短編集35(過去作品)
猜疑心
猜疑心
私こと本山正志がこの街に引っ越してきてそろそろ五年が経とうとしていた。
元々は、埼玉県の奥に一軒屋を構えていたのだが、家が老朽化し、しかも父が亡くなったこともあり、土地を売り払い、都内へと引っ越した。最近、結婚してそれまで住んでいた母とも別居になったので、今は、妻と二人でマンション暮らしをしている。
年老いた母を一人残していくというのも少し気が引けたが、年老いたと言っても、まだ六十歳を少し過ぎたくらい。近所付き合いのうまい母は、引っ越してきてすぐに、友達もできたみたいで、悠々自適の生活をしていた。さすがに一人息子が出て行って一人になる寂しさもあるに違いないが、
「あなたがいなくても、お母さんは寂しくないわ。これからは、やりたいことをやって生きるんです」
と、強がりとも取れる言葉を吐いた。
別居に後ろめたさのある私は、妻と相談して、実家の近くにマンションを借りることにしたのだ。
「お母さんも一人なので、心配よね。私も遠くより近くの方が安心だわ」
もし何かあって実家に通わなければいけなくなれば、当然近い方がいい。それを考えてのことだった。
しかし、それも取り越し苦労になりそうだ。思ったよりも母は元気だし、近所付き合いもうまくいっている。「案ずるより生むが易し」といったところである。
あれはいつだっただろうか? そうだ、私が結婚するということで、部屋の整理をしていた頃だった。
「あなたが、小さかった頃の写真など、お父さんが整理してくれていたので、持っていくといい。確か押入れの中にしまってあったと思うわ」
と、母が教えてくれた。
押入れを見ると、昔の重たくて分厚いアルバムと、クッキーの箱に入った写真が、かなり出てきた。
一枚一枚見ていくと懐かしさと珍しさで、しばし時間を忘れて見入ってしまいそうだ。
カラー写真であるが、さすがにセピア色に変色していて、まるでモノクロ写真のようになっているのもあった。アルバムに収められているのはまだいいが、クッキーの箱に入った写真など、反り返ったものもあり、かなりの時代をジッと動くことなく箱の中で眠っていたことを示していた。
「懐かしいなぁ。これなんか小学校に入った頃の運動会の写真だな」
一人写真を見ながら声に出して、思い出に浸っていた。知らない人が見れば、実に不気味な光景だろう。アルバムも十冊近くあった。父がカメラマニアでよく撮っていたのは知っていたが、ここまでたくさん残っているとは、正直ビックリしている。
父が亡くなって早五年、長いようで短かった。新居にいた時期も母と二人で暮らしていたが、あっという間だったように思える。さすがに引っ越してきてからの母は、父がいないことで寂しさを隠せなかったようだ。無口で厳格な父だったので、一緒に暮らしていても、いつも緊張の糸を切らすことなく過ごさなければならなかった。母は慣れていたのだろうが、亡くなってしまえば緊張の糸がプッツリと切れ、最初は放心状態だったようだ。それが長く続かなかったのは、私がいたからだろう。
それからの母は、父が乗り移ったかのように気丈になり、以前は何も言わなかった母が私にいろいろ口出しするようになった。と、いっても罪のないことなので、理不尽だと思えば聞き流せばよかったのだが、それでも、さすがに鬱陶しいと思ったことも一度や二度ではない。
「お父さんがいれば……」
最後はいつもこの一言だった。
それを言われれば、さすがに私も言い訳できず、ただ聞いているだけに徹している。
反面、母は社交的な性格で、ここに引っ越してきてから、友達もすぐにできたようだ。近所にも同じような年のおばさんたちが数人いて、皆子供たちが独立し、いわゆる余生を満喫するための会合もあるようで、母は積極的に参加していた。
「本山さんのところの息子さんも、そろそろ身を固める時期じゃないんですか?」
「ええ、そうなんですの。まだあの子は片付かないんですよ。どなたか素敵なお嬢さんいませんかね」
などと、私の話題に花を咲かせることもあったようで、それが本心かどうかまで分からない。半分は本心だろうが、やはり寂しさも感じていただろう。
「俺、今度結婚することにしたんだ」
と言った時の母の顔、いまだに覚えているが、一瞬驚いたようだったが、すぐに無表情になり、しばし固まってしまった。そのまま血の気が引いていくのではないかとまで心配したが、そこまではなかった。
父と一緒に写っている写真もかなりある。
「あなたは、よくお父さんの後ろをついて歩いてましたからね」
私が写真を見ていると、いつの間には母が入ってきた。
「お父さんは、よくその写真を懐かしそうに見ていましたよ」
と言葉を付け加える。
「そうなんだね」
相槌を打ったが、実は母の言葉には何とも言えなかった。確かに父の後ろをついて歩くことは多かったのだが、それは単純に父が気に入っていたからではない。私はとにかく父が嫌いだった。どこへ行くのでも母がついてきたし、父に対する思い出は怒られたことの方が多い。
「お母さんにばかりついているのが恥ずかしかった」
これが一番の理由である。別に母親を女性として意識していたわけではないが、あまり母親にべったりだと、友達にバカにされそうな気がしたのだ。少しませていた私は、友達の罪のない言葉に言われなき屈辱感を感じていた。
「所詮、子供のことじゃないか」
と思われるだろうが、子供ほど純粋なものはなく、罪のない一言がトラウマとなって残ることもある。それが怖かったに違いない。今となっては、あの頃の気持ちを思い起こすにはかなりの時間が掛かるだろう。
それにしても、父との写真の多いこと。母が写っている写真はそれほどない。これも控えめだった母の性格を徐実に表わしている。
「お母さんは、写真に写るのが嫌いだったの?」
「そうね、あまり好きな方じゃなかったわ。皆で写るのは気にならないんだけど、自分だけで写るのは、あまり好きじゃなかったわ」
私と反対である。
一人で写る方が、まわりを気にすることもなく自由にポーズが取れる。集合写真となると、修学旅行の写真のように、カメラマンの人の誘導で、自分の意志とは関係なく写される。後で見ると確かに綺麗なのだが、皆同じポーズで個性を感じない。そんな写真は好きではなかった。
皆それぞれ勝手な動きをして、その中での芸術性のようなものがあれば、それでよかった。そこが私の芸術家ではないところだろう。芸術鑑賞は好きなのだが、自分から芸術を始めようとは思わない。
「君には美的感覚があるのに、もったいないな。美術部に来ないか?」
と、高校時代の美術の先生に言われたことがあった。
嬉しかったが、美術をしていて得になるような気はしなかったし、鑑賞には長けていても、実際に自分が芸術を始めるには、才能がないと感じていた。その理由が、
――デザインに対して積極的になれないこと――
だった。
――自然の中にこそ、芸術が潜んでいる――
と感じていた私は、カメラなら少し興味を持ったことだろう。
作品名:短編集35(過去作品) 作家名:森本晃次