時には漠然と読んでいたと思っていたが、それなりに想像力をたくましくしていたのだろう。本の内容と、その時に勝手に想像した内容とが同時に思い出されるのだ。
思い出した内容を表を見ながら考えている。表の景色を見ているというよりも目に入ってくるのだが、目に入ってくれば自然と情景を自分なりに理解しようとする作用が働いている。
――発想というのは湧き出るものなんだ――
と思ったら、あとは目の前にあるノートに書き連ねていくだけだ。
少しずつ埋まっていくノート、半分になるとかなり書いたような気がする。半分を超えればなかなかいっぱいにならないところが不思議なところで、半分までの速さに比べて、自分の発想が鈍っているのではないかと感じるほどだった。
誰も読めないような汚い字なのだが、一気に書かないと最初に書いていた内容を忘れてしまう。進んでいくにつれて、時々発想が暴走してしまうのだ。最初からキチンとしたプロットを作っているわけではないので、仕方ないのかも知れないが、最初からプロットを書いてしまうと、書いていくうちに発想がどんどん狭まってきて、最初に思っていた内容の半分も書き切れなくなってしまう。
――そこがアマチュアなんだろうな――
と思うのだが、それでもよかった。
――おいしいコーヒーを飲みながら、自分の世界に入り込める――
これほどの贅沢はないのかも知れない。
「俺は趣味なんてないから、ただ友達とワイワイしていればそれでいいのさ」
という連中もいるが、三郎はそんな連中と馴染もうとは思っていない。個性なんて皆持ち合わせているもので、それを表に出さないのはもったいないことだ。きっと趣味のない連中も、心の底では趣味を持ちたいに違いない。それができないのは諦めが早いからだと三郎は思うのだが、間違っているだろうか。
――正しい、間違いの問題ではない。要するに、自分をどう見つめるかだ――
と考えている。自分を見つめるから個性を探すのであって、三郎にしても、本当に自分の個性を全部掌握しているなど思っていない。それを追い求めることが人生のテーマではないだろうか。かなり大袈裟ではあるが、何も考えていないように見える連中よりもよほどマシに感じる。
学生時代の夢を見ることも、三郎には興味深いことだった。
大学を卒業してからしばらくは小説を書くのをやめていた。仕事が忙しく、それどころではないという理由が一つだが、それに付随して一旦書くことを中断してしまえば、なかなか書けるものではないのだ。
自分の世界に入るためにはそれなりに雰囲気と自覚が必要である。そのために学生時代は、一日の執筆時間を決めていた。自らにノルマを課しているが、自分を苦しめているだけではない。自らに自覚を促すためには、それくらいのことをしないと自分に甘えてしまうのだ。
予定通りに済ませることができた時の充実感は、自分にノルマを課しているだけに大きなものだ。
小説を書き始めると、何となく運が向いてきたような気がするのは気のせいだったのだろうか。就職して三年経って、仕事にも慣れてきた。第一線での平社員では指示を出せるまでになれば、精神的にも落ち着いてくるというものである。
そんな頃に見つけた喫茶店、そこは大学時代に馴染みにしていた店にそっくりだった。表はバンガローのような造りになっていて、入り口には昔のガス灯のようなものが造られている。
かなり凝った造りになっていて、店主のこだわりを感じさせる。きっと費用もかなり掛かったことだろう。
自分のこだわりを貫くことは難しい。誰もがそのために一生懸命になって頑張っているのだ。贅沢な家に住んでいる人にしても、自らが建てた家であれば、何かしらそこに自分のこだわりがあるはずである。
自分の個性を表に堂々と出せる人は素晴らしい。大きな家を構えて、そこに個性を散りばめたいなどというほど大袈裟な目標はないが、
――どこかに自分の生きている証を残したい――
そう感じるのは無理なことではない。
中断していた小説を再度書き始めたのは、大学時代の馴染みの喫茶店と同じような店を見つけたというのも理由の一つだが、それよりも、
――どこかに自分の生きている証を残したい――
という思いが強いからに他ならない。
喫茶「ユニーク」を見つけた時には、まるで学生時代に戻ったような気分になった。学生時代に通った馴染みの喫茶店は、学生街の真ん中に位置していて、繁華街の中では特異な店として浮き立っていた。他のどの店もピンクやエメラルドグリーンのような明るい色を基調としていたにもかかわらず、その店だけは黒を基調としていた。
だが暗いというイメージはなく、レトロな雰囲気がうまくまわりに調和して、浮き立っていたのである。固定客が多かったのも頷けるというものだ。
それに比べて喫茶「ユニーク」があるあたりは住宅街である。それも中心部ではなく、街の外れに位置していて、少しいけば田んぼが広がっている。
作品名:短編集37(過去作品) 作家名:森本晃次