彷徨う記憶
おどけた態度が好きなのは、麻衣に対してだけではないのだが、麻衣の場合は特別だった。他の女性のおどけた態度には、意図はまったく感じられないが、麻衣は明らかに、浩司の癒しになっていることを喜びと感じてくれている。目が合った時、その表情に浮かぶ笑顔には、妖艶な雰囲気が漂っていることに、浩司は満足感を抱いている。
倒れ掛かるように腰をソファーに沈めると、包み込まれた身体が、むず痒く感じられる。襲ってくる睡魔を必死に堪えながら見ている麻衣の表情は、心地よさすら感じられた。
「浩司さんの眠そうな顔。私好きよ」
そう言って、横に座った麻衣が、身体をもたれかけてくる。
「やっぱりクラシックもいいわね。でも、眠くなっちゃうのよね」
浩司の方はこのまま少し眠ってしまいたいと思っていた。相手が麻衣でなければ、必死に我慢するが、麻衣と一緒の時間は浩司にとって自由に使える時間だ。眠たくなれば眠っていい時間を、浩司は大切な時間だと思っていた。自由に使える時間を、安心できる時間に変えたいと思う気持ちは、麻衣も分かっているのだろう。一緒にいて、ウトウト眠ってしまっても、麻衣は起そうとしない。逆に横に座って、そのまま一緒に寝てくれるのだ。
――これが麻衣の一番の魅力なのかも知れないな――
若いオトコは、麻衣の身体だけに魅力を感じる。
「私って、結構男運が悪いのかも知れないわね」
と言っていたのも、なまじグラマーな身体を持ってしまったために、求めている男性となかなか知り合えないことを言っているのだろう。
「でも、僕と知り合えただろう?」
「うん、浩司さんのような男性は初めてよ」
「そう言われると、くすぐったいな」
「私の本音よ。本当は男性の前ではなかなか本音を言わないんだから、ありがたく思ってね」
「はいはい」
そう言って、二人は顔を見合わせて微笑み合う。麻衣は本当のことだと言っているけれど、今までにどれだけ麻衣の本音を聞けたというのだろう? それでも浩司は、麻衣の言葉を本当だと信じることをやめないつもりでいた。
どちらが先に目を覚ましたというわけでもない。浩司が目を開ければ、そこには麻衣がいて、麻衣が目を覚ませば、目の前に浩司がいた。お互いに眠そうな表情をしているが、相手に眠そうな顔を見られることも構わないと思い、出てきた表情が照れ笑いだった。
部屋の薄暗さは、眠りに就く前よりもさらに暗くなったかのように思えた。テーブルの上には小さなキャンドルの炎が揺れていて、まるで、精霊流しのようである。
眠い目をこすりながら、浩司が麻衣を見ていると、自分の方が先に意識がハッキリしてくるように思えた。麻衣はまだ夢の中にいるかのようで、うつろな目は、浩司を捉えてはいない。
ただ、こちらを見上げるようにして潤んだ眼で見つめられると、いとおしさがこみ上げてくる。思わずキスをしたくなるのも無理のないことだった。
ミントガムの味がする。サラリと伸びたストレートな髪を撫でるように抱き寄せると、麻衣の目はすでに閉じられていた。
普段、キスをする時は、
「目を閉じないでいてくれよ」
と、お願いをしているが、
「そんなことできないわよ。本能だもの」
と、言いながら、それでも浩司のために、なるべく目を開けてあげようとしている。その態度がいじらしく、さらに強く抱きしめるのだった。
「浩司さん、この間、お誕生日だったでしょう?」
そういえば、先週の月曜日は、自分の誕生日だった。毎年数日前までは覚えているのだが、直近が近づくにつれて忘れていく。誰かに声を掛けてもらわなければ、覚えていることはなかった。
今年の誕生日は、里美が声を掛けてくれた。
「浩司さん、いつもお誕生日の時は忙しそうなので、今年は私が前もって教えておきますね」
と、二コリと微笑みながら、話してくれた。
いつも誕生日には、最初に教えてくれた人と過ごすことにしている。今年は里美と一緒だったが、昨年は、麻衣が一緒だった。
どちらがよかったかと聞かれれば、答えようがない。それぞれに素敵な夜だった。去年の麻衣には
――今までにこれほど華やかな誕生日があっただろうか?
と思わせるほど楽しかった。お金を掛けなくても、いくらでも楽しい気分にさせてくれるということを教えてくれるのはいつも麻衣だったのだ。
里美の場合は、これほど地味な誕生日というのも珍しい。ケーキと手料理のアットホームな二人だけのパーティ、地味でもアットホームでも、
――この人がいてくれるだけで、何と幸せな――
という気分にさせてくれる。
二人ともまったく違ったイメージだが、求めるところと、行く着く先は、二人とも大きく変わらないと思うのだった。
浩司の誕生日は冬だが、麻衣の誕生日は夏である。里美は秋が誕生日だが、誕生日の季節が、性格に実に合っているのだが、あまりにもぴったりと嵌りすぎて、誰も誕生日と性格について意識していなかったのが、おかしかった。
きっと人の誕生日と季節を意識することはできるのだろうが、自分の誕生日と性格を比較するのは難しいだろう。自分の性格はどうしても贔屓目に見てしまったり、誕生日を忘れがちになってしまうからである。誕生日を忘れがちになってしまうのも、ひょっとすると、性格を贔屓目に見て、意識過剰になってしまうことから始まっているのかも知れない。
麻衣と出会うまで、どちらかというと細身の女性が好みだった。だが、麻衣と出会うことで、グラマーな女性を好むようになったのだが、最初はただ、身体に溺れたのではないかと思い、自己嫌悪に陥っていた。だが、実際には違ったのだが、一番の理由としては、
「自分にないものを持っている」
というのが大きかった。
浩司はスリムで背が高い。女性からモテるタイプなのであろうが、自分ではモテるという意識がない。むしろ、痩せていることにコンプレックスがあり、まわりから嫌われているとさえ思っていた。
苛められっこだった頃のイメージが残っているのか、さらには、テレビドラマなどで、犯罪者を見ていると、痩せこけている人が多いことから、痩せていることが自分でも嫌いだったのだ。
だから、あまり自分の意識の中に体型を意識しないようにしていたのだが、実際に女性と付き合うようになると、グラマーな女性が好きになってきた。
そこでもう一つの理由が顔を出すのであるが。
「グラマーな女性は包容力があり、暖かい」
というものだ。
今まではグラマーな女性を偏見で見ていた。身体を武器に男を誑かすのではないかというところまで考えていたほどである。
実際に今まで浩司が好きになった人はスリムな女の子が多かった。そのほとんどが暗い雰囲気を滲み出ていて、それが本人の意識したるものなのかどうか分からないが、性格的にも、大人しくて、引っ込み思案な女性が好きなのだと思っていたのだ。
確かに引っ込み思案で恥かしがり屋な女の子は好きである。だが、それはうるさいのを嫌う傾向にある浩司の性格とも合致したからで、グラマーで明るい性格の女性と知り合うことで、自分までまったく違った人間になったと感じさせるほど、麻衣という女は、浩司にとって衝撃的だったのだ。