永遠の保障
「うん、違っているよ。だって、日本の野球の歴史って、百年以上もあるんですからね。それを思うと、昭和から平成に変わった頃は、もうすでに近代野球に近づいていたはずなんだ」
「昔の野球ってどんな感じなんだろう?」
というと、
「そうだな。特に投手に関してはかなり考え方が違っていたかも知れないね」
「そんなに違ったんですか?」
「今は、ピッチャーも分業制になっただろう? 先発投手が百球をめどに投げて、そこからあとは中継ぎ投手がいて、彼らが最長一イニングを任される感じで、最後の一イニングを抑えと呼ばれる人が出てくるよね?」
「ええ、それが当たり前ですよね?」
「でも、今から三十年以上前くらいは、中継ぎや抑えなんていなかったんだよ。先発ピッチャーは、完投して当たり前、だから、途中交代というと、打たれたりピンチを迎えることでベンチから見切られる結果で降板したんだ」
「そうなんですか? じゃあ、先発ピッチャー以外は、あまりよくは思われていなかったみたいじゃないですか?」
「ベンチとしては、選手を駒と考えているとすれば、ただの駒でしかないんだろうね。見ているファンは、ピッチャーが変わったことで、応援しているチームは負けるかも知れないと一応の覚悟はしていたんだろうね」
「今とまったく違いますね」
「だから、今のようにセーブやホールドなんて記録もなかったので、先発が崩れてからマウンドに上がる選手のことは、記憶にも記録にも残っていないことが多いというわけだよ」
「じゃあ、今のようになったのは?」
「きっと、野球発祥の国であるアメリカの影響なんじゃないかな? 向こうは、日本に比べて国土が広いから、移動などもきついし、しかも試合数も多い。だから連戦の中で先発投手の数に限るがあると、どうしても先発投手を休ませるために、あとのイニングの投手を育てるという急務があったんでしょうね」
「なるほど、だから、百球をめどになんて話が出たわけですね」
「それにね。昔のピッチャーは皆先発ばかりが記録に残っているから、成績もすごかったんだよ。今では二ケタ勝利をあげれば、エース級でしょう? 昔は二十勝というのがその境目だったんだ。だから、優勝チームの中には、二十勝投手が数人いたりしたこともあったくらいなんだ」
「最高でどれほどの勝ち星があったんでしょうね?」
「年間で四十勝した人もいるようだよ」
「四十勝ですか? それはすごい」
「そうだよね。年間百四十試合として、三試合か四試合ごとに先発して、そのほとんどで勝たなければできない成績だよね。信じられないと思うよ」
「そうなんですね」
彩香は少し考え込んだ。何か胸騒ぎを覚えたからだ。
「それでね。その時四十勝した選手は、あまり長くは活躍できなかったんだ。十年ちょっとくらいは頑張れたようだけど、晩年はそれほどでもなかったということだよ」
「それは、スランプ?」
「ある意味ではそうかも知れない。でも、ピッチャーの使う肩というのは、他の人の使わない筋肉や筋を使うことになるんだ。だから、消耗品でもあり、投げれば投げるほど、悪くなることはあっても、よくなることはない。もちろん、それはピークを迎えてからの話だけどね」
――これが私の中でさっき感じた胸騒ぎの正体だったんだ――
と彩香は感じた。
「ということは、その経験があるから、今のように、ピッチャーを酷使しないようにしているのかも知れませんね」
というと、
「その通り」
と、下田は答えた。
彩香は、その言葉に嬉しさは感じず、何とも苦虫を噛み潰したような気分になっていた。
下田はさらに、
「ピッチャーというのは、ベンチ入りの選手の数が限られているので、野手の数との絡みで、何人までベンチ入りさせられるかというのも問題だよね。たとえば、中継ぎ投手などは毎試合ベンチ入りしていないといけない。抑えに至っては、ベンチ入りしないことが許されないほどになっている。でも、難しいのは、抑えというのは、監督としても結構気を遣うし、抑えの投手も、そのおかげで体調管理が難しかったりもするんだ」
彩香にはその言葉の意味が少し分からなかった。
「どういうことなんですか?」
と聞き直すのも当然である。
「抑えの投手というのは、エースなんですよ。しかも先発投手のように数がいるわけではない。つまりは、チームで唯一の抑えのエースというわけですよね。確かに一イニング限定で投げさせたりはしているけど、延長戦に入ったりすると、当然イニングをまたぐことになる。だからしh−無によってはダブルストッパーを用意しているところもある。でも、ストッパーというのは精神的な強さを求められるので、自分が唯一でなければ気が済まない人もいたりする。そのあたりが難しい人もいますよね」
「ええ、確かにそうですね」
「そして、抑えの投手というのは、投げる試合が限られるということを覚えておくといいですよ」
「どういうことですか?」
「抑えのピッチャーには、セーブという成績が付くのは知っていますよね?」
「ええ」
「じゃあ、そのセーブがつくのはどういう条件なのかご存知ですか?」
「いいえ」
「一イニング限定であれば、三点差以上の得点差であれば、ポイントはつかないんですよ。その条件として、マウンドに上がった時にランナーがいなければ三点差。一人ランナーがいれば、二点差、そして二人いれば一点差の時にマウンドに上がる必要があるんですよ。要するに、あまり点数が離れていると、ピッチャーにとって楽ですよね。そんなタイミングでピッチャーには、簡単にポイントを与えられないということですね」
「いろいろあるんですね」
「先発投手でも、責任イニングというのがあって、五回を投げ終わっていないと勝ち投手の権利がないと言いますよね。それと一緒です」
「そうなんですね」
「つまり、抑えの投手を登板させる条件として、少なくとも同点以上で、三点差までの間で勝っている時でないと、抑えの投手を登板させられないということですね。それでも抑えの投手はいつもベンチ入りしている必要があるし、用意もしていなければいけない。いつでも行けるようにですね。でもチームが弱かったりすると、いつも最後のイニングで負けていたりすると、登板機会もない。毎試合用意をしながら実践登板がないというのは、いくら何年も抑えをしている人でも、体調管理が難しいんです」
「本当に大変なんですね」
彩香は、そこまで奥の深いものだということを知らなかったので、相槌を打つくらいしかできない自分に少し情けなさを感じていた。
「抑えの投手というのは、本当に難しいもので、一人のピッチャーが何年も抑えで君臨するというのは結構難しいようですよ。毎年抑えが変わるチームもあるくらいですからね」
「でも、そんな難しいポジションなんだから、今年は抑えを務めた人が、来年は少し楽なポジションを務めたり、それまで中継ぎだった人が抑えをするようなこともあるでしょう?」
「確かにありますけど、難しいところですね。やっぱり抑えというのは、精神的に強い人でないといけないですよね。最後の最後で出てきて、せっかく勝っている試合を逆転されてしまっては、かなりの罵声を浴びるのは必至ですからね」