永遠の保障
というと、
「昔の野球。そう昭和の野球だったらそうかも知れない。まだあの頃は、野球ファンというと、男性ばかりで、野球場に来ているのは、ほとんどがサラリーマンで、それ以外は家族連れくらいのもので、若い女性ファンなんて、ほとんどいなかったからね」
――彼はいったい、いくつなんだろう?
と思うほど、詳しかった。
そのことに気付いたのか、彼が続けた。
「いやいや、僕がその頃から野球を見ていたわけではないよ。でも、僕の祖父がぷら野球選手だったらしく、よく父親からその話を聞かされていたんだ」
というので、
「じゃあ、お父さんも野球選手を目指していたの?」
この疑問は普通の疑問だと思った。
「いや、そんなことはないよ。野球少年だったのは確かなようなんだけど、自分でもプロを目指そうなんて思っていなかったというし、おじいさんも息子にそんな夢を持ってほしくなかったっていうんだ」
「おじいさんはどんな選手だったの?」
「ピッチャーだったという話は聞いているよ。でも、記録や記憶に残るような選手ではなくて、一時期のファンがその当時覚えている程度の選手だったらしい。それでもお父さんはおじいさんが野球選手だったということが誇りだって話をしてくれたんだ」
「お父さんはどんな大人になったのかしら?」
「普通のサラリーマンだよ。大きな夢を持つこともなく、平凡に過ごしたんだ。今はもうすぐ定年を迎えるので、本当にお疲れ様という感じなのかな?」
と言って微笑んだが、その笑みにはどこか翳りが見られた。
どうやら、下田は父親の生き方に疑問があるのかも知れない。
「下田さんは、どうして野球を見に来るようになったんですか?」
下田が、暇さえあれば野球を見に来ているという話はさっきの話の中で出てきたことだった。そのことを別に深く考えることもなかったので、話の中でスルーしたが、今の話を聞いて、もう一度掘り下げてみたくなったのだ。
「元々、野球を見るのは嫌いじゃなかったんだ。野球という競技というよりも、選手の成績だったり、順位だったり、記録だったり、そういう紙面上のところに興味を持ったというべきかな?」
「それは、おじいさんの過去の成績を見ようとしたということがあったとか?」
と聞くと、少し黙り込んだが、すぐに話し始めた。
「そうだね。きっとそうだったんだろうね。お父さんからおじいさんが野球選手だったということを聞いて、なるべくお父さんの記憶にあるおじいさんの選手としての情報を引き出したんだけど、情報という情報は引き出せなかったんだ。だから、図書館に行ったりして、昔の野球名鑑だったり、大きな図書館ならあるかも知れないと思って過去の選手の成績を載せた本があるかどうか探しに行ったりしたんだ」
「そうだったんですね。それで見つかりましたか?」
「ああ、見つかったよ。ある程度詳しい本もあったけど、僕には過去の野球名鑑という市販で売られているような本程度で十分だったんだ。写真もついていたし、少し古いけど、おじいさんの投げる姿が残っていたりしたんだ」
「それはすごいですね。図書館なら置いてあるんですね」
「そうだね。すべての図書館ではないけど、県立図書館くらいなら、持ち出し禁止で、入場も許可のいる場所だったら置いてあった」
「よかったですね」
「それから、僕はおじいさんの成績を見て、野球という競技を見るというよりも、選手の成績などに興味を持つようになったんだ」
「そうなんですね」
彩香は、このあたりから、相槌しか打たなくなっていた。
「選手の成績を見ていれば、その選手がスランプなのかどうかって分かるようにもなってくるんだよ」
「えっ? 成績が悪くなったからスランプっていうんじゃないんですか?」
「僕も最初はそう思っていたけど、成績が悪いのはそれだけが原因ではない。それにスランプと言っても技術面から陥るスランプもあれば、精神面から陥るスランプもあるよね?」
「どういうことですか?」
「技術面で陥る場合は、たとえばケガをしたりして、それが完治していないのに、自分のポジションが他の選手に奪われることを恐れて、なるべく早く復帰しようと思うだろう?」
「ええ、そうでしょうね」
「でも、実際には本当に身体すべてが完治しているわけではないので、その部分を無意識にかばって動こうとするだろう?」
「ええ」
「プロの世界というのは、すべてが完璧でなくても通用するほど甘いところではないということはよく分かるよね? つまりは、バランスが崩れているんだよ」
「なるほど」
「でも、本人はそのことに気付かない。今まで通りやっているつもりでも、思ったように結果が生まれない。それは本人が完治に近ければ近いほど陥ることではないかと思うんだよ」
「なるほど、無意識だから分からない。分からないから治しようがないというわけですね?」
「その通り、僕はこれが技術的なスランプの一部ではないかって思うんだ。もっとも、これを精神的と思う人もいるかも知れないけどね」
確かに彼の言う通りだった。
こうやって話を聞くと、
――なるほど――
と納得できる。
「じゃあ、精神的なスランプというのは?」
「それは、プロの選手と言っても人間だから、野球を一歩離れると普通の人間だよね。確かに私生活でも野球中心の生活をしている選手もいるけど、百パーセントそういうわけにはいかない。一人で生きているなら分かるけどそんなこともない。家族もあれば、チームメイトもいる。家族のゴタゴタが精神的に自分の技術を凌駕することだってあるんだよ。だから人間なんだ。また野球の中の世界でも、同じチームメイトと言っても、そこはライバル。皆が仲間というわけでもない。ライバルを蹴落として自分が上に上るなどというのは当たり前のこと。それくらいの気持ちがなければプロではやっていけないという人もいるだろうね。それこそ精神論だよね。いくら技術がともなっていても、精神的に弱ければスランプにも陥るというもの。要するに人間に完璧な人などいないということだよ」
「そうなんですね。厳しいですね」
というと、
「昔、面白い人がいて、『スランプというのは一流選手が口にすることで、お前のような中途半端な選手はスランプとは言わないんだよ』って言った人がいるって聞いたことがあるんだ」
「どういうことなんですか?」
「僕にもよくは分からないけど、ひょっとすると、そうやってその人を戒めながら、励ましていたのかも知れないね。一つの言葉に正反対の二つの意図を持たせる言葉なんて、そうあるわけでもない。そういう意味では、この言葉が後になっても言いつがれてきているというのも分かる気がするよね」
「そうですね。私も野球に興味を持ってから、昔の選手の言葉というのも、本で見たりするようになりましたね」
市販で売っている野球名鑑にも幾種類かあって、彩香の買った本には、ちょうど、そんなコーナーがあったのだ。
「下田さんは、おじいさんの成績を見て、どう思いましたか?」
「今の野球とは同じ野球と言ってもまったく違っているので、何ともいえないけど、きっと当時とすれば、平凡な選手だったんじゃないかって思うよ」
「昔の野球と今の野球ってそんなに違うですか?」