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彷徨う記憶

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 その日、電車の中で見かけた女子高生、それは初めて見るはずなのに、以前にも会ったことがあるような意識があったからだ。彼女は、浩司のことをまったく意識している素振りは見せない。というよりも、誰かを意識するという素振りを一切見せないのが彼女の特徴だった。
 浩司は、彼女と話をしたような記憶が頭の奥にあった。どんな話をしたのかを思い出そうとするが、今度は、その時の自分をイメージすることができなかった。彼女と話をしている意識はあるのだが、その時の自分の顔はシルエットに包まれていて、自分ではないかのように見えた。
 シルエットの自分は笑顔を見せている。顔や表情は分からないのに、笑顔を見せているのが分かるというのもおかしなものだが、それは時々シルエットの男の目線に自分が入り込んで、彼女の表情を覗き込んだ時、思わず顔がゆるんでしまったのを意識したからだった。
 女子高生の名前は、沙織という。それはシルエットの男が教えてくれた。沙織はその男の前では絶えず笑顔である。普段見せない笑顔をこの時だけのために溜めていたかのようだ。
「俊二さん、どうして私を選んでくれたの?」
 沙織は、シルエットの男を俊二と呼んだ。俊二は、しばし考えたが、
「それは、沙織が一番分かるんじゃないかい? しいて言えば、沙織のすべてをこの俺が知っているからだということかな?」
 二人は愛を語らっているのだろうか? そのわりには妙に冷静である。
――感情を笑顔で覆い隠しているのかも知れないな――
 と、二人の精神状態を分析した。
――もし、自分がシルエットの男だったら?
 と思ってみたが、とても、そんなセリフは言えないだろうと思った。
 夢を見たり、妄想を繰り広げる時に出てくる自分を、正当化させたいという思いは、誰にだってあるだろう。
 沙織は、浩司にとってもいとおしく思える女性であった。性癖だけのせいではない。小柄で細身の沙織は、抱きしめればそのまま崩れてしまいそうなほど華奢な身体を、惜しげもなく浩司の前に投げ出し、貪るようにキスを繰り返す姿を思い浮かべると、恥かしさから顔が紅潮していることに気付く。耳たぶはまるで脈を打つほど真っ赤になっているに違いない。それは、グラマーが売りの麻衣とは正反対で、麻衣だけに惹かれていた時期があったことを思い出させたほどだ。
――そういえば、付き合っている複数の女性で、一人にだけ惹かれたという意識があったのは、麻衣だけだったな――
 決して、身体の魅力に溺れたわけではない。麻衣の魅力に溺れたのだが、確か、浩司にとって忘れられない言葉を言われたのが原因だったように思う。それなのに、最近は思い出そうとしても思い出せないのだ。どうしたことなのだろう?
――心の奥に封印してしまったのだろうか?
 浩司は一人で考えていたが、これは一人で考えていても出てくる答えではないような気がする。
 沙織が俊二との愛を語り合っているその後ろで、怪しく光った白い閃光を感じた。まるでオオカミの目のようで、優しさのかけらのない目であったが、そこに女の視線を感じたのは自分でも不思議だった。それはきっと、自分が犬好きで、犬の目線で見ることができるようになったからではないかと思えたのだ。
 犬のような優しい視線を思い出した時、浩司は意識が沙織から麻衣に移行していた。麻衣の優しい笑顔が目に浮かんだのだ。麻衣の優しさは一言でいうと、ふくよかさというべきであろうか。優しさというイメージにはいくつものパターンが含まれているように思える。優しさを女性に求める人は、自分が最初に出会った「優しさ」を本当の優しさだと思うのだろう。それは、まるで生まれたばかりのツバメが、最初に見たものを親だと思い込むのと同じで、実に自然なことだろう。
――では、なぜ、他の動物は違うのだろう?
 そちらの方が不自然な気がするが。本能で分かってしまうという動物も限られているのではないか。そう思うと、親子としての意識なくして、子供が育つということか、それではあまりにも、悲しい一生ではないだろうか?
 もっともそう感じるのは人間だけで、情というものがどれだけの動物に存在するのか、ひょっとすると人間だけなのかも知れない。裏切らないという感覚が他の動物にあるかわりに、人間には情があるのではないか。そう思うと、自分が人間として生まれたことをよかったと思っていいものかどうか、疑問に感じるのだった。
 浩司は、麻衣の制服姿を思い浮かべていた。すでに制服を身に纏っていた頃から十数年過ぎてしまった麻衣は、
「今さら、制服なんて」
 というかも知れない。
 だが、一旦想像してしまうと、妄想に行きつくまでとどまることを知らない。妄想には隠微な発想がつきもので、妄想が興奮を駆り立て、一人の世界を一番形成しやすい環境を作り上げる。
 妄想によって出来上がった一人の世界に、誰も入り込む余地などない。それが最愛の相手であっても同じだ。最愛であればあるほど、自分の妄想を知られたくない。それも一つの真理なのだろう。
 だが、この時の浩司は、自分の妄想に麻衣が入ってきてほしいと願っていた。一人で妄想するには恥かしいというよりは、妄想という時間を二人で作りたいとも思ったのだ。その理由は、麻衣には浩司が想像してもし足りない部分があり、それはどうしても麻衣本人がいなければ存在できないものだからである。
 願いは叶うものではないはずなのに、その時の浩司の思いに何が答えたのか、麻衣が現れた。ひょっとすると、二人の思いが共鳴したのかも知れない。一度共鳴してしまうと、どんなに離れていても関係はない。思いは一つなのだ。
 同じ時間に、違う空間で共鳴し合う二人、それは可能性というものが無数にあるとすれば、その無数の中の唯一のもので、可能足りうることなどありえないと思われていることだった。
――妄想の行きつく先を見たような気がするな――
 それほどのレアなケースなのに、しかもそれを意識していながら、浩司は冷静だった。
 制服の女子高生を見たことから、ここまでの妄想、そして、妄想の行きつく先に対しての考えを巡らせることができるなど、想像もつかなかった。
 麻衣は妄想の中で制服姿を惜しげもなく見せつけている。ただ、それは、浩司に対して見せつけているだけだった。まるでファッションショーのようないでたちは、どこかわざとらしさを含んでいるようで、最初に感じたほどの感動は次第になくなっていく。それでも麻衣の笑顔に変化はない。浩司が妄想をやめるまで、まったく同じ表情を繰り返すだろう。
――エンドレスの映像を見ているようだ――
 エンドレスの映像は、モニターの中だけに存在している麻衣の姿を次第に小さくしていく。そのうちに見えなくなってしまいそうなのだが、最後は限りなく無に近いほどの大きさになってしまうだけであろう。見えなくなっても存在していることで、気配は残る。浩司はその場から、妄想を消し去ることはできるのだろうか?
 麻衣はセーラー服が似合っていた。以前にも、麻衣で制服を妄想したことがあったが、その時はブレザーだった。ブレザーの中の落ち着きのある麻衣は、優しく微笑んでくれたが、それ以上を妄想することができなかった。
作品名:彷徨う記憶 作家名:森本晃次