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短編集36

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 父が自殺未遂をしたといわれても最初はピンと来なかった。誰か知り合いが自殺未遂を犯したとしても、その時の心境以上でも、それ以下でもないだろう。気分的にはずっと、
――まるで他人事――
 なのだ。
 タクシーは二十分ほどで病院に着いた。乗っている間まるで一時間くらい掛かった感覚だったが、着いてしまえばあっという間だったように思えてきた。
 病室は完全面会謝絶で、先に来ていた母は、どうしていいのか分からないのか、両手を合わせて、祈るように頭を下げて座っていた。日高氏を見つけた母は、それまで子供に見せたことのない、すがるような目を見せて、まるで助けが来たような表情に安心感を漂わせていた。
 そんな母親の顔を見るのも初めてだった。さぞや、最初は取り乱したのかも知れないと感じたほどだった。後で聞くとその予想は半分当たっていたが、それ以降の方が、母をもっと苦しめていたようだ。やはり継続しての苦しみは、どんどん倍増して蓄積していくに違いない。
 病室の父は、集中治療室に入っていて、口にはボンベを、腕には点滴を打たれていて、いかにも痛々しかった。そんな姿を見ているだけで精神的にたまらなくなった母の気持ちも分からないではない。
 日高氏は、最後に一緒に行った池のほとりのバンガローで見た父の顔を思い出していた。あの時の顔からベッドの上の父を結びつけるのは困難であったが、痛々しい姿から、トンネル内での青白い顔をしていた父の顔を最初に思い出すのはなぜだろう?
 最初は病院で痛々しい姿を晒していた父だったが、処置が適切だったこともあってか、すぐに持ち直した。回復も早そうで、それほど心配した後遺症も残ることはないだろうという医者の話に、とりあえずは安心した。しかし、母の心の中にはトラウマのようなものが残ったらしく、父が退院しても、母には少し静養が必要なほどだった。
 まず、エレベーターに乗ることを極端に嫌うようになった。
「狭いところや、暗いところには恐怖心があるようですね」
 精神科の先生の話だった。それも日高氏には何となく分かるような気がしていた。日頃から考えていることだが、ちょっとしたことでショックを受けてしまう母親には、耐えられないのも分かる。自分が同じ立場でもきっとそうだろう。
 日高氏は、逆にそれから冷静沈着な性格に変わってしまったようだ。
 少々のことでは驚くこともなく、精神的に揺れ動くこともなくなった。だが、逆に冷めた部分も多く、人から頼りにされたり、女性と恋愛することもあまりなかった。
「やつはいつも一人でいる。一人でいるのが一番似合うやつなんだろうな」
 という噂が聞こえてくる。喜ぶべきことなのか分からないが、本人は相変わらず無関心である。付き合っている女性がいるといっても、気持ちで繋がっているというよりも、身体で繋がっているといった方がいいかも知れない。相手も結婚についてとやかく言う相手ではないし、ドライな付き合い方をしている。
 小さい頃に臆病だったのは、今は昔。橋の上から高速道路を覗いても恐怖を感じるだろうが、臆病から来るものではないように思える。確かに恐怖心はある。だが、それは死というものに対しての恐怖心ではないだろうか。
 下を見ていると飛び降りたくなる衝動に駆られる時がある。そんな自分が怖いというべきだろう。
 そんな時自分は死にたいとも、死にたくないとも感じていない。完全に無関心で、
――私が死んでも、誰も悲しむ人なんていないさ――
 と思えば思うほど、吸い込まれそうな気になるのだ。後ろに気配を感じ、今にも誰かに後ろから押されるのではないかという思いがある。死を怖がっているはずもないのに、感じる妄想、本当に臆病ではないのだろうか。
――父は自殺を図った時、怖くなかったのだろうか――
 病院のベッドで痛々しい姿を見た時、それまでの元気だった父の顔が走馬灯のようによみがえってきた。医者からは、
「大丈夫、死ぬようなことはないから安心しなさい」
 といわれ、しばらくするとよくなった父だったが、死ぬことはないと聞かされた瞬間、元気な父の顔がよぎったのだ。それもまるでかなり前の出来事のように……。
 死なないと聞いて、
――なんだ、死なないのか――
 と、不謹慎なことを思ったような気もする。それを必死で打ち消そうとしている自分がいることにも気付いていた。
 父の痛々しい姿、それが自分の中でのトラウマを作り、無関心という性格を形成している。
 この無関心という性格、元々自分の中にあったような気がする。特にトンネルの中のことや、橋の上から高速道路を見つめて思うことなど、どこかに共通した意識が働いているに違いない。
 死にたいと感じることに、何かの菌が作用しているという感覚は、父が自殺をする以前から感じていた。橋の上から下を見た時に、初めて感じた感覚であることには違いなかった。
 距離感がつかめなくなり、怖さが押し寄せてくる。だが、それは死というものに対しての怖さではなく、目の前が見えなくなりそうな、そんな感覚が働いているからだ。
――自分がどこにいるのか分からない――
 これほど怖いものはなく、そこから出てくる発想は、すべてがネガティブなものでしかない。
 死ぬことを考えると、
――どの死に方が一番苦しいのだろう――
 という想像をするが、後から考えると、
――何てネガティブな考え方なんだ――
 と思えてくる。しかしそれすら、自分が無関心な人間であることに気付くと、ネガティブな考え方も気にならなくなってくる。感覚が麻痺してしまっていることが下手をすると菌に犯されているのかも知れないとも感じる。
――いつ自殺しても不思議がないな――
 と考えるが、そんな時期が規則的にやってくることに気付いたのは、躁鬱症というのが気になりだしてからだ。
 確かに無関心で冷静なところはあるが、普通に楽しいことを考えている時もある。だからこそ、襲ってくる無関心な感情に敏感なのかも知れない。ただの無関心であれば、そこまで意識しない。意識するということは、それだけ普段とのギャップが激しいのだ。
 無関心に陥る時が分かる。色が変わってくる。トンネルの色が浮かんできた時、それが無関心への入り口である。
 しばらくして父が退院した。医者がいうには、
「生きようという精神力があったからですよ。もう大丈夫です」
 とニコヤカに話していた。それを聞いた母の表情は本当にホッとしていて、それが印象的だった。
 確かに自殺未遂をしたわりには回復が早かった。しばらくは精神的に参っていたためか、なかなか身体を動かそうともしなかったが、徐々に生活が戻っていくと、仕事も見つかって、普通の生活ができるようになった。
 自殺未遂をした人とは思えないほどの回復ぶりだが、それにしても普通のおじさんになってしまった。以前は頑固で自分の考えを押し通すところがあったが、そんな気配は消え失せ、どちらかというと、
――長いものには巻かれろ――
 というその他大勢になっていたのだ。
作品名:短編集36 作家名:森本晃次