彷徨う記憶
高杉はビックリした。高校時代とのギャップに戸惑っていた高杉を見て、祥子には興味があったのだろう。大学に入った途端、羽目を外す男性が多い中、本人は戸惑っているだけだと思っていたが、まわりから、特に祥子からは、慎重派な男性に見えていたようだ。
高杉にとって、祥子は、
――逆らえない女性――
のイメージが強かった。ひょっとして高杉が里美に興味を持った一番最初の理由は、
――祥子からの脱却――
という理由が大きかったのも事実だろう。
もちろん、高杉にはその意識はあった。祥子のことが嫌いなわけではないのだが、祥子から言われる言葉の一言一言に、何とも言えないプレッシャーに襲われるのだった。
祥子はしばらく高杉を見つめて、動こうとしない。それが高杉には一番辛かった。高杉も動くことができず、まるでヘビに睨まれたカエル状態だったのだ。
どれくらいの時間が経ったのだろう? 祥子はもう一度にやりと笑うと、踵を返して歩いていく。威風堂々とした今までに何度となく見せられた祥子の後ろ姿から、目が離せなくなっていた。
エスカレーターから降りていく祥子の髪の毛が消えていくと、それまで掛かっていた金縛りが解けた気がした。
「これはいかん」
高杉は見えなくなった祥子からの呪縛が解けると、思わず時計に目をやった。あっという間の時間だったような気がしていたが、二十分近く経過していたのを見て、愕然としたのだ。急いで我に返ると、心を落ち着けるように伸びをし、呼吸を整えたが、呼吸が荒れていたわけではない。思ったよりも冷静だったようだ。
腰を起した時、身体に気だるさを感じた。温泉酔いがまだ残っているのかと思ったが、それだけではないようだ。やはり祥子のイメージが頭に残っているのだが、それを里美に会うまでに消してしまわなければいけないと、焦りばかりが前面に出てしまう。
焦れば焦るほど、ボロが出るものだ。それも分かっているので、時間を掛けなければならない。顔が紅潮しているのは、耳が熱くて脈を打っているように感じることで分かっていた。
「里美が待っている」
すでに里美が温泉に入ると言って部屋を出てから一時間近く経っている。なるべく里美のことばかりを考えようとするのだが、どうしても頭にへばりついてしまった祥子が離れてくれない。
――祥子はどうしてここにいるんだ?
という発想を、さっきまで浮かべていなかったのはなぜだろう? 本当であれば最初に浮かぶ疑問ではないか。心の中で、
――祥子なら、ここにいても不思議はない――
というような思いがあったのかも知れない。祥子には神秘的な出現を好むところがあり、いつも驚かされていたが、今までは害がない現れ方だった。だが、今回は明らかに焦りを伴ってしまう。いつもと違う場所というのも大きな理由だ。
そういえば、以前祥子に告白されたことがあったが、それも押しつけがましい感じの告白だった。
「私が好きになってあげた」
という言い草に、いささかシラケた感じを受けた高杉は、祥子の真意がどこにあるか、その時から分からなくなっていた。
「待ちくたびれたわよ」
大げさに声を上げたが、まんざらでもない表情を浮かべる里美は、これから起こることへの覚悟半分に、おどけた態度で挑むしかなかった。
「ああ、ごめんね」
里美の様子に少し戸惑っている高杉は、やはり頭の中を整理できずに、里美を見つめた。見つめてはいるが、心ここにあらずといった雰囲気は、明らかに表に出ていた。
お互いに探り合いながらの雰囲気は、ぎこちなさから始まった。お互いにパニクッてはいるが、テンパっているのは、高杉の方だろう。
高杉は里美に対して一目惚れだった。なかなか告白できないでいたのは、高杉の引っ込み思案な性格からだと里美は思っていたが、実はそうではない。確かに引っ込み思案な性格ではあるが、むしろ好きな人ができたら、告白することに躊躇することはない。躊躇しているというよりも戸惑っていたのだ。理由は祥子の存在であった。
高杉が里美にモーションを掛けてきたのは、自分の気持ちが里美に向いていることを確信したのには違いないが、それよりも祥子の興味が高杉以外の男性に向いたことが大きかった。
祥子が夢中になったのは、かなり年上の男性だった。一度見かけたことがあったが、白髪が目立つ、中年というよりも初老と言ったくらいの男性であった。確かに祥子であれば、同年代の男性よりも年上の男性の方が似合っていそうな気がした。祥子が従順になるとすれば、父親くらいの年齢の男性であろうとは思っていた。
――やっぱり、俺は自分に従順な女性がいいのかも知れないな――
祥子との関係は、成り行きだった。望んで結んだ関係ではない。飲み会の後で、そのまま……、というのは珍しい話でもない。ただ、今から思えば、祥子の計算にまんまと引っかかったように思えてならない。今となってはそれでも悪いとは思わないが、そろそろ自分から呪縛を解放してあげてもいいと思うようになっていた。
今回の温泉旅行は、高杉にとっても、冒険だった。なりゆきで関係を結んでしまったとはいえ、高杉はいつの間にか祥子の身体に溺れていた。祥子が最初の相手だったわけではない。ただ、祥子と離れてしまって、一人になるのが怖かったというのもウソではなかった。
「あなたって、とっても素敵よ」
ベッドの中で祥子にそう言われると、高杉はその言葉だけで何もいらないと思うのだ。その言葉が本音なのか計算ずくなのか、高杉には分からなかった。
祥子とは離れられないという宿命を感じていた高杉は、祥子の友達が困っている時に見捨ててしまったという後ろめたさがあった。金銭的なことなので、別に高杉が責任を感じる必要はないのだが、祥子からすれば、高杉が何もしてくれなかったという思いを強めた。
本当であれば、その時に祥子と別れていれば、祥子に苦しめられることもなかったのだ。その時が祥子と別れる唯一のチャンスだったのに、みすみす棒に振ってしまったのだ。
別れられなかったことを後悔しているはずなのに、安心している高杉もいる。一人になるのが怖いのだ。そういう意味では里美と似ている。浩司から離れられないと思っているのは、一人になるのが怖いからだ。
だが、里美の場合は、真剣に浩司と別れようなどと考えたことはない。別れる理由が見つからないのだ。もし、このまま高杉と深い仲になったとしても、里美は浩司と別れるなど考えられない。
――捨てられたらどうしよう――
不安は募るばかりだが、それなのに、なぜか高杉にも惹かれてしまう、
「お互いに似た者同士なんだよ」
と、まだ里美が高杉を意識する前に、高杉から言われた言葉だが、今となってみれば、まさしくその通り、その言葉を意識していたからこそ、危険とも思える高杉との温泉旅行に出かけてきたのである。
――のこのこ出かけてきた私を、俊二さんはどう思うかしら?
はしたないオンナだと思われたくない。浩司と一緒にいるうちに、知らず知らずに、自分が淫乱になっていくのではないかと思うようになっていった。浩司はたまに里美にアブノーマルなプレイを求めることがある。最初の頃こそ、
「嫌、そんなのやめて」