永遠の保障
ベンチ裏が近いせいか、選手がベンチ前でキャッチボールなどをしているのが目の前に見えるようだった。
――こんなに近くで見れるんだ――
野球に興味がなかった彩香だが、選手のキャッチボールを見ていると、見入ってしまう自分に気付いた。グラブにボールが吸い込まれてから、時間差が少しあってから、
「ズバーン」
という音が響く。
その音の大きさに、彩香は魅了されたのだ。
外野席から見ていると遠近感すら定かではない状態で見ているので、本当に遠くから見ているだけで、楽しみといえば、応援団と一緒になって皆バカ騒ぎするしかない状態なのだ。
彩香は、入場してから場内に入るまで、裏通路にある店を見てきた。ファーストフーズを買い込むのが目的だったが、その後、グッズ売り場に行った時、見つけたのがファンブックだった。
そこには選手のデータも詳しく書いてあり、プロフィールを含めたところで詳しく書かれていた。確率を気にして入場したので、データが掛かれているのは嬉しいことだった。
「これください」
あまり安いものではなかったがそれでも購入したのは、ホームチームだけではなく、他チームの選手のデータや、過去の選手の表彰履歴も書かれていた、それが嬉しかったのだ。
席に座って試合開始までまだ少し時間があるので、ファンブックを見ていた。購入時には気付かなかったが、最後の方のページに、数ページ、何も書かれていないスコアブックが掛かれていた。
――野球ファンなら、これくらい書くことができるということでの付録のようなものなんでしょうね――
と感じた。
最後のページには、スコアブックの書き方が掛かれていた。これも至れり尽くせりなのだろう。彩香はスコアブックを使うかどうかまでは分からないが、買ってよかったと思った。
彩香が球場入りしたのは、試合開始前一時間くらいだった。会社は球場からすぐで、この日は前に残業した調整で、午後三時に退社できた。こんな日には今までならすぐに家に帰っていたのだが、その日は最初から野球にいくつもりでいたので、昼前くらいからなんとなくワクワクしていた。
途中までは次第に見に行くことを後悔しかけていたが、入場するとそれまでの苛立ちが少し和らいだ。
――問題は帰りだわ――
と思っていた。
それも、最後まで見るから帰りに混むというのは分かっているので、
――七回が終わった頃に帰ればいいんだわ――
と感じた。
元々、チームの勝利に興味があるわけでもなく、極端な話、勝とうが負けようがどちらでもよかったのだ。
野球が見れて、気になっている選手を近くで見ながら確率を考えたりするのが楽しいと思っているだけなので、ラストまで見る必然性はまったくなかった。
入場した時見た外野席は、まだ満員というわけではなかった。それより気になったのは、
――こんなに人の流れが激しいとは――
と思ったことだった。
どんどん人が入場してくる。ただ、それだけではなく、別方向からの人の流れも激しかった。裏に入っていく人も多くて、席を確保してから奥の売店やグッズ売り場を散策する人が多いのだろうと感じた。やはり、外野席というのは、野球を純粋に見る人から見れば、想像もできない世界だったのかも知れない。
それでも、試合開始三十分前くらいになると、最初ほど人の流れは激しくなかった。入場してくる人は相変わらず後を絶えない感じだったが、
――やっぱりここでよかったわ――
と、まるで他人事のように見ているのは面白かった。
三十分前になると、場内放送が始まった。
「本日はご入場ありがとうございます」
といえ、ウグイス嬢の声から始まって、その次には、その日のスターティングメンバーが発表された。
――そういえば、バッテリーは最初から電光掲示板に書かれていたっけ――
と感じたが、考えてみれば、こちらのリーグでは予告先発であるということを思い出した。
それを教えてくれたのは、初めて野球を見に来た時に一緒に行った友達だった。
「これ、常識ね」
と言っている割には表情が勝ち誇ったような表情だったことで覚えていたのだ。
一通りスターティングオーダーが発表されると、しばらくは場内は落ち着いていた。選手も練習が終わり、フィールドには誰もいない状態だった。
少ししてからグランド整備の人たちが出てきてトンボを掛けている。これも野球場の風景の一場面なのだろう。
そのうちに、ホームチームの応援歌が流れてきて、いよいよ試合開始が間近であることを予感させた。
時間は試合開始五分前になっていた。
「お待たせしました。選手の入場です」
という声とともに、ホームチームのベンチ前に、チアリーダーが両脇に立ち並び、選手のための入場ゲートを作っていた。
「まずは、ライトフィールド……」
と、選手の名前と背番号が場内放送され、その後選手が現れて、ファンに手を振りながら、チアリーダーの作ったゲートをくぐりながら駆け足で自分のポジションに元気よく飛び出していく。
捕手まで入場が済むと、最後には投手の入場である。
それまでの歓声とは一味違った歓声に、彩香は少し興奮していた。
その日の先発がエースであることは、情報として分かっていたので、見に来る一つの楽しみにしていたが、さすがにここまで歓声が違うということは、エースという存在が一味違ったものであるということを改めて感じさせられた。
――やっぱり野球って面白いのかも知れないわ――
まだ一度しか見に来たことがなく、しかも、前に来た時は最後までうんざりさせられた外野席での観戦だったにも関わらず、
――やっぱり――
と感じるというのはおかしいのかも知れないと思いながら、それを我ながらおかしいと思った。
エースがマウンドで投球練習を始めた。他の選手に目が行くことはなく、彩香の目はエースにくぎ付けになった。
「野球って、ピッチャーがボールを投げないと始まらないのよ」
と友達が言っていたが、
――何を当たり前のことを言っているのかしら?
としか思っていなかったが、まさかその言葉の裏に何かが隠されているとまでは感じなかった。
――こういうことだったんだ――
と、いまさらながらに感じたが、エースの一挙手一同に目を奪われてしまっている自分が最初は信じられなかった。
一言でいえば、
「格好いい」
という言葉で片づけられるのだろうが、それ以外にも何かを感じた。
それが、
――マウンド上の孤独だ――
ということに気付くまで、少し時間が掛かった。
その日のうちには分かったつもりだったが、分かった瞬間がいつだったのかということは自分でもピンと来るものではなかった。
「プレイボール」
主審がそう言った。
その声はハッキリと聞こえなかったが、主審のプレイボールの宣告で試合が始まるということは常識として知っていたので、思い込みがあったのかも知れないが、その時の彩香にはハッキリと聞こえたような気がした。
エースが第一球を投じた。この瞬間、球場内は静まり返って、皆が固唾を飲んでいるような気がした。
「ストラーイク」
主審のストライクの宣告に、それまで静寂だったスタジアムが歓喜に包まれた。