彷徨う記憶
だが、記憶だけは、ついこの間のことのようで、次第に鮮明になってくる。絵を描いている女性の後ろ姿も、記憶をたどれば、知っている人のように思えてくるから不思議だった。
その女が、麻衣という名前だったのを覚えている。
「結婚しよう」
「嬉しいわ」
プロポーズの言葉は忘れたが、確か、夜の公園ではなかったか。お互いに相手を見つめあい。恥じらいを感じた麻衣が、恥かしさからか、老人の若い頃に抱き付いてくる。その時は暖かさというよりも熱さを感じ、やけどしてしまうほどだったと思うのは、決して大げさなことではなかったであろう。
結婚を考え始めて、すぐの告白だった。麻衣も期待していたのだろう。彼女の顔に驚きの表情はなかった。
「まるで分かっていたかのようだね」
「ええ、今日が特別な日になるということは、最初から予感していたようなの。だから、幸せになれると思うわ」
と、麻衣は、男の胸の中で呟くように言った。
麻衣は、自分の記憶が飛んでしまっているのを感じていた、
――でも、今が真実なら、それでいいんだわ――
この感覚は、自分以外の誰かから受け継いだ気がした。里美の顔が浮かんできたが、彼女が記憶の失った女性にはとても思えなかった。それなのに、どうして浩司は彼女が記憶を失っているなどと言って、麻衣に紹介したのか分からなかった。
もし、里美が記憶を失っていない女性だったら、浩司は麻衣に引き合わせただろうか?
浩司の性格から考えると、訳あり以外の女性を会わせることはないだろう。ひょっとすると、浩司は麻衣に対しても、何か訳ありの女性だという意識を持っていたのだろうか?
麻衣には訳ありなどという意識は存在しない。時々、浩司のことを不安に感じるのは、浩司が自分をどのように見ているかということが気になっているからだった。
麻衣が絵を描いていることを、浩司はやけに気に入っているようだ。
「僕にはない才能だからね。絵を描けるなんて素晴らしいと思うよ」
と話してくれるが、実は浩司にも絵心があることは分かっていた。
以前、麻衣がスケッチをしている横で、浩司も覗き込むようにしていたが、
「あまり覗かれると、恥かしいじゃない」
と言うと、浩司は苦笑しながら、手持無沙汰で戸惑っていたので、
「何もすることがないんだったら。スケッチブック、もう一冊あるので、浩司さんも描いてみればいいのに」
と声を掛けると、どうしようかと迷いながらも、色鉛筆を取った。
「僕は絵なんて描いたことないからな」
「でも、美術の時間とかあったでしょう?」
「うん、あったけど、適当に描いていただけで、先生も見放していたんだろうね。めちゃくちゃな絵を描いても、何も言われなかったからね、不真面目な生徒だと、呆れていたんだろうね」
と、さらに苦笑した顔が歪んでいた。
「絵というものは、感性だって思うのよ。何が正しい、正しくないというわけでもないし、目の前にあるものを正確に描けばそれでいいというものでもないのよね。芸術ってそんなものでしょう?」
「そうだね、ピカソの絵なんて、その最たる例かも知れないね。あれを見ると、バカと天才は紙一重なんだなって思ってしまうよ」
バカと天才が紙一重だという感覚は、浩司の中に持っていた。それは自分にも当てはまることではないかと思う。生真面目に、型に嵌ったことだけをしている自分が、無性に情けなくなり、何でもいいから爆発させるものを求めることがあるが、そんな時にギャンブルをしてみることがあった。
普段であれば、ギャンブルに手を出す自分を情けないと思うのだが、その時は感性を磨いている自分を見ているように思う。同じ客観的に見ているのだが、バカだと思って見ている時は、ただの勘に頼っているだけに見えるのだが、情けないと思って見ている時は、感性を磨いているように見える。そんな時、奇想天外な発想が生まれそうに思い、それが天才的な感性に近づいていると思えることがある。そんな時、金銭的な収穫があるのだった。
ただ、天才的な発想だと思えた時は。それ以上踏み込むことをしない。天才的な発想は、引き際も天才的なのだ。いや、何が難しいと言って、引き際を見極めることが難しいギャンブルで、きっぱりとやめることができる感性は、まさに天才的だと言っても過言ではないだろう。
パチンコなど、一番分かりやすい例かも知れない。普段はパチンコをしない人は、ビギナーズラックに嵌ってしまうと、抜けられなくなるとよく聞くが、浩司の場合は、きっぱりとやめることができる。
絵画にはまったく興味がなかった浩司だったが、麻衣と一緒にいると、遊びで描くようになった。
「なかなかいいと思うわよ」
麻衣はそう言ってくれるが、麻衣の目は当てにしてない。それは、自分も絵画に勤しんでいるのだが、決してプロの目を持っているわけではない。そんな人が他人の作品を評価などできるはずもない。それは、自分の中に謙虚さを持っているからだ。
自分がまだ発展途上なのに、人の作品を評価するなどおこがましい。ただ、絵画を始めてすぐの人には意外とそうは言い切れない。これからまっすぐに上を見て昇って行こうとしている人間なので、迷いがない。絵画をしている人の謙虚さの中には、迷いという要素が多く含まれているからであろう。
そういう意味では、浩司はいつまでも初心者でいたいと思っている。深く入り込めば入る混むほど迷いが生じる。絵画をただの趣味で終わらせたいと思っている証拠であった。
ギャンブルとは違うが、将棋や囲碁の世界にも通じるものがある。
「一番隙のない布陣とは、どのようなものか分かるかい?」
と聞かれて、答えに苦慮していると、相手はしたり顔になり、
「それはね。最初に並べた布陣なのさ。一手指すごとにそこには隙が生まれる」
と言われて、目からウロコが落ちた気がした。確かに手を動かすことで、穴が生まれるのだ。
それは「風林火山」の考え方にも似ている。
「動かざること、山の如しである」
芸術というものは、「動かざること」に近いのかも知れない。ただ、隙を見つければ、突進していくという積極性も兼ね備えていなければいけない。普段は冷静な観察眼を持つことで、目の狂いを生じさせないようにしていればいいのだ。
「私が絵を描くのは、自分を絵の中に隠してしまいたいと思うことがあるからなのよ」
そう言っている麻衣を老人は想像していた。
「私も、若い頃は絵を描いたことがあったんだけどね。すぐに挫折してしまったんだよ」
その言葉を聞いて、麻衣は指を止めると、後ろを振り返った。頭から足の先まで眺めていたが、すぐに前を向いて、また絵を描き始めた。
「私の絵の中に、あなたがいるような気がするんだけど、気のせいかしら?」
おかしなことを言うものだ。絵を描いている人間に分からないというのはどういうことなのか?
「絵の中に私がねぇ。その絵は、今の光景を見たままに描いているわけではないんだね?」
「ええ、そうですわ。だから、見る人によっては、目の前の光景とはまったく違って見えると思うの。ただ、私は目の前に見えている光景を素直に描いているつもりなんですけどね」