永遠の保障
だからと言って彩香は神経質で、整理整頓に長けているわけではない。自分の成果に対しては神経質なほどにキチンと並べているが、それ以外は適当だった。自分の成果しか認めないと思っているからで、それが何もないところから新しいものを創造することに造詣が深い証拠である。
彩香がポエムを書き始めてから、シナリオへと移行し、さらに小説を書き始めたのは、新しいものを作るということへの進化だと自分で思っている。
――でも、小説を書くことだけは、これ以降も辞めないだろうな――
と感じていた。
これまでやってきたポエムもシナリオも、小説を書くためのプロセスでしかなかったという思いを抱いているからだった。
小説というのは、本である。一つの作品が本となってできあがっていることに、どこか不思議な感覚があり、本棚に並んでいる本の背を眺めていると、そこに並んでいるのが、――自分の書いた作品だったら――
と思うことで、自己満足を感じるようになっていた。
しかし、実際には自分の作品でもなんでもない。
彩香は、嫉妬深い方だった。それは相手が男性であるという嫉妬ではない。欲望に対しての嫉妬だ。
人が表彰されたりするのを見ると、無性に苛立ってくる。羨ましいという気持ちが強すぎるのかとも思ったがそうではない。羨ましいと思う自分に対して苛立ちを覚えるのだ。
だから、人が表彰されているのを見て、まわりの人もまるで自分のことのように喜んでいるのを見ると虫唾が走る。
――自分たちにプライドはないのか?
と言いたいのだ。
プライドがあれば、人の表彰をまるで自分のことのように喜べるそんな気が知れない。もし、その相手が親友だったとすれば、その人は自分以外の人からもチヤホヤされて、それまで唯一の親友だったはずなのに、表彰された瞬間から、自分はその他大勢に成り下がってしまう。
しかも、チヤホヤされることで、その人はまわりの人間を軽視するようになっているかも知れない。
――私は成功者だ――
と思うと、まわりの人間と明らかに自分は違う世界に一歩踏み出したと思うからだ。
そうなってしまうと、親友などという関係は、脆くも崩れ去るものではないだろうか。成功者がまわりを軽視してしまうのは無理もないこと、自分が置いて行かれたということに気付かないのであれば、気付かない方が悪いのだ。
そう思うと、成功者と自分とがまだ親友だと思いたいのであれば、自分にも劣等感が必要だ。相手が優越感に浸っているのであれば、劣等感で対抗しないと、ニアミスを繰り返し、決して交わることのない平行線を半永久的に描くことになってしまうだろう。
彩香も、自分がそんな成功者への道を歩み出したことを感じていた。目標をどこに置くかというのは難しいところであるが、最初から高みを見るということは無理だと分かっている。
ただ、本当に自分が成功者になりたいのかどうか、疑問があった。成功者というのは、一度成功すると、それ以降も、さらに高みを求められる。それは階段を上がれば上がるほど厳しくなっていくものだ。
ただ成功だけを夢見ている人にはそんなことは見えてこない。ここまで深く考えるのは少し冷静すぎるかも知れない。
――成功者なんて、なりたくない――
そんな思いを抱くようになったのは、小説を書き始めてから少ししてからだったように思う。
――ように思う――
と感じたのは、そう感じた原因が、夢にあったからだ。
夢というのは、目が覚めると内容を忘れてしまうが、その夢をいつ頃見たのかということも、結構早い段階で分からなくなってしまっている。
忘れてしまっているというよりも、分からなくなっているのだ。それは、
――夢を見た――
という漠然としたことが、全体的にしか思えていないからだ。
忘れてしまうということは、覚えていようという意思があるから忘れてしまうのであって、最初から覚えていようという意思がハッキリしない時、分からなくなるものではないのだろうか。
その夢は、確かにすぐに忘れてしまっていたのだが、彩香の中で、
――成功者になんかなるものではない――
という発想を抱かせたのだ。
ちょうどその頃、文学賞の発表があり、彩香はその人の様子を注目して眺めていた。受賞後すぐは確かに本屋には大きなポップが掛けられて、宣伝も大々的だったし、作者自身もテレビ番組に引っ張りだこだった。
さらには受賞作をはじめとして、作者の作品をいくつもドラマ化や映画化が騒がれ出した。完全に時の人である。
次作品も早々に発表され、作品はそこそこに売れたようだ。しかし、受賞作ほどの勢いはなく、その次の作品はずっと発表されないでいた。
それから半年してくらいであろうか。
「某文学賞作家、作品迷走中」
というタイトルとともに、目に黒い線を入れて、苦悩の表情そのものの内容の文章がつづられていた。
「まるで、犯罪者のようだわ」
実際にそのコーナーの次の人物は、過去の犯罪者だったりする。
それを思うと、
――いくら成功しても、その地位を守り続けるのって、成功することよりも難しいのかも知れない――
と感じたのだ。
その時、彩香は、
――私は決して無理をしない――
と思った。
別に人に認められなくても、自分が満足できる作品ができればそれでよかった。下手に認められ、おだてられ梯子を上らされても、その梯子を簡単に外してしまって、他の人に梯子を掛けるのが世間という生き物だと思うのだった。
彩香は、まず考えたのは、
――途中で考え込まない――
ということだった。
小説を書くのも、途中で考えてしまうと、そこから先は進まなくなる。つまりは書き始めたら、自分が納得のいくところまで辞めないことが必要だということだった。
そして、一つができれば、次々に作品を書くこと。それは最初にアイデアが浮かんでくれば、その勢いで書きなぐるという意味でもある。
もちろん、簡単なプロットのようなものは必要だろう。しかし、コンテのようなカチッとしたプロットまでは必要がない。
――下手に最初にカチッとしたものを作ってしまうと、それに安心して、書く時のアイデアが浮かんでこない可能性があるわ――
と感じたからだ。
そう思って書いていると、書き上げまでにそれほど時間が掛からない。次の作品を考えようと思っても、一作品を書き上げた勢いで、アイデアは浮かんでくるものだった。
さらに彩香は、
――質よりも量だ――
と思っていた。
下手な鉄砲でも、数撃っていれば、次第に作品にも艶というものができてきて、自分の納得できる作品ができると思っている。
「そんなのは自己満足だ」
という人もいるだろう。
しかし、彩香はそんな人たちに対して、
「自己満足で何が悪い」
と言い切るに違いない。
さらに、
「自分で満足できない作品を、他の人に読んでもらうという発想が、そもそも間違っているのよ」
というと、
「じゃあ、人に読んでもらえるような作品を書けるようになればいいのよ」
と言われるだろう。
「でも、私は人のために書いているわけではなくて自分が満足したいから書いているの」
という。