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短編集36

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 それはトンネルの中のオレンジ色を明るいと思っているか、暗いと感じているかの違いであろう。明るいと思っている人は、表を暗く感じ、逆だと明るく感じる。きっと日高氏はトンネルの明かりを暗いと感じていたのだろう。
 トンネルの中という密室にいると、エレベーターを思い起こしてしまう。エレベーターも乗っている時は密室で、昇っている時に止まろうとしている時、身体が浮いたようになり、下っているのではないかと、錯覚してしまうことがある。ガラス張りのエレベーターに乗れば、今までの感覚が錯覚であったことに気付くが、それまでは、錯覚などと感じることはないはずだ。
 狭いところで、しかも閉じ込められれば呼吸困難に陥ってしまう。橋の上から眼下に広がっている高速道路を見下ろしている時に感じる恐怖感に似ている。距離感が麻痺してしまって、自分がどこにいるのか分からないような感覚に陥る時がある。それが何よりの証拠ではないだろうか。
 色によっても惑わされる。
 赤い色を見ていると遠くに感じるのに、青い色を見ていると近くに感じる。暗い方が圧迫感を感じるからかも知れない。
 波長という意味ではオレンジ色に似ているが、赤い色も遠くの方からだと一番確認しやすいらしい。だから信号機の止まれの色は、赤色が使われている。要するに波長が長いのだ。
 赤を見た後に残る青い残像、それまでハッキリ見えていたものが、ほとんど見えなくなり、暗闇に包まれている感覚になってしまうが、それも錯覚なのだろうか?
 死にたくなる時というのは、何が見えるのだろう? 
「何かに誘われるかのように歩いていった」
 という、自殺の現場を見た人のインタビューを聞いたころがあるが、何が見えたのかまで考えたことはなかった。逆に何も見えない世界で彷徨っている姿が想像されるのだが、日高氏自身、時々自分の考えについていけなくなることがある。
 自分の死が分かっているというのは、さぞかし恐怖だろう。まず信じたくないと思うに違いない。何しろ、その結論は自分がしなければ分からないからだ。だからこそ、自分の死というものをそれほど真剣に考えないのだ。死にそうな経験をした人間にとって、何が一番怖いと聞いて、
「生きることです」
 と答えられれば、その後の言葉は出てこない。究極の考え方ではないだろうか。
 自分の死が分かっていれば、まず
――生き続けたい――
 と望むだろう。どんな抵抗をしてでも行き続けること、それが自分の生きているという証拠だからだ。死んでしまえば元も子もない。そのためには恐怖を乗り越えることが一番の急務になってくる。
 恐怖とはまず「死ぬこと」である。死を目の前にして死への恐怖心を取り除くことは難しい。死よりもさらに恐ろしいことで感覚を麻痺させようと無意識にでもするのではないだろうか。そうなると次に考えるのは、「生きること」である。
 では生きることと死ぬことの一番の違いは何だろう?
 歴然とした違いは継続性だろう。死は突然に訪れ、そこから先は何もなくなってしまう。逆に生きることは、死ぬまでの継続であり、生きることをやめると、突然に死がやってくるというわけだ。
 となれば最初に苦しむのは生きることだ。自殺する人は死ぬことの恐怖感が麻痺し、その後に、生きることへの感覚が麻痺する。菌ではないかと思うのも、恐怖心を麻痺させる病原菌がいるのではないかと思ったからで、非科学的ではあるが、理屈の上では成り立ちそうに感じる。ずっと苦しみ続ける継続性を放棄できるのであれば、死も厭わないくらいの気持ちに陥るのだ。
 継続は人を勇気付けもするが、苦しめるにも一番効果を発揮する。先が見えず果てしない苦しみを感じた時ほど、時間というものに真剣恐怖を抱くものなのかも知れない。
 父に連れていってもらった山間の池、トンネルで気持ち悪さを感じたせいか、何となく胸騒ぎのようなものがあった。その池はまわりを大きな森で囲まれていて、ちょうど、巨大な秘密基地のようである。
 森がさながらドーナツのような形をしていて、その中央に綺麗に丸い池がある。まるで大きな目玉のようであり、上から見れば、どんなに風が吹いていても、規則的な波紋を描き出していることだろう。
 バンガローのようなところがいくつもあり、キャンプ場のようになっていて、そこを一つ借り切って泊まったが、その日は他に利用客はいなかった。表で火を起こして食事などを作れるようになっているのだが、最近、火を起こした跡が残っていない。
――当分の間、ここが使われたことがなかったのかな?
 と思うと、一瞬
――とんでもないところへ来てしまったんだ――
 と思えた。その思いは次第に強くなり、強烈ではないが、しばし考えさせられるのであった。
 どうして、その時に父が池のそばでキャンプを張ろうと思ったのかハッキリと分からない。何かの目的があったのだろうが、表情を見ていて、聞くに聞けなかった。
 トンネルに入る前と出てから後では顔色が明らかに違っていた。まだ、オレンジ色の影響で残像が残っているのかと思えるほど、顔色が青ざめていて、そのせいか、表情もこわばっているように見える。まるで、何かの覚悟を決めているかのように、何もないはずの虚空の先を見つめていた。
 父が自殺未遂をしたのは、それから一ヶ月後のことだった。母には青天の霹靂だったらしく、そのショックは計り知れなかった。しばらくは放心状態の中、父の看病をしていたようだったが、本人も精神科にしばらく通院していた。日高氏の知らないところで、夫婦の間の何かが狂ったのかも知れない。
 自殺の原因はハッキリしなかった。いろいろ警察に調べられたようだが、原因らしきことは何も出てこなかった。精神的な疲労が重なったのだろうという結論になったようだ。
 だが、日高氏には、おぼろげに分かるような気がしていた。自殺と聞いて不思議と驚くこともなく、むしろ、
――やっぱり――
 と思ったくらいだ。
――誰も知らない父を、自分だけが知っている――
 それが日高氏のその時の心境である。
 父の自殺を学校で聞かされた。授業中に担任の先生がいきなり入ってきて、日高氏の手をいきなり引っ張って表に出した時はさすがにビックリし、何が起こったのかさっぱり分からなかった。一番ビックリしたのはその時で、
「驚かずに聞いてね」
 一番息を切らせて戸惑っている先生を見ていると、却って次第に冷静さを取り戻していった。
「実は今警察から連絡があって、お父さんが……、自殺未遂をなさったらしく、県立病院に運ばれたらしいの。今からすぐに行きましょう」
 担任の先生が女性だったことも、精神的にショックが大きかったのかも知れない。いや、大人になって考えれば、女性だけにもっとしたたかだったようにも思える。
 学校が呼んでくれたタクシーで、先生と病院へ向ったが、タクシーの中では二人とも無口だった。何を話していいのか分からなかったというのもあるだろうが、その頃には先生もある程度落ち着きを取り戻していた。日高氏は、窓の外を見ながら、いろいろ思いを馳せていた。
――やっぱり、自殺菌なのかな――
作品名:短編集36 作家名:森本晃次