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永遠の保障

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「ええ、なんとなくさっきまでの緊張感と違っているような気がするんです。何と言えばいいのか、さっきまではまわりの雰囲気がピッチャーを包んでいたような気がしたんですが、今はピッチャーのオーラがまわりを巻き込んでいるような感じがするんです。見ているとピッチャーが大きく感じられますね」
 彩香は、ピッチャーの素振りを一回からずっと見てきたつもりだが、そのインターバルに最初の頃と少しずれを感じた、まるで自分に何かを言い聞かせているような気がするようだった。
「彩香さんは、野球はお詳しいんですか?」
「いいえ、この間友達に連れてこられるまでまったく知りませんでした。でも、今日来る時は少しだけ予習をしてきたつもりではいたんですが、それはあくまでルールのような形式的なもので、あとは実際に見なければ分からないものだっていう感覚は持っていました」
 なるほど、その通りですね。じゃあ、僕が少しずつ教えていってあげましょうね」
 という彼に対し、
「ありがとうございます」
 と素直に答えた。
「このイニングというのは、ピッチャーにとってのターニングポイントなんです。五イニングを投げ切れば先発投手としての責任回数を投げ切ったということで、勝ち投手の権利を得ることができるんです。でも、今日はまだお互いに点数が入っていませんから、勝ち投手としての権利にこだわっているわけではないと思いますよ」
「ただの通過点という感じでしょうか?」
「そこまでいうと、少しかわいそうな気がしますね。彼はエース級の投手です。五イニングを投げ切るというのは、自分の中での最低限の仕事だと思っているんじゃないかな? 僕にはハッキリとは分からないけど、ここからが彼にとってのサドンデスの気分なのかも知れませんね」
 と彼がいった。
「そういえば、この間外野席で試合を見ていた時、友達同士が話をしていたんですが、ピッチャーには、百球制限というのがあるような話だったですが、本当なんでしょうか?」
 と彩香が聞くと、
「それは、人それぞれですね。先発ローテーションの投手は、五回を投げ切るとその次に考えるのは、百球という節目です。どうしてなのかというと、野球というのはほぼ毎日試合がありますよね。だから先発投手の数に限りがあると、どうしても次に投げるまで、日数が少なくなる。本当は完投がベストなんでしょうけど、完投させてしまって、次回の登板までに体力が回復しないと、炎上してしまうことになるでしょう? 長いシーズン、チームにとっても、そのピッチャーにとっても、得なことは何もないんですよ。下手をすると、体力が戻らずにそのまま投げれば打たれるということを繰り返していると、ファームに陥落なんていうこともありえなくない。だから、監督や投手コーチがいるのであって、彼らがしっかり選手を管理する必要があるんですよ」
「なるほどですね」
「選手自身も自己管理が当たり前になっています。野球に限らずスポーツの世界はどこもそうなんじゃないかな?」
 と彼は言った。
 グラウンドでは、この回は少しピンチもあったが、落ち着いてピンチを回避し、この回も点数を与えなかった。
「さすがエースだわ」
 と彩香がいうと、
「エースというのは、こういう時に慌てたり騒いだりはしないもので、当たり前のことをしたという顔をするものなんじゃないかな? 彼が本当に笑うとすれば、試合が終わって、チームが勝っている時しかないんじゃないかな? 今の彼は投球数からしてもまだまだ少ないので、完投だってできなくもない。それだけのスタミナを持っているのも事実だし、それがあるから、彼がエースだと言われるんじゃないかって思いますよ」
 と、下田は冷静だった。
――この人の話を聞いていると、私も野球に詳しくなれるような気がしてくるわ――
 と感じた。
 それだけ彼の話は分かりやすいものだった。しかも話が分かりやすいだけではなく、話し方も穏やかで、相手に分かりやすく話すということに長けているのが分かった。それが生まれついてのものなのか、環境や経験で備わってきたものなのか分からないが、彩香にはそのどちらも感じられるような気がした。
「試合もだいぶ進んできましたね。そろそろどちらかに点数が入ってもよさそうな気がします」
 と彩香がいうと、
「そうだね。でもね、投げているのはエース級でしょう? エース級というのは、他の投手と違って、決して慌てないことが必須なんですよ。たとえばこれだけ緊迫した試合運びだと、どちらかに先に点が入るとして、点を取られた方の投手が慌て始めて、そこから大量点に結びつくこともえてしてあったりするんだよ。緊張の糸が途切れる時というのが、人間にとって一番陥りやすい落とし穴ではないかと思うんだ:
 と彼がいうと、
「そうかも知れませんね。特に点が入るとそれまで鳴りを潜めていた応援団が急に下記を取り戻しますからね」
 と彩香がいった。
「でも、逆もあるんだよ。点を取られたピッチャーがその後落ち着いて投げるケースがある。緊張がほぐれたことが却っていい方に影響するということだね。そういう時は一点の代償なんて関係ないんだよ。だから、今度は点数が入った方の投手の方が、その一点を守らなければならないと思うことで、余計に力が入って、その一点を守れなくなることも結構あることなんだよ」
 と言った。
「なかなか難しいですよね」
「よく、ゲームが動くというけど、その通りなんですよ。ゲームの動きの一番の形はやはり点が入ることでしょうね。そしてその次は投手交代だったりします。それまでまったくその投手に歯が立たなかったバッターが息を吹き返したりしますからね。だから、監督や投手コーチにとってピッチャーの変え時というのが一番難しいですよ。ピッチャーの気持ちも大切だし、ゲームの流れを無視することもできない。ジレンマを抱えながらマウンドに向かう監督の姿は、本当に人間模様という感じがしますよ」
 と、彼はしみじみと語った。
 彩香の気になっている選手もその日はヒットが一本も生まれていなかった。ちょうど昨日までで、六打数のヒットと、それまでの打率が三割を超えていただけに、少し目立つ気がした。
 ただ、本来なら、他の選手であれば六打数ノーヒットくらいはなんでもないのかも知れない。しかし、気になっている選手は、ほとんど毎日ヒットを打っていて、三試合ノーヒットというのは、シーズンでも珍しかった。
――スランプなのかしら?
 と思っていたが、そこは最近野球に興味を持つようになった期間の浅さなのだろう。単純に数字でしか判断していなかったようだ。
 下田に、自分が好きな選手の話もした。
「ああ、彼ならこれくらい今までにも何度もあるので気にすることはないよ」
 それまでピッチャーの話をしていた二人が今度は野手の話になった。
「僕も彼のことは気にしてみているんだけど、彼はヒットを量産しているわりには、それほど他の選手ほど人気があるわけではない。打順も四番というわけでもなく、六番や七番が多いんだ。他の選手のように派手ではないところがそれほど人気の上がってこないところなのかも知れないね」
 と言っていた。
「でも、あれだけ打つんだから、人気が出てもおかしくないのにね」
作品名:永遠の保障 作家名:森本晃次