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短編集36

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安らかな恐怖



                    安らかな恐怖


「明日、天気になぁれ」
 そういって、小さい頃に下駄を投げて明日の天気を占ったものだった。何も考えずに気持ちが安らかなものだったと果たして言えるだろうか。
 夕焼けが足元から影を伸ばしている。反対側の空からは夕闇が迫ってきそうな、そんな時間帯である。風は止んでいて、いわゆる夕凪と呼ばれる時間帯が近づいていたに違いない。
 なぜ、今頃そんなことを思い出したのだろう。
 眼下に広がるハイウェイ、ものすごい勢いで通りすぎる車を見下ろしていると、そのまま身体が吸い込まれそうになる。なぜ、こんなところに立っているかということすら忘れてしまって、腰が抜けてしまいそうだ。
「お前は本当に臆病だからな」
 昔から言われていたことだ。
――臆病なんかじゃないやい――
 言葉に出すことができない本当の臆病なのだ。まだ臆病だと自覚しているだけマシだと思うが、それも気休めではないだろうか。
 小さい頃によくここで下駄を投げて天気を占ったものだが、あの頃からもうすでに二十年が経とうとしているのに、この場所だけは変わらない。下を走る車の形は、随分と変わってしまったが、見える風景に変わりはないのだ。
 ちょうど山を削って作ったところなので、ここから街の風景を見渡すことはできない。さすがに街の風景は、二十年も経てばまったく変わってしまっている。二十年前はまだ田んぼが目立っていたこの地域だが、すでに住宅が立ち並び、学校やスーパーなどが充実してきて、都会へのベッドタウンとしての地位を不動のものとしていた。
 日高裕也は、今年で二十八歳になる。まだ独身だが、付き合っている女性は何人かいた。このまま独身生活を続けてもいいし、いい人がいればすぐにでも結婚してもいいくらいの気持ちもある。しかし、なぜか結婚という言葉にあまり興味が湧いてこない。冷めていて淡白なのだ。
 まわりの友達は皆早くに結婚している。新婚生活を楽しんでいる人もいるし、新婚時代から嫁さんの愚痴ばかりこぼしている人もいる。だが、それでも日高氏にはのろけにしか聞こえない。
 仕事は順調であった。会社に入って五年、仕事も充実していて、しかもまだ役職もついていない。一番フリーな立場ということで、充実しているのだ。
 最初の一年は、ただがむしゃらに、次の一年でまわりが見えてくる。それ以降は、自分から率先して動くようにして、そして今では、自覚が自信に直結している。充実感に満ち溢れているのも当たり前かも知れない。
 余裕を持ってまわりを見れるとリーダーシップも出てくるというものだ。元々がコツコツ派である日高氏だが、会社の仕事はある程度が流れ作業、前があって後ろがある。こちらの仕事はまわりに影響を及ぼし、全体を把握していないとできないものである。
 それだけにまわりへの配慮も不可欠で、仕事以外でも、仕事で近い存在の人との昵懇を深めることは大切だった。絶えずまわりを見渡す目を持つことを心がけている。
 まわりが見えてくると実に面白いものである。
「誰々さんたちが付き合っているんだって」
 などと宣伝が好きなOLが会社には必ずいるものだが、彼女から噂を聞くよりも、先におぼろげながら見えているくらいになっている。話を聞いて、
――ふふ、もうそれくらいは知っているさ――
 心の中でほくそ笑むことが何度となくあった。
 仕事にまったく不安も、不満もない時期だ。自分の信じたとおりにやっていればいいのであって、それだけで、まわりが信頼してくれる。どちらかというと、会社を離れてからの方が不安になる。
 取り越し苦労ではあるのだが、仕事を終えて、しばらくの時間は充実感に溢れているが、最初はすぐに帰宅していた。
 仕事がさばけるのか、それとも、まわりに仕事をうまく分散できた成果なのか、最近は完全に定時に終われる。明るい時間に帰れないのは、冬の時期だけで、夏はまだ、会社を出た瞬間に、西日の影響をモロに受け、眩しくてしょうがない。そんな時は帰りに炉辺焼き屋で一杯やって帰ったものだ。
 あまりアルコールの強くない日高氏は、家の近くでしか飲まない。飲みすぎて電車に乗ると気持ち悪くなるからだ。
 一人暮らしなので、誰に遠慮することもない。却って一人の部屋にあまり早く帰るのも好きではなく。せっかくの一人暮らし、
――酒でも呑んで帰っても構わないではないか――
 と思うのも無理のないことだ。
 実家はそれほど遠くないのだが、社会人になった自覚を促す意味で、自分から一人暮らしを始めた。駅から自分の部屋までは、勝手知ったるところを歩くので、まったく違和感などない。
 駅を降りてから五分も歩かないうちに、高速道路の上の橋を渡り、住宅街への一本道を歩いていくのだ。
 下駄を飛ばしていた頃が懐かしい。下の道路を見ては、
――ここから落ちれば痛いだろうな――
 などと当たり前のことを考えて、足の震えを感じていた。
 臆病なくせに、怖いもの見たさというのは、子供なれば当たり前のことかも知れない。
 怖いテレビを見ては、
「夜、おしっこに行けなくなるわよ」
 という母親の言葉に対して、
「大丈夫さ。これくらい」
 と答えてはいたが、実際には本当にトイレに行くのが怖くなってテレビを最後まで見てしまったことを後悔してしまう。子供ってこんなものだと思いながら、
――学習能力がないのかな――
 と感じてもいた。どちらの気持ちが強かったのだろう。今となっては分からない。
 高いところから見ている怖さと、恐怖番組を見るのとでは、怖さの度合いが違う。種類が違うと言った方が正解だろう。
 足が竦んで遠近感が取れなくなる。最初遠いと思っていたはずの道路が、急に近く感じられ、そのうちに、目がくらんでくると、もう足の竦みが震えとなり、止まらなくなる。次第に体重が前にいくようになり、我に返ると、
――わっ、何をしているんだ――
 今にも飛び降りそうな体勢になっていることに気付き、恐ろしくなる。
 本当の恐ろしさを知るのはその時だ。我に返ると、目の前で飛び降りようとしている瞬間である。これ以上の恐ろしさなどあるものか。
 そういえば、まだこのあたりがベッドタウンと言われる前の、ちょうど日高氏が引っ越してきてから間がない頃に、ここから飛び降り自殺をした人がいると聞いたことがある。聞いた時には恐ろしくて想像もできなかったが、今手すりにもたれかかるように下を眺めていると、自殺した人を思っているような気がする。
――ここから落ちれば痛いだろうな――
 痛いなんてものではないだろうに、なぜ痛いという気持ちが頭をよぎったのだろう。
――痛いと感じる前に死んでいるに違いない――
 それくらいのことは想像がつく。
 小学生の頃、担任の先生が自殺者の話をした時、最後に聞いた話が頭に残って離れない。その話があるから、今でも自殺者のことを思い出すのかも知れない。
「人間はかなり高いところから落ちる時と、この間の自殺者のように橋の上から落ちた時と、どちらが楽に死ねるんだろうね」
 そんなことを小学生に聞いてどうする。思わず呟いてしまったという感じでもあった。
すると、それを聞いた一人の生徒が、
作品名:短編集36 作家名:森本晃次