永遠の保障
ゆあは、どうして立体的に見えるのかを考えていた。
――目の前にあるスケッチブックのどこに最初、鉛筆を落とそうかを考えていたんだわ――
と感じた。
最初に思ったのは中心だった。
中心を考えると、その中心をまわりから攻めてくるように判断するものなのか、それとも全体を見て、客観的に判断するものなのかということを感じた。
どちらともいえない中で、気が付けば全体を見ている自分がいた。しかし、その時どうしても客観的になれない自分がいることに気付いた。その瞬間、目の前に写っている白い色が閃光を放って光っていると思ったようだ。
一瞬でも目を瞑ることができればよかったのだろうが、その時のゆあは目を瞑ることができなかった。そのため、直接閃光を目に浴びてしまい、ところどころに斑なシミが残ってしまったようになったのだろう。それを残像として片づけられればいいのだが、頭の中で整理できなくなってしまったことで、白い色に感覚がマヒしてきて、立体的に見えることで、遠近感がマヒしていることに無意識に気付いた。そのため、頭が考えを制御できなくなり、激しい頭痛に襲われたのだろう。後から冷静になって考えたゆあは、ここまで考えることができていた。
――我ながら、すごい分析力だわ――
と、感心していた。
――まるで白い色に拒否されているようだわ――
と感じた。
絵を描く一番最初の段階から、一番大きな壁にぶつかった気がした。
これから以降、絵を描いていれば、もっと大きな壁にぶつかるかも知れないという思いはその時のゆあにはなく、これが一番大きな壁であり、それだからこそ、この壁さえ乗り越えられれば、あとは少々のことはあまり問題ではないような気がしていた。
勝手な想像ではあったが、ゆあは、まず目が慣れてくるのを待った。その間に、スケッチブックのどこに最初、鉛筆を落とすのか考えていた。
――どこに落としても、結局は一緒なのかも知れないわ――
最初の一歩が気になって仕方がないだけで、実際に落とした場所から展開させることというのは、さほど難しいわけではないと思えた。
――絵を描けないといっている人は、案外この第一関門を突破できずに、諦めてしまっているんじゃないかな?
と感じた。
これは絵の世界に限ったことではない。小説や彫刻、他の芸術に関係することすべてに言えるのではないか。
――そういえば、将棋の世界でも聞いたことがあるわ。一番隙のない布陣というのは、最初に並べた状態であり、一手指すごとに、そこから隙が生まれてくるって――
将棋の、最初の布陣を考えた人ってすごいと思う。完全な減点法の将棋の世界と、何もない盤の上に一つずつ置いていく以後という加算法の世界。どちらも結局は同じようなものではないかと思うのは、ゆあだけではないかも知れない。
――絵というのは完全に加算方式のように思っていたけど、実際には減算方式も含まれているのかも知れない――
と感じたのは、最初に鉛筆を落とす位置で悩んでしまったからだ。
絵画でも最初に何もないわけではない。真っ白なスケッチブックやキャンバスがあるではないか。それこそが将棋でいう最初に並べた布陣、つまりは隙のない布陣と言えるのではないだろうか。そう思うと、あの時の頭痛を催したという現実も、まんざら理屈として考えられないことではないかも知れないと思えた。
――じゃあ、真っ白なスケッチブックは、百でもあれば、ゼロでもあるということなのかしら?
何かの作品を描こうとして白いスケッチブックに向かった時、そのことを無意識にでも意識してしまうと、頭痛がしてくるのではないかとゆあは感じた。
あの時、確かに無意識ではあったが、真っ白なスケッチブックが、何かで埋まっているような気がしたということなのだろうか?
絵というものは、目の前にある光景を忠実に描き出すのが絵だと思っていたが、果たして本当にそう言えるのだろうか?
「絵というのは、目の前の光景を忠実に描き出すだけではなく、時には大胆な省略もありではないかと思うんだ」
という絵の先生のインタビューを聞いたことがあった。
その人は、新進気鋭の作家として世間ではブレイクしかけの絵描きであり、特に若い人からの支持は絶対で、、あるで宗教の教祖のような怖さを孕んでいるような人だった。
だが、その人のすごいのは、若い人だけではなく、中年以上の人の支持もあることだった。
若い人のほとんどは、絵画に興味のない人ばかりで、彼に対しては、画家としてのイメージよりも、前衛の芸術家としてのイメージを抱くことで、まるで教祖を敬っているかのような雰囲気をまわりに醸し出していた。
しかし、中年以上の支持者のほとんどは、画家であったり、少しでも絵に携わっている人はほとんどだった。
「彼に才能があるのかどうか分からないが、彼の絵には絵としての力とは別に、人を動かせるほどの何か不思議な力を有している」
という評価を与えている人もいた。
ゆあが、絵を描いてみたいと思ったのは、その画家の影響が強かった。
学校に行かなくなって、毎日のように違う男と遊んでいる時、ちょうど特集で放送していたのが、その画家のことだった。
その人は、ほとんどマスコミの前に姿を現す人ではなく、新進気鋭というだけではなく、神出鬼没というイメージまで醸し出されていた雰囲気に、世間は注目していた。
ゆあも、その時は漠然として番組を見ていたが、次第にボーっとしている時、この画家のことを考えていることが多かったようだ。しかし、この画家のことを考えていると、不思議に我に返った時、この画家のことを考えていたという意識が消えているのだ。まさしく、神出鬼没な新進気鋭と言える画家だった。
河原で佇んでいた時、何を思ってなのか、それともタイミングの問題だったのか、絵を描きたくなったのは、その画家への思いがずっと残っていたという意識が無意識に潜在していたからだろう。
――やっぱり、絵っていいわ――
と、素直に感じたのだった。
「なかなか素敵な絵じゃないか」
絵を描けるようになったばかりのゆあにそういって声を掛けてきた男性がいた。彼は軽薄そうに見える男性で、肩にかけているものがギターであることは、ケースを見ただけでゆあにも分かった。
「ありがとう」
胡散臭さを感じながらも、褒められると嬉しいもので、それだけ普段から誰とも話をしていなかったということで、声を掛けられただけで嬉しかった。
そのためこの返事は少し他人事のようではあったが、気持ちの籠ったものであるのは間違いのないことだった。
「俺も昔は絵を描いてみたいなんて思ったことあったけど、今はギターばかりだな」
と言った。
「上手なの?」
とストレートに聞くと、
「それは自分の口から言えることじゃないさ」
と言って、おもむろにカバーを開けると、ギターを弾き始めた。
「まあ、こんな感じだな」
上手なのか下手なのか分からなかったが、ここで聞かせたということは、それだけ自信があるということなのか、それとも寂しさから、誰かに聞いてもらいたいという気持ちがあったからなのか、どちらにしても、ゆあには親近感が感じられた。