彷徨う記憶
セーラー服で妄想し直すことができ、麻衣の姿を再度目に焼き付けたが、今度は勝手に反応する身体が、悦びを訴えているのがすぐに分かった。
妄想は、夢と違って、会話が成立している。
「麻衣、君を待っていたんだよ」
浩司が語り掛けると、
「嬉しいわ。私も浩司さんを待ち望んでいたの。この身体があなたを欲しているの」
その言葉を聞くと、背景には桜の花びらが舞っているのが見えた。生暖かい風が心地よく吹いてくるが。麻衣が発した言葉に、桜色が彩られ、浩司に向かってくるのが感じられるほどだった。見ようによっては、隠微なピンクにも見えるが、妄想の中での浩司は、淫靡には感じなかった。淫靡さは、発する声に反応するものではないようだ。
「浩司さんは、麻衣を愛してくれるの?」
「ああ、当たり前じゃないか。麻衣には僕しかいないんだろう?」
と、言った瞬間に、
――しまった――
と思った。自分には、他に付き合っている女性が数人いる。しかもそれを麻衣は知っていて、その話題を口にするなど、本来であれば、反則であろう。だが、麻衣は悲しげな表情を一つもせずに、
「そうよ、私は浩司さんだけなの」
貪りついてくる唇は尖っていて、キスの醍醐味でもあった。舌を入れてくるまでの数秒間、身体がとろけるような気分にさせられる唯一の時間だった。浩司は愛を形にする過程をそれぞれで大切にしたい方だった。身体がとろける場面をここだけだと自覚しているだけに、キスをおろそかにせずに、気持ちが一番通じ合う時間だということを自覚している。麻衣も分かっているようで、浩司に委ねる姿勢を絶えず崩さなかったのだ。
麻衣は浩司に委ねながら、乱れていく。
「ああ、早く浩司さんに出会いたかった」
身体をのけぞらせながら、麻衣はうわ言を呟く。
「僕だってそうだ」
浩司はビックリした。麻衣を抱いている浩司のセリフは、妄想している浩司の意識とは違っている。麻衣を抱いている浩司は、あくまでも妄想の中だけの浩司なのだ。妄想している自分は客観的にしか見ることができない。それなのに、快感は間違いなく浩司に襲い掛かってくる。
ただ、快感を貪っているのは、妄想の中の自分なので、支配欲の強い浩司には、満足するには程遠いものがあった。
「麻衣、愛してるぞ」
「嬉しいわ、浩司さん」
まるで他人事である。耳の奥に響いてきても、その声は明らかに他人だった。
――もっと、低くてハスキーな声だと思っていたのに――
と自分の声を感じていたが、目を瞑って聞いていれば、まったく知らない人の声だったのだ。
だが、セリフはいつもの言葉だ。それも自然と出てくる言葉なので、他人事のように聞いていると、恥かしさで胸の鼓動が静まらない。それに答える麻衣のセリフもどこか芝居がかって聞こえるのは、きっと耳元での声ではないからだろう。耳元での声であれば、吐息が混じっているので、さぞや興奮がみなぎってくるに違いない。浩司は麻衣を感じながら、目は虚空を見つめている。それはいつもの自分の行動だったが、妄想の中の自分の目には。何が見えているというのだろうか。
麻衣は浩司の腕の中で目を瞑り、貪りながら、快感に身を反らせている。
――なんて、可愛いんだ――
実際に抱いているよりも、妄想の中の自分に抱かれて乱れまくっている麻衣を見る方が興奮する。
――男がアダルトビデオを見て、興奮する気持ちを凝縮しているようだ――
浩司もアダルトビデオに嵌った時期があった。学生時代のことだが、女性と経験する前も、女性を経験し、彼女ができてからも、行動パターンに変わりはなかった。彼女ができてからの方が、余計に興奮する。それは、女性を知っているだけに、自分の中に残った快感を映像に照らし合わせて、その違いからさらなる未知の世界を快楽という感情で満たそうと思うのだ。未知の世界は、妄想にとって、究極の終着点なのかも知れない。
「究極の終着点というのが存在し、そこを目指すんだけど、そこは到達してはいけない禁断の世界。到達すれば最後、すべてがリセットされ、足元がすべてなくなってしまうんじゃないかな?」
「どういうことだい?」
「目標ということさ。次の目標が見つかる前に到達すれば、目標を失って、自分の中がすべて空になってしまうということさ」
そういえば、子供の頃、世界の果てを考えたことがある。それは浩司だけにとどまらずほとんどの子供が考えたことがあると答えることなのかも知れない。
ただ、それほど大げさなものでなくても、浩司が考えていたのは、電車の終着駅についてだった。親に伴って電車に乗って、いつも出かける街の百貨店。父親が百貨店好きだったのだ。
「庶民のささやかな贅沢というところだ」
と、嘯いていたのを思い出したが、百貨店は、今でこそ若者好みに作られているが、以前は、有閑マダムを中心に展開されていたところがあった。仲良さそうにしていても、心の底では見栄を張っている人をターゲットにしていたのかも知れない。
だが、浩司はマダムが嫌いではなかった。特に昼下がりのオープンカフェに姿を見せるマダムの中には一人で佇んでいる人もいた。落ち着いて本を読んでいる人が多いが、そこには優雅な雰囲気が醸し出されていて、他の人との違いを見栄などで飾ろうなどという雰囲気をまったく感じさせないのが素敵に思えたのだ。
百貨店までは、いつも電車で行っていたが、浩司はそれ以上向こうへは行ったことがない。てっきり、その向こうは電車では行けないところだというイメージがあったのだが、
――どうやってそこから先はいけばいいのか?
という発想はなかった。
「そこから先を電車は繋がっているの?」
と聞かれれば、
「それ以上は繋がってない」
と答えるに違いない。
夏休みなど、家族で旅行に出かけたりもして、特急電車で出かけるが、いつもより遠くに行っているにも関わらず、まったく違う路線を通って行っているだけで、若干の矛盾は抱きながらも、いつもの路線はやはり百貨店のある駅で終わっているという思いに変わりはなかった。
麻衣の身体が自分に合っていると思ったのは、最初からではなかった。最初は、他の女と変わりない感じだったので、ここまで長く続くとは、正直思ってもいなかった。それなのに、麻衣だけで収まらないのが男の性というべきか、麻衣を知ったことで、もっと相性が合う女を探そうと思っていたのかも知れない。
だが、麻衣を知れば知るほど、いとおしくなってきた。その頃には、麻衣だけでもいいと思うようになっていったのに反し。身体は他の女も求めてしまう。
他の女を抱くことで、麻衣という女が素晴らしい身体をしているのだと、気付くことは皮肉なことだった。
そんな麻衣にはウソをつけないと思ったのが、複数の女性を相手にしていることを誰にも隠すことはない、もし、それで嫌だという女がいるのだとすれば、少しもったいないと思うかも知れないが、その女性を切り捨てることも否めないと思っていた。
その中で里美が最初に浮かんだのは、里美が最近、どこか上の空なところがあるからだった。
――里美ほど、気持ちを素直に表に出す女はいない――
と思っていた。
ただ、それを感じるのは、浩司だけである。