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短編集36

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 それまでにあまりおだてられたことのなかった光山は、本当におだてに弱かった。自分が新人賞を受賞して、テレビやマスコミで紹介され、有名な絵描きから賞賛を受ける。そんな光景を思い浮かべてばかりの毎日で、夢にまで出てくるほどだ。
 おだてが時には糧になることもあるが、たいていの場合はマイナス要素が大きい。危険性をはらんでいるのかも知れない。
「このまま頑張ってプロを目指したいです」
 と先生に話した時のことをハッキリと覚えている。先生のそれまでの表情とは明らかに変わっていて、無表情になっていた。そして冷静に顔を見上げ、
「何をバカなことを言っているんだ。プロなんてそんなに甘いものじゃないぞ」
 と一喝され、その顔を見ると今までから打って変わって冷静さだった。
「……」
 言葉など出てくるはずもない。出掛かった言葉を飲み込むのがやっとである。
 あとで聞いた話だが、先生もプロを目指して頑張った時期があったらしいが、ある時期を境にプロを諦めたようだ。そして美術の世界から離れることができずに就いた職業が美術教師だったのだ。
「先生と呼ばれて、好きな美術に囲まれているっていうのは、実に贅沢な気持ちだな」
 と話していたことを思い出した。その時の先生の表情が印象的で、実に楽しそうな顔だった。
 光山は高校に入ると美術部へは入らなかった。違うことをしてみたくなったのだ。
 しかし、絵を描く楽しさを忘れたわけではなかった。特に綺麗な山を見ると距離を無意識に測ってみたり、緑の映えた山肌に、どのような立体感を持たせればいいかを考えていたりする。ところどころに黒い影を忍ばせるのとで、さらに緑が深まって、そのまま立体感を思い起こさせるのだ。
 山を見ていると、連山のようになっていて、山の間にいくつかの谷が存在していた。電車は、谷に向って走っていく。目指す村は、どうやら谷になったところにあるようだ。
 温泉が出るいわゆる秘境のようなところなので、山間であることは分かっていた。人の住める範囲が限られている村なので、さすがに温泉が出たとしても、人が集まるような施設を作れるところでもない。山間にできた小さな谷間、そこが目指す村なのだ。
 駅に降り立って、すぐに感じたのは、
――なるほど、看板が壊れている――
 看板といっても小さな駅に一つしかない看板なので、壊れていれば目立つのだ。
 駅のすぐ横には川が流れていて、静かな村にこだまするせせらぎが聞こえる。川の音というのは、涼しさを運んでくれる、風を感じるからだ。せせらぎを聞いて涼しさを感じさせるように草が風にサラサラ揺れている。
 川原に落ちている石を見ると、すべてが白い色をしている。白さは、まわりの森が深緑に見えるせいで光を放っているようにさえ見え、川面が揺れるたびに明るさを反映しているかのようである。
 宿はすぐ目の前に見えてくるが川を挟んでいるせいか、少し遠くに見えている。赤い橋が架かっていて、駅を降りれば一直線に橋を渡って向こう側に見える温泉宿につけるのだ。
 川原に下りることもできるようだが、まずは宿に入って落ち着きたかった。まだ日は高く、影が長くなるまでには、もう少し時間が掛かるようだ。
「ごめんください」
 木造でいかにも温泉宿を思わせる、昔から温泉宿だったとしたら、かなりの歴史を感じさせる。
 奥から女将と思しき女性が一人で出てくる。他の従業員はいないのだろうか?
「いらっしゃいませ。お待ちしておりました。どうぞこちらへ」
 膝をついて挨拶をしてくれた和服の女性。年の頃は四十歳に近いだろうか。少し自分より年上で、しかも和服の似合う女性ということで、少しドキリとするものを感じた。
 挨拶を終え、立ち上がると、踵を返して歩いていく。後ろを追いかけるが、最初暗いと感じた通路が少しだけしか経っていない時間の中で明るさを感じるようになってきたのは不思議だった。
 さすがに時間の流れを感じさせないと、同僚が言っていただけのことはある。きっとこの宿には違う時間が流れているのだろう。
 それにしても女将の後姿に感じる大人の女性の佇まいは、宿の重々しい雰囲気に反映されてか、うなじに見とれて視線を離すことができない。
 これまで結婚をあまり考えたことのなかった光山だが、一度だけ真剣に考えた女性がいた。あまりにも真剣だったので、却って駄目になったあとは、他の女性を見て、「結婚」という二文字を考えることはなくなった。
 その人は和服の似合う女性だった。まだ若かった頃に同僚につれていかれた居酒屋の常連客の一人だった。普段は友達と来ていたらしいが、最初に会ったその日は、たまたま一人で来ていたのだ。
 カウンターで隣り合わせ、他に客はいなかった。同僚との話もそこそこに、意識は彼女に向っていた。
 まだ若かった頃だ。同僚が急に仕事で呼び出され、お互いに一人になった最初は、いくら隣同士とはいえ、言葉を掛けるきっかけがなければ話になるはずもない。
 どちらからだっただろうか、話してみると会話に花が咲いた。それまでの重たい空気が一気に晴れて、堰を切ったように言葉がどんどん出てくる。
 学生時代から絵を描くのが好きだったことを言った時、彼女の目が輝いたのを、光山は今でも忘れない。
 名前を弘子と言った。
「私、学生時代にモデルをしていたんです。写真に撮られることはよくあったんですが、一度描いてもらいたいと常々思っていたんですよ。私を描いてくれますか?」
 というではないか。確かに絵を描くのは好きだったが、それは風景画、いきなり人物画というのは抵抗があったが、弘子の大人の雰囲気の合間に見せる妖艶さとあどけなさのアンバランスが、光山には眩しかった。
 弘子に言われるまま彼女の部屋へと向うと、おもむろに脱ぎ始めた状況に戸惑ってしまった。
「まさか、ヌード?」
「ええ、お願いできますか?」
 あどけなさを妖艶さが覆い隠した瞬間だった。真っ白い肌があらわになる。和服というあでやかさに隠されていた淫靡な世界を一気に垣間見た気がした。あでやかさに、我を忘れてしまっていた……。
 駅から宿へと向う川原に落ちている石の白さ、まさしく彼女の肌の白さを思わせた。汗を掻いているのか、白い肌が濡れて光って見える。
「ねえ、綺麗に描いてね」
 と言わんばかりのまなざしに、目のやり場に困って、なかなか絵筆が進まない。それを知ってか知らずか弘子は次第に腰をくねらせる仕草が目立ってきた。
 妖艶な雰囲気に包まれた空気に時間が支配され、被写体に釘付けになった目は、血走っているに違いない。
――芸術作品を描いているんだ――
 と心に言い聞かせなければ、理性がどこかで吹っ飛んでしまいそうな気がする。理性が吹っ飛ぶと本能だけとなり、そこにいるのはオトコとオンナ、おのずと先は知れている。――弘子はそれを望んでいるんだ――
 と思うと、その思惑にまんまと嵌ってしまうのは癪だ。
 理性と本能の狭間で苦しんでいるように感じていたが、時間が経つにつれて芸術作品に対して気持ちが入ってくるように思えたのだ。
――きっと今までにない素晴らしい作品ができる――
作品名:短編集36 作家名:森本晃次