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彷徨う記憶

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 生半可な正義感を持っていたのが、里美だった。里美は記憶を失う前、自分の中にある正義感をひけらかすことで、まわりに不快な思いを与えていることに気付いていなかった。もっとも、ひけらかすという行為が、まわりへの不快感に繋がることすら分かっていないのだ。押しつけがましさは、自覚できるものだが、まわりが感じるひけらかす行為は、本人は分かりにくい。どこに二つの境界線があるのかも曖昧で、正義感という媒体を意識しているのがひけらかすことで、押しつけがましさは、漠然とした何か、行為の場合が多いかも知れないが、媒体を介さずとも他人を不快に感じさせるに十分なのではないだろうか。
「優しさを、ひけらかすと見るのか、それとも押しつけと見るのかを考えれば、おのずと、人間のタイプが大きく分けて二つに分けられるのが分かるというものだわ」
 祥子の考えでは、浩司は押しつけがましい方だろう。表に出すのがひけらかし、押しつけは却って、うちに込める方になるのではないだろうか。一見まったく違う言葉に聞こえるが、比較してみると似ているところがあり、似ているところが正反対であるがゆえに似ていると思うというところが、何とも皮肉なことだろう。
 相手に分からいところが陰湿な感じがする。祥子の中では浩司は、あまりいい印象の男性ではない。まわりからあまりいい印象を持たれていない人が感じることが、むしろ正論だったりすることがある。祥子の感覚はなまじ間違っていないだろう。

 祥子の存在を意識することもなく、里美や麻衣ともうまく付き合っていくことができている浩司は、安堵の念に駆られていた。麻衣のお腹は次第に大きくなり、女から母親へと変わりつつあったことに一抹の寂しさを感じながら、それでも自分が父親になる嬉しさとを比較すれば、やはり幸せな気持ちが大きくなってきていた。
 里美とはあれから会っていない。寂しさというよりも、不安が募っていた。
――まさかだが、あれが今生の別れなんてことはないよな――
 と感じたからだ。
 子供が生まれることで、浩司の精神状態は急変していた。毎日が有頂天で、不安などまったくなく、この気持ちが未来永劫続くのではないかと思ったほどだ。しかも過去の嫌だった思い出さえも、楽しいものに変わっていて、子供という存在がどれほど大きなものかを、痛感されられた気がしていた。
――やはり、麻衣に里美を会わせてよかったな――
 麻衣に里美を会わせたという考えになっていた。里美に麻衣を会わせたという感覚ではない。今となってしまえば、すべてが麻衣中心で、里美は、
――過去の女――
 となってしまっていた。里美に対して一抹の寂しさがあったのは、そこだったのだ。
 毎日を幸福に感じ暮らしていると、あっという間に過ぎていく気がした。
――何があっという間なんだろう?
 それは一週間であり、一か月であり、一年なのだろう。日々の暮らしはあっという間だとは思わない。むしろ、長くなっているように感じるほどだ。
 毎日の生活が充実していると、一日が長く感じ、一週間などの定期的な単位があっという間に感じられるようになるのだろう。毎日があっという間でも、一週間を長く感じ、なかなか時間が経ってくれないこともあったので、その頃のことを思い出すと、その時は、不安をいっぱい抱えていたのが、おぼろげに頭の中に残っていた。
 毎日が有頂天になってくると、香ってくる匂いまでも、甘いものに感じられる。金木犀の季節でもないのに、甘い香りを感じると、自分が幸せの絶頂だと思うのだ。以前にも同じ思いを感じたことがあったのだろう。だから、自分の中で確信めいたものがあるのだった。
 麻衣の姿を見ていると、まるで以前にも自分に子供がいたのではないかという気持ちになってくる。もちろん、付き合っていた女性の間に子供を作ったということではない、もしいたのだとすれば、麻衣に対してと同じように、結婚を考えたであろう。ただ、本当に結婚したかまでは分からない。少なくとも結婚を考えようと、前向きに見るはずだからである。
 麻衣に子供ができたということを聞かされるまで、浩司は子供があまり好きではなかった。電車に乗っていたりしても、うるさいだけし、まわりの迷惑など関係なく、我が者顔で立ち回る姿を見ていると、腹が立ってくる。本当は、うるさくしているのを咎めることをしない親に対して腹を立てているのが分かっているのに、子供に対しても鬱陶しく感じるのだ。
 それは自分が苛められっこだった頃のことを思い出すからなのかも知れない。まわりも自分と同じ子供なのに、やけに大人びて見えるのは、自分が本当に子供だと思っているからだ。
 その時は自分を客観的に見ることができなかった。見たとしても、それは苛められている自分が嫌で、表に出てきた気持ちだった。冷静に見れるわけではないので、客観的だとは言えないだろう。
 客観的に自分を見つめていると、自分という子供がわがままで、苛めたくなるような少年に見えたかも知れない。もしかすると、子供が嫌いだと思っている感覚は、子供の頃の自分を重ねて見ていることで浮かんでくる感覚なのかも知れない。そう思うと、嫌いなものというのは、自分に密接に関係しているものが、いくつか含まれているのではないかと思うのだった。
 有頂天な時期がいつまでも続くわけなどないということは、浩司にも分かっている。それでも、
――このまま、永遠に至福の刻が続くような気がしてきた――
 という思いもあった。
 もちろん、願望に過ぎないのかも知れない。だが、幸福な時期が続かないというのは、続かないものだと思っているから、続かなかった時に、それが定説になってしまうのであって、実際に続いている人も少なくはないのかも知れない。浩司にとっては未知の世界、不安だけで怯えていても仕方がないことだろう。
 だが、それも甘い考えであったことを、後から嫌というほど浩司は味わうことになるのである。
 順調にお腹が大きくなってくる麻衣は、以前にもまして甘えん坊になってきた。元々甘えん坊なところがあるが、それ以上にアブノーマルを好んだり、自分中心の考えなのに、それをまわりに感じさせないところがあり、甘えん坊な性格が薄れがちだった。
 それは悪いことではない。ただ、麻衣の表に出ようとする性格が、麻衣という女の最大の魅力だっただけに、魅力が薄れてきたようで、寂しさが浩司の中で膨れていった。その分、まだ見ぬ子供に対しての情に変わりつつあると思っていたが、まさか自分が子供を楽しみにするようになるなど、考えられないことだった。
――これも懐かしさから感じることではないか――
 子煩悩になるかも知れないと思っていたが、まだ生まれてくる前からこんな気持ちになるとは思っていなかったからである。懐かしい気持ちでもなければ、ありえないと思っていると、懐かしさを感じてきたのだ。
 感じてきたというより、思い出してきたのだ。おぼろげに見えているものが、どんどん形になってくる。これは今までにあった記憶に形ができあがってくる感覚なのである。
 まだ生まれていない子供の顔を思い浮かべようと試みてみた。真っ暗な背景にシルエットが浮かんでくる。
――思ったよりも大きな子供だな――
作品名:彷徨う記憶 作家名:森本晃次