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短編集35(過去作品)

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 ちょうど季節は桃から桜へと移り変わる頃、朝晩の寒さに合わせていると、気温がうなぎ上りで、昼間は汗ばむような陽気になる。あの日も確かそんな日だった。
 父が残してくれたという写真、きっとその時に撮った写真だと思う。子供だった私に写真が嬉しいはずもなく、それでも楽しそうな両親の顔を見たさに、嫌々ながらカメラに収まったものだ。
 それを父が残していたなんて、厳格で、ものを大切にする父ではあったが、大切に保管していた理由はそれだけではないような気がする。
 いつもニコニコしている人が急に怒り出した時と、いつもしかめ面をしていて、ピリピリとした雰囲気を醸し出している人が、たまにニコニコし始めた時と、どちらの印象が強いだろう? 急に怒り始めた印象がそのままその人の印象に残るものだ。明るいところから急に暗いところへ行くと、暗黒が支配された世界の中で、消えることのない明るい残像が瞼の奥に残っていて、シルエットとしていつまでも消えることがないように思える時がある。父と母は正反対だった。私もどちらかというと母に似ていて、普段は普通にしていても、怒る時はきっと激しいに違いない。茜に対しても同じで、私の怒った時の姿が残像として残っていることだろう。
 私が怒る時は決まっている。確信犯だと思った時に多い。私を喜ばせるためと分かっているのに、黙っていて他人に迷惑を掛けるようなことがあったりすると、私は怒る。
「あなたが喜ぶと思って……」
 嬉しいことであるが、私への気遣いがすべてだと思えば何でも許されると思うのが辛いのである。怒られた方は面白くないだろう。何と言っても一番喜んで欲しい相手に罵声を浴びせられるのである。怒る方としても、これほど辛いことはない。しかし、ハッキリ言ってあげないと分からない。実際、今までに付き合った女性で、同じように怒ったために、その時を最後に私から去って行った女性もいた。
 しかし、それでもよかった。もし、そこで許してそのまま付き合ったとしても、それ以降また同じようなことを繰り返すことで、今度は収拾のつかない事態に陥らないとも限らない。そうなれば最悪な別れ方になるだろう。遺恨を残したまま別れる結果になるのは辛いことだ。
 母にも私に似たところがあった。ほとんど無表情な母だったが、私が怒られる時はいつも母のためにしたことが多かったのだ。少々のことでは怒らない母が、般若の面のような顔で怒るのだから、本当に恐ろしかった。理不尽だと思っても逆らうことのできない凄みを持った顔である。父が死んで、細かいことに口出すようになった母からは信じられない思いである。
 父が残してくれた写真の中の私は、実にニコヤカだ。母が写っている写真も少しではあるが、母もニコヤカである。一番家族の中でいい時期だったのかも知れない。
 しかし、残っている写真はその頃のものだけである。今から思い返しても、父とどこかに出かけたのはその時期だけで、あまり家族にかまう時期がなかったように思う。家に居られてピリピリした生活を余儀なくされることを思えば、いない方がマシではあった。母がどんな気持ちでいたのか分からないが、あくまでも無表情だった。
 父が幼児虐待をしている夢は何度か見ているが、最初に見たのは、ちょうどその頃だったように思う。なぜ父が急に動物園に行こうと言い出したのか。そして、同じ時期に初めて父のそんな夢を見たのか分からない。ただ、父の笑顔は新鮮で、とても初めて見た笑顔には見えなかった。
――優しく語りかけてくるような笑顔――
 それをその時の父に感じたのである。
「お母さんは、昔、看護婦をしていたのよ」
「結婚前?」
「ええ、そう。その時に患者さんで来たのがお父さんだったの。最初から気難しい感じの患者さんだったわ」
 父が死んでから初めて母が話してくれた。
 母親の忍耐力は、看護婦という職業に従事していたところから来ているように思えてならない。激務に耐える体力、さらに汚事にでも笑顔で接することのできる気力、そして冷静な判断力が必要な仕事だということは話を聞いているだけでも分かる。しかし、実際は考えているよりも、かなりハードなのだろう。ひとえに患者に対する思いと責任感がなければ完遂できないに違いない。
 そういう意味で母には頭が下がる。父がどれほどの人物で、していた仕事の内容もあまり知らないので、何とも言えないが、ずっと父に耐えていたのは見ていて分かった。殴られるところを何度も見たからである。
――父の幼児虐待の夢は、母に対する暴力を裏付けているのだろう――
 と思っていた。
 父は自分のことをあまり話そうとしない。子供の頃、私が聞いても、
「子供は知らなくていいんだ」
 というだけで、母に聞いても、
「お父さんに任せておきなさい」
 と言われるだけだった。
 母に言われてしまうと妙に納得してしまう。父に言われても母に最後聞くのは、母の意見を聞きたかったからだ。私が父に逆らわずここまで来たのも、母の耐えている姿を見ていたからだろう。グレることもなく、普通に反抗期はあったが、それほど親を困らせることはしなかった。困るのはすべて母だからである。
 ただ今となって感じることは、写真の腕だけはいいものがあり、私の美的感覚は、父からの遺伝であることは紛れもない事実に思えて仕方がない。
――死んだ人のことを悪く思うのはよそう――
 と感じていた。晩年の丸くなった父を思い出すことにしていた。
 そう考えて、父が撮ってくれた写真をクッキーの箱を押入れから引っ張りだして眺めていた。
 この箱を開けるのは、茜と結婚して引越しが終わった時が最後だった。まだ新婚時代で、真新しい家具や照明に囲まれた時期のことである。あれから半年が経っていた。
 たった半年しか経っていないのに、押入れの奥から引っ張りだしてきたクッキーの箱はだいぶくたびれているように見える。確かに古い箱ではあったが、引越して来た時はそれほどくたびれてはいなかった。いや、そう見えるだけなのだろうか?
 ちょうど、茜は実家に用があるといって出かけていた日のことだった。あまり家を留守にすることのなかった茜が珍しく、
「すみません、明日少し実家に行って来たいのですが。」
 というので、私はニコヤカに、
「ああ、いいよ、たまには気分転換しておいで」
 と、二つ返事で了解した。たまには一人でいるのもいいものである。考えれば今まで一人暮らしをしたことのなかった私である。たった数日とはいえ、一人暮らしの気分を味わうのもいいものだ。
「なるべく早く帰って来ますけど、数日は向こうにいることになると思います」
「ああ、ゆっくりしておいで。久しぶりに外食もいいものだ」
 そう言って、朝、出かけは茜と一緒だった。
 初めて出かけることを言い出した茜だったが、何やらいつもと違っている。落ち着いているようにも見えるが、それでもいつもの茜と違っていて、少し気になった。
 会社の近くで夕食を摂った私は、その日どこに寄ることもなく、マンションに帰ってきた。コンビニでビールとつまみになるものを少し買い込んできたが、それ以外には普段と変わらぬ帰宅だった。
「ただいま」
作品名:短編集35(過去作品) 作家名:森本晃次