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短編集36

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「そりゃ、やっぱり低いところから飛び降りた方じゃないんですか? だって、即死だったんでしょう?」
 誰もが心の底で思っているが口に出すのが恐ろしい「死」というキーワード、開けてはいけない「パンドラの箱」ではないが、誰かが口にすれば気になって仕方がないのかも知れない。
「ああ、確かに即死だったようだ。本人は車に当たった瞬間に気付く間もなく死んでしまったのかも知れないね」
「だったら、やっぱり即死がいいんじゃないですか?」
 今度は他の生徒が口を挟んだ。
 一体何がいいというのだろう? だが適切な言葉が見つからない。
「いや、だけどね、高いところから飛び降りれば、地上に着く前に心臓麻痺で死んでしまうらしいんだよ」
――心臓麻痺――
 それが楽なのか、苦しいのか、想像もつかない。確かに何かに強烈に衝突してグシャグシャに砕けてしまうのを想像するだけでも苦しいのだから、外傷が感じられない心臓麻痺の方が楽に感じられるだろう。しかし、実際は耐えようと必死に頑張った末、極限の状態で停止する心臓、そこに来るまでの過程が分からないだけに、想像を絶するものがあるだろう。
 そんな話を思い出しながら橋の上から見ているから、
――ここから落ちれば痛いだろうな――
 という発想になるのだ。
 下を見ていると、震えとともに足の感覚がなくなってくる。まるで自分の足ではなくなってしまったかのようだ。
 日高少年はよく足の怪我をしていた。あわてんぼうなくせに冒険心は旺盛で、いわゆる「ワンパク少年」だったのだ。
 子供の頃は怖くないと思っていた高いところが、いつの頃からだろうか、急に怖いと思うようになった。飛び降りるということを意識し始めてからかも知れない。高校時代には自殺について考えたこともあったが、真っ先に高いところから飛び降りるという発想が頭に浮かんだ。
――どうして飛び降りるという発想だったのだろう――
 薬だったり、ガスだったり、首吊りだったりと、自殺の方法にもいろいろある。一見、睡眠薬の服用が一番楽な気がするが、それも友達との話の中で考えが変わった一つである。
「睡眠薬を使ったり、ガスで死ぬのが一番楽に感じるだろうが、決してそんなことはないんだぞ」
「どういうことだい?」
「スッキリと死に切れればそれでもいいが、もし中途半端に生き残ったりすると、後遺症がすごい。それなら即死の方法を選ぶ方がいいんじゃないか」
 死を選ぶとしても、そこまで考えないといけないのかと思いながら、友達の淡々とした語り口調に酔っていた。まるで催眠術に掛かったかのように。自分が死を選択した人間のように思えてくるから不思議だった。
 そもそも、
――スッキリした死――
 って何なのだろう? 何もする気力がなくなって死を選ぶのだから、
――簡単に死なせてくれてもいいじゃないか――
 と思えてくる。それならわざわざ死を選ばないと思う人もいて、自殺を思いとどまった人もいたりするかも知れない。
――自分で自分の命を絶つ――
 神に対する冒涜なのだろうか。まるで宗教の世界である。
 宗教にはこれといった興味も何もない日高氏だが、死というものを考えた時には、さすがに考えさせられた。奥が深いものだというのは感じたが、宗教掛かってくると、それ以上深く考えたくないと思うようになったのも事実で、それ以降、自殺しようなどと考えたことはなかった。
 元々自殺を考えたといっても、今から思えば他愛もないこと、考えたことが恥ずかしくなるくらいだ。
 だが、青年期に自殺をしたくなる人はいないのではないだろうか? これも友達が話していたことだが、
「菌があるのかも知れないな」
「菌?」
「ああ、自殺をしたくなる菌さ。躁鬱症だってそうじゃないか。急に鬱になったりするだろう? あれだって、躁鬱の菌があるのかも知れないぞ」
 言われると、なるほどと感じるが、今まで考えたことがなかったのが不思議なくらいだった。考えてみれば、そういう菌があっても不思議でも何でもない。死にたくなる理由はあってないようなものではないか。鬱状態だって、なっている時は訳分からずに、鬱状態を抜けて躁状態になると、鬱だったことを忘れてしまっている。あまりにも極端なので、覚えていないのだろうが、それにしても、そんなに簡単に忘れるというのもおかしなものだ。
 それを話すと、
「だから、菌がいるんだよ。自分たちに分からないように身体の中でじっと身を潜めているのさ。だから、皆自殺志願の候補なのかも知れないな」
「潜伏期間ということかい?」
「ああ、そうだ。昔自殺者が増えたことがあっただろう? しかも流行り病のように連鎖反応を起こしてね。これだって伝染したのさ、そう思うぞ」
 連鎖反応というと事故でもそうだ。列車事故など、続く時は続く。同じ人が起こすわけではないのに、人身事故なども頻繁だ。一体何が作用しているというのだろう。単発で考えるには、あまりにも重なりすぎる。
――これも何かの菌なのだろうか?
 高いところから下を見下ろすと足が竦むが、そんな時に菌の存在が頭をよぎる。必死で打ち消しているが、どこまでが、自分の足か分からなくなることがある。遠近感がとれなくなり、自分の目が信じられなくなる。
――どっちが上で、どっちが下なんだろう――
 上下感覚が狂ってしまうともうダメで、一度、そんな気分になった時、近くを歩いていた人に助けられたことがあった。気を失った日高氏が目を覚ましたのは病院のベッド、精神安定剤を打たれて、眠っていたらしい。
「危なかったわよ、どうしてあんなことしたの?」
「あんなこと?」
「飛び降りようとしていたらしいじゃないの」
 母親に言われてビックリした。
「そんなつもりなどまったくないよ、ただ上下感覚が狂ってしまって、必死で誰かに助けを求めていただけだよ」
 と話した。確かにそうだったはずである。
「高速で飛んでいるパイロットは、いくら訓練されていても、ごく稀に前後左右が分からずに、自分がどこを飛んでいるか分からなくなるらしい。計器を信じればいいんだろうが、それが信じられない。自分が信じられないから、きっと計器も信じられないんだろうね」
 これは、戦闘機が好きなおじさんの話だった。この話は、日高氏が飛び降りそうになった時から、かなり後になって聞いた話だった。飛び降りそうになったことすら忘れかけていた時期で、話を聞いていて思い出したのだ。
 話を聞いているだけで、ゾッとするようなイメージが浮かんでくる。
 真っ暗な中を、ただひたすらに飛んでいる。身体に掛かる圧力は間違いなく飛んでいるのだろうが、目で見ている感覚は、まるで止まっているかのようなのだろう。真っ黒な雲を突き抜けていく。果てしないという言葉がふさわしいかどうかも分からない。耳の感覚がなくなるほどの乾いたエンジン音、耳鳴りとどう違うのだろう。
 夢の中でも、足元が急になくなって真っ暗な中に落ち込んでしまうことがあった。夢なので最後まで見たという記憶はないが、真っ暗だったのは覚えている。起きてから足が痙攣を起こしていたが、それも当然のことであろう。
 夢というのは潜在意識が見せるものらしい。それでは、その時になぜ大きな穴が見えたのだろうか?
作品名:短編集36 作家名:森本晃次