彷徨う記憶
ということである。事の中心にいるのは浩司である。二人とも知っているのも浩司だけである。今更じたばたしても始まらないことは、浩司が一番よく知っていることではないだろうか。そういう意味では、二人を会わせるというのも、考え方としては間違っていないと思う。性格的には似ていない二人、それは当然のことかも知れない。好きになって付き合い始めた相手が似ていては、必ず比較してしまうに違いない。そうすれば、態度に出てしまうのは必至、今までうまくいっていたのは、性格の違いがあったからだろう。だが、そんな二人だからこそ、浩司のこととなれば、話が合うかも知れない。いや、それ以外のことで話が合ってくれる方がありがたい。あまりにも虫が良すぎる考えだが、そう願うしかない浩司であった。
浩司は、里美を麻衣に会わせる前に、里美との思い出の場所を二人だけで過ごそうと考えた。里美に連絡を入れると、里美は意外そうな返事だったが、嫌な雰囲気は感じられなかった。
里美といつも落ち合っていた場所で、少しだけ話をして、そのまま、里美の部屋に行くつもりだった。浩司としても、里美との思い出の場所に、ずっといられるわけもないと思った。最初辛いのは里美の方かも知れないが、滞在が長くなればなるほど辛くなるのは、浩司自身だと思ったからだ。
「女というのは、ギリギリのところまでは我慢するが、切れてしまうと、あっさりとしたものだ」
と、聞いたことがある。
付き合っている人と別れる時も、女性はギリギリまで相手に自分の考えを告げず、我慢の限度を超えた時、初めて表に気持ちを表す。要するに爆発されるということなのだろうが、男からすれば、実に勝手な感情だと思うかも知れない。
もちろん、すべての男女が当てはまるわけではないが。一般的に男性の方が女々しいと言われるだろう、
自分から別れを切り出そうとしても、その時々で楽しかったことが走馬灯のように頭の奥を巡り始めると、男の場合は、
「まだやり直せるかも知れない」
と、決めたことでも、再度考え直すこともある。
優柔不断なのは女性よりも男性の方が強い。それは、女性が我慢しているのを、どれだけ付き合っている相手の男性が気付いてあげられるかなのかも知れない。気付かずに苦しんでいるのを、そのまま声を掛けることもしなければ、女性とすれば、見捨てられたという感覚に陥ったとしても仕方がないことだろう。
女性の最後の我慢は、男性にとっても、最後のカウントダウンを示しているのだ、どれだけ相手を大切にできていたかの答えを、女性は身をもって感じようとしている。まるで腹を痛めて子供を産む時の感情に似ているのかも知れない。
里美のように冷静な女性ほど、思い詰めると何を考えるか分からない。取り返しがつかないことになるかも知れないという思いは、その時、頭の中が麻衣のことで支配されていたこともあって、分からなかった。一方だけでも大変なのに、板挟みになってしまっていることの本当の怖さを、いずれ知ることになる浩司であった。
里美の部屋は、静かで質素だった。防音設備だけはしっかりしていて、少々の音楽を掛けても、まわりの部屋に迷惑を掛けることはない。里美は、ヘッドホンがあまり好きではなかった。ヘッドホンをしているために、気付かなければいけない音に気付かなかったというのが怖いからだ。火事が起こったり、不審者が忍び込んで来たりと、不安材料はいくらでもあった。
オートロックも完備しているマンションなので、よほどのことがない限り心配はないはずだが、一度心配になると、静まることはなく、心配が募っていくばかりの里美には、心配してし足りないということはないのだ。
浩司がこの部屋に来るのは、何度目だろうか。必ず泊まっていき、朝、里美が作ったベーコンエッグにトーストの朝食を摂るのが楽しみだった。
「ここは、僕にとってのオアシスなんだ」
と、里美に話していた。
付き合っている他の女性の部屋とは、明らかに里美の部屋は違う。質素な感じは、男性の部屋に見えるかも知れないくらいだ。それに比べて麻衣の部屋などは、ぬいぐるみにピンクのシーツ。かと思えばカーテンは真っ赤だったりと、可愛らしさの中に情熱がみなぎっているようなアンバランスさがあった。
――それぞれの性格が表れている――
普段の麻衣の服装は部屋に比べれば質素なものだ。いつも華やかさに満ち溢れているようで、プライベートと公共の場でのいでたちに関しては、しっかりと心得ているのも麻衣だった。だから、まわりに敵を作ることもなく、誰とも明るい会話を保っていけるというところは、麻衣のそういう性格の表れであった。
そういう意味では、里美は裏表のない女性だ。
プライベートの公共の場でも、それほど変化があるわけではない。相手によって態度を変えることもないので、気が合う人とは話が合うが、会わない人とはとことん嫌われてしまうタイプだった。だからといって気が合う人すべてが味方だというわけでもない。里美のような性格は、大きな敵を作ることはないが、絶対に信頼し合える仲間ができるわけでもない。表から見ていると、無難な性格であり、だからこそ、冷静に見えているのではないだろうか。
里美の部屋に癒しを感じ、麻衣の部屋には懐かしさを感じる。
麻衣の部屋に感じる懐かしさは、「匂い」であった。柑橘系の香りが漂っていて、浩司の好きな匂いであった。匂いの趣味が合うのも、麻衣と一緒にいられることの喜びの一つである。
味覚の好みは違っていた。甘党の浩司に対して、麻衣も里美も、辛党であった。ただ同じ辛党であっても、辛さの種類が違う。和洋の違いと言ってもいいが、和食の辛さを好む里美に対し、麻衣は洋食の辛さを好んだ。
甘いものが最初は苦手だと言っていた里美も、最近では、浩司に合わせられるくらいに食べれるものが増えてきた。自分で作り、甘さを調節することで、一緒に食べられるようになったのだろう。
「里美の努力には頭が下がるよ」
というと、
「私は努力とは思ってないんですよ。食わず嫌いだったんでしょうね。食べれるようになったら、嫌いだったのが嘘みたいなんですよ」
「いいことだ」
と、口では言ったが、その言葉の意味を里美は分かっているのだろうか。食わず嫌いだというのは、男性の好みにも言えるのではないか。今までは嫌だと思っていても、実際に話をしたり、考えに聞く耳を持てば、嫌いだった人も好きになるかも知れない。今までは浩司一人だと思ってきた気持ちに、いつ変化が訪れるか分からないだろう。
付き合っている女性の中で、一番心変りがなさそうなのが、里美だった。そして一番情熱的なのが麻衣である。
麻衣の場合は、情熱的な中に、落ち着いた雰囲気が滲んでいる時がある。それがシルエットとしてイメージできた時、麻衣を、「本当の大人のオンナ」として見ることができるのだった。
麻衣の中に感じた「懐かしさ」は、情熱的な中に存在する、大人のオンナの雰囲気なのかも知れない、
――麻衣は放っておいていい時と、危なっかしい時の二種類の顔を持っている。里美にも二重人格性を感じたが、それよりも分かりにくいのが、麻衣の方の二重人格せいなのかも知れない。