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彷徨う記憶

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 と声を荒げる浩司、怯えで声も出せずに、顔面蒼白になっているはずの女の顔は浮かんでこないが、小刻みな震えだけは身体が覚えているのだ。
 最後の絶頂の感覚は、おぼろげなのだが、震えと、まるで向こうまで透かして見えるほど限りなく透明に近い柔肌の感覚だけは覚えている。
――本当に透けて見えたのかも知れない――
 その時の女とは、それから会っていない。なぜ会うことができなかったのか、記憶にはないのだ。ただ、自分の興奮を満たすために、してはいけないことをしてしまったのではないかという危惧があるが、どこからも咎めを受けているわけではない。合意の上でのことだったのだろうか?
 麻衣を抱きながら、浩司の気持ちは、その時の興奮とは裏腹に迷走を繰り返していた。それでも興奮に任せる身体は変わりない。熱くてたまらない身体をもてあまし、果てる前の絶頂がいつまでも続くのではないかと思うほどだった。
 浩司は麻衣の中に果てても、まだ興奮は収まらなかった。麻衣も同じようで、さらに浩司の興奮を描きたてようとする。容赦のない麻衣の攻撃に、さすがの浩司も悲鳴をあげる。
「ここからが、本当の快感なのよ」
 という言葉が、遠くで響いているように思えた。
「本当の興奮は、我慢することにあるのよ」
 その言葉は、以前、自分が吐いたことのあるセリフに思えた。ただ相手が麻衣だったかどうか、今では覚えていない。
 いや、その言葉を吐いた相手は、麻衣ではなかっただろう。麻衣であれば、今さら、そんな言葉を吐かなくても、お互いに分かっていたことのはずだからである。他の女性とアブノーマルなプレイをしたことがない浩司だったが、では、麻衣以外に誰から聞かされたセリフだというのだろう? 浩司の欠落した記憶が、その答えを抱えているのかも知れない。
 浩司も自分の記憶が欠落していることを知った。だが、不思議と驚きは少なかった。むしろ、欠落した記憶を持った里美と知り合った時の方がショックが大きかった。ひょっとすると、自分の記憶が欠落していることを、里美と知り合うことで、本能的に知ったのかも知れない。
 里美の記憶を取り戻そうという気持ちはあったが、必死になって取り戻そうとしていたわけではない。優しさが足りないのかと思ったが、そうではない。本能が、里美の記憶を取り戻させることを拒否したのだった。取り戻させてしまうことで、里美から今度は自分の記憶が欠落していることを看破されてしまいそうでそれが怖かったのだ。
 いよいよ、麻衣と浩司の子供が、この世に生を受けようとしている時が近づいてきた。完全に麻衣は母親の顔になっていて、浩司もその日を待ちわびていた。
 だが、浩司には麻衣に言えない秘密を抱えていた。秘密というには大げさだが、気になる女の人ができたのだ。
 声を掛けることもない、ただ見つめているだけだが、その様子は常軌を逸しているかのように思えた。ギロリとした視線を浴びせ、もちろん相手の女性は気付いているはずなのに、なるべく浩司と目線を合わさないようにしている。
 相手はまだ高校生、浩司の悪いくせが出てきたわけだが、ただ見つめているだけでは相手としてもどうすることもできず、さぞや、気を揉んでいたことだろう。
 彼女は父親に言えないと思う、祖父に相談した。彼女の祖父は元警察官らしく、眼光が鋭い。だが、それは昔のことで、今は幾分か丸くなり、表情も穏やかだった。
 孫娘の危機ということで、老人は、昔取った杵柄で、彼女を守ろうと、同じ電車に乗り合わせた。
 いつものように浩司は彼女の近くから、視線を浴びせる。もちろん、それ以上のことをするわけではない。浩司とすれば犯罪だからという意識ではなく、見つめているだけで十分だと思っていたのだ。もし他人に見咎められても、最初は自分のことだとは分からないくらいであろう。
 確かに見つめているだけでは罪にならない。それは老人が一番よく知っている。まずは、相手がどんな男性なのかを知らないと、対処のしようがない。同じ電車に乗り込み、まずは相手を観察することから始めようと思ったのだ。
 老人も初日から声を掛けようなどと思っていなかった。
「ただの偶然ですよ。何か証拠でもあるんですか?」
 と言われれば、それ以上何も言い返しができなくなるからである。いつも同じ車両の同じ場所、彼女も決して場所を変えようとしなかったのはなぜだろう。それを老人には一言も言わない。もし言ってしまえば、
「お前が場所を変えないから、相手も悪いことをしているという意識がないんじゃないか?」
 と言われるのが怖かったのだ。
 彼女も、頭がいい娘なのだろう。
――それくらいのことは分かっているわよ――
 と、感じながら、祖父に一言も言い訳をする素振りはなかった。そこで言い訳をしても、相手に与える印象に変わりはないだろうし、まずは追いつめられる一歩手前の状況でも、ちゃんと相手を観察できる能力を持っているからであった。
 老人は、浩司と同じ車両でも、孫娘と浩司と二人から少し距離を取った。少しだけとはいえ浩司も離れていることから、二等辺三角形が形成された。鋭利な頂点にいるのは、言わずと知れた老人だったのだ。
 彼女は老人にコンタクトを送っている。老人も彼女に分かるように合図を送る。それに対して浩司の反応はまったくなかった。
――これなら、私の存在がバレルことはないか――
 と思っていたが、実際には、浩司に分かってしまった。それは老人の存在というよりも、見つめている彼女の視線が絶えず老人に行っているのだ。じっと見ている浩司に彼女の視線の変化が分からないはずはない。そんな簡単な理屈が分からないなど、やはりありえないことだろう。
 老人にはそれでもよかった。分からないなら、それに越したことはなかったのだが、
――もし分かったとしても、手の打ちようくらいはあるさ――
 と、以前の刑事魂がよみがえってくる。
 もうすでに現役を引退してかなりの年月が経っているので昔のような鋭い眼光は見られないが、今度の場合はその方が都合がいい。このまま穏やかな表情でいてくれることを本人が願うのも、鋭い眼光を一番見せたくない相手に見せることを嫌うからであった。
――一番見せたくない相手――
 それはもちろん、当事者である孫娘であった。
 駅み電車が入ってくる時を待って、老人は浩司に近づいた。
――こいつなのか?
 と、老人が見た男は、落ち着いた雰囲気は何かを考えている様子はなく、無作為に立っていた。こんな男に女を凝視するだけの力があるのかと思えたほどだ。何を考えているか分からないというよりも、何も考えていないというのが、老人の目には歴然と映ったのだ。
 何も考えていない目は、冷静というよりも涼しげである。曇りがない目をしていて、ストーカーを働く男ではない。そういう男はなるべく何も考えていないような顔をしているが、実際には腹黒さが表に出ている。一番嫌なタイプの男である。
――女性に興味がないのか、それとも?
作品名:彷徨う記憶 作家名:森本晃次